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伊予市誌

7 図書館

 伊予図書館 
 一九二二(大正一一)年四月、愛媛県教育会伊予部会で設立、郡中小学校の一教室を借りて運営した。一九三一(昭和六)年当時の蔵書冊数は、一、〇七五冊、年間経費は図書費四二〇円、その他六〇円で、閲覧延人員は年間一万九、五六二人、一日平均八〇人であった。教員だけでなく、一般にも希望があれば閲覧ができた(昭和七年三月刊『愛媛県社会教育概要』)。

 郡中町立図書館 
 伊予図書館は教育会伊予部会から郡中町に移管され、一九三八(昭和一三)年九月以来郡中町立図書館と名称を改めた。一九四五(昭和二〇)年五月に郡中小学校の火災のため、すべてが焼失した。以後、図書館という名ばかりが残された。一九四七(昭和二二)年九月郡中公民館が創設されると、図書館法の定める基本冊数がないのと予算が僅少のため、図書館とは認められないので、公民館図書部としてその事務を取り扱った。図書館での閲覧のほかは、主として児童や学生を対象に貸し出しを行った。一九五〇(昭和二五)年末の状況を一九五一(昭和二六)年『郡中町勢要覧』で見ると第182表のとおりである。
 開館日数 三〇〇日
 閲覧人員 男一四二人、女九五四人、計一、〇九六人
 経  費 昭和二五年度予算五万円

 伊予市立図書館の開館 
 郡中公民館図書部は公民館長大元茂一郎の町当局に対する熱心な働きかけもあって、昭和三〇年度には、予算も年間二〇万円となり、蔵書も一、九一八冊となった。昭和三二年度は、市立図書館の準備が軌道に乗り、一九五八(昭和三三)年七月に伊予市立図書館の開館を見た。初代館長は公民館長の兼任で、県下の公共図書館として一四番目であった。

 図書館活動の活発化 
 大元茂一郎は、読書指導に意欲を燃やし、その編になる「読書のすすめ」は、次々とガリ版印刷されて、遠く久万町や広田村などにも多くの読者を得て、発行部数は一、〇〇〇部近くにも達した。一流のユニークな文章で、幅広い図書の紹介を行った。図書の冊数も次第に増加し、昭和三六年度には、蔵書六、七一八冊、年間購入六一四冊、館内利用四、二七六人、館外利用六、九七七人と画期的な発展を示した。一九六六(昭和四一)年、図書館は新築の市民会館二階に移り、館長は社会教育課長の兼任となった。一九六九(昭和四四)年、利用者の要望により二階から一階に移された。

第182表 郡中町立図書館の状況

第182表 郡中町立図書館の状況