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伊予市誌

2 学校建築の拡充

 校舎の改築 
 明治初年に建てられた学校の建物は老朽化した。明治時代末期に小学校六年までが義務制となったために児童生徒の増加があった。こうした理由によって、大正時代は校舎の改築が盛んに行われた。校舎改築の類型としては、玄関を正門近くに設け、前庭をほとんどなくして、屋外運動場を校舎の背面か側面に設けた。そして特別教室、運動場の整備、実業教育の発展と社会的要請による理科室・音楽室・手工室が設けられた。運動場も拡張され、肋木・はんとう棒・平行棒などが設備された。
 松本小学校 一九一三(大正二)年九月、総工費二、五二六円で普通教室を三教室及び物置きを増築した。総坪数九九坪であった。このとき村民の負担力は極限に達していたので、やむを得ず県教育資金から四年償還で借り入れを行って建築費に当てた。
 一九二六(大正一五)年四月、これまで一、九六七平方m(約五九六坪)の運動場を四、八二一平方m(約一、四六一坪)に拡張した。
 郡中小学校 一九一七(大正六)年運動場を拡張、大正二年に校舎の大修理を行い、大正七年には玄関に向かって右側に校舎を増築した。
 伊予小学校 一九二〇(大正九)年に校舎一、一五八平方m(三六二坪)を副築し、一九二四(大正一三)年には唱歌室を廃して理科室を設置した。その後、学級増のため、一九二五(大正一四)年には裁縫室を廃して普通教室とした。一九二六(大正一五)年には、二年前に設立した理科室を廃して普通教室に当てた。