データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

伊予市誌

1 青年団の発展

 活動の活発化 
 明治時代の終わりに結成された青年団活動は、大正時代にはいってから活発化してきた。北山崎村青年会を例にとってみると、同会の普通団員は一八〇人、名誉顧問四〇人、会長は創立以来の山崎隆三郎(北山崎小学校長)であった。主な事業は、会報の発行(毎月一回)、夜学会、巡回文庫、養魚、農業講習会、郡有山の下草刈り、大正天皇大典記念植樹、春季運動会、父母懇談会、祭典神輿かきの請負、図書・新聞・雑誌の購読、風儀矯正、共同貯金、児童少年の保護指導、公務補助(納税・衛生・勧業・学齢児童の就学・生徒出席督促及道路工事修繕等)などで、まことに多彩であった。規律は厳正で、年齢の上下の別なく協同団結して事にあたったため、青年の風紀は急速に改まり、伊予郡の模範と称せられた。

 青年団の設置標準 
 一九一五(大正四)年愛媛県は、政府の訓令及び次官通牒を受けて、青年団設置標準を郡市町村長に示した。それは次のようであった。青年団体は青少年の修養機関で、国家の進運を扶助する精神と素質の養成を目的とすること。義務教育修了者若しくはこれと同年齢以上の者をもって組織し、最高年齢は二〇歳を原則とすること。市町村を区域として組織するのを原則とすること。指導者は小学校長か市町村長、又は名望家に当たらせ、市町村吏員・学校職員・警察官・在郷軍人・神職・僧侶・篤志者を指導員とすること。経費はつとめて団員の勤労による収入をもって支弁することなどである。一九一六(大正五)年九月、郡中地方の青年団体の状況は第163表のとおりである。
 これを見ると、青年会の組織は明治時代末期と変わりがない。会長はすべて町村長である。

第163表 青年団体の状況

第163表 青年団体の状況