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伊予市誌

4 幼児教育

 郡中町では、天草種庚によって一八九六(明治二九)年五月一日、私立郡中幼稚園が発足したが、一九〇四(明治三七)年廃止された。
 一九〇一(明治三四)年、郡中小学校に幼稚園が付設されたが、わずか三年後の同三七年二月、日露戦争による経費節約のために尋常科一、二年の二部授業が開始され、これまで併置していた幼稚園は廃止された。
 一九二六(大正一五)年四月一日、近松虎三によって郡中保育園が開設された。教諭資格者がいなかったので、保育園と称したが、幼児教育を目的としたもので、旧郡中町役場横のキリスト教会を借り受けて開園した。その後、園舎は転々としたが、一九三一(昭和六)年郡中町米湊安広に園舎を新築し、一時就園児は一〇〇人を超えた。戦時中は近松国民保育所と改めたが、戦争が激しくなるに及んでついに閉鎖した。