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伊予市誌

1 伊予郡立実業学校の創設

 実業教育の発展 
 第一次世界大戦を契機として、我が国の産業特に工業は飛躍的に発展した。このような近代産業の形成の過程に対応して、実業教育もまた急激な発展をみた。

 伊予郡立実業学校の設立 
 伊予郡の中心である郡中町は、松山市との交通が便利なために、進学希望者は松山市の諸学校に通学していて、郡内には中等学校が存在しなかった。伊予郡長山脇一次は、高等小学校生徒を収容する乙種実業学校の設置を計画し、郡会の議決を経て、郡中町に建設の準備を進めた。
 一九一八(大正七)年五月三日伊予郡立実業学校設立の認可を得、翌日公示された。山脇が校長事務取扱に就任し、同月一四日に女子部の開校式を郡役所階上で挙行した。このときの生徒定員は五〇人、修業年限は二か年であった。授業は郡中尋常高等小学校の校舎の一部を使用した。続いて同年一二月一五日に、二年制の男子部が定員五〇人で開校された。郡役所階上を仮教室とした。
 一九一九(大正八)年、郡中村下吾川に女子部校舎が完成し移転した。男子部は翌一九二〇(大正九)年一〇月から本校に移った。
 一九二一(大正一〇)年、郡役所の廃止に伴い、郡立校であったこの学校は廃校か存続かの岐路に立った。結局関係者の努力によって県立に移管することになり、翌年愛媛県立伊予実業学校と改称した。
 一九二二(大正一一)年五月、本館・講堂・寄宿舎の落成に続き、一九二三(大正一二)年には、校舎敷地・運動場・実習地計一万三、二八五平方m(三、八三九坪)を購入、更に実習他八九六平方m(二八〇坪)を買い入れ、実業学校としての体制を整えた(『伊予農業高校創立五十周年記念誌』)。