データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 資料編 考古

三八 相の谷古墳群(E〇八六・〇九四)

 今治市伊賀相の谷

 今治平野の北隅、海岸に近い所に一つの独立丘陵地がある。海岸にそうて延びる丘陵であるが、その南隅一帯につくられている古墳群で、標高六三・五mを後円部の頂上とする相の谷前方後円墳を中心に分布している。相の谷一号墳(前方後円墳)相の谷二号墳(前方後円墳)土壙墓、横穴式石室をもつ後期古墳などが分布している。昭和四一年(一九六六)宅地造成用の採土中、丘陵上に古墳が確認され、破壊寸前であることがわかった。そこで県教育委員会と今治市教育委員会が中心となって、一次、二次と二回にわたって調査を実施した。一次調査は破壊寸前になっている、相の谷一号古墳(前方後円墳)である。調査の結果、全長八二m、墳丘前方部高八・二六三m、後円部高一〇・五三m、前方部幅四〇m、後円部径五〇・二八mで、ほぼ二段築成になっている。古墳全体にわたり二段に葺石が〇・五一m幅でめぐっている。またその間に多くの埴輪片が検出された。古墳のくびれ部や谷間には河原石が多く検出され、かつての葺石であったことが考えられる。古墳の規模としては愛媛県下最大級となる。内部主体は竪穴式石室であった。全長七・一m、幅一・○八mで、板石(輝石安山岩)による小口積みがおこなわれていた。今治市にはなく、隣接する玉川町竜岡地区に見られるものに属する。天井石はすでになく、石室の側壁も六~七割壊れ、高さは正確には計れなかった。しかし現状から見て、高さは底面から一m以上あり持送式にせり出していたと考えられる。床面も板石を敷いていたと思われるがかく乱のため確認しがたい。石室は花崗岩の地山を掘り下げた土壙に、底面に約一五㎝大の栗石を敷き、その上に玉砂利の大小のものを置き、その上に板石を置き、これを粘土で覆っている。その上に木棺を置いたものと思われる。遺物は長軸側壁の台石の内部にせり出している石の上に置かれていたようだが、これもかく乱されており、原位置はわかりにくい。出土遺物は墳丘より、円筒埴輪や朝顔埴輪の破片、鋸歯文や竹管文のある埴輪片、墳丘くびれ部より山坏や鼎の脚を検出した。石室内部より、銅鏡、鉄剣、直刀、刀子、鉄斧、鉇、その他鉄器片を多数検出した。当墳における二次調査は昭和四二年三月におこなわれた。調査は主に墳丘の究明であった。また東尾根などの古墳調査をおこなった。相の谷前方後円墳においては東側でも段を検出し、直径約五〇㎝大の埴輪基底部も、地山面に掘り込み、その上に立てているのが確認された。石室床面も調査したが、床面下の粘土層中、その他より若干の遺物を検出した。最も著しいものは銅鏡のだ竜鏡で多くの朱が付着していた。その他鉄剣・刀子・先状円錐銅製品などが検出された。以上、相の谷一号墳における発掘調査経過と遺構、出土遺物について述べてきたが、当古墳の重要性は、計り知れない。一号前方後円墳の南側、稜線続きに位置する第一〇号古墳は、石室のほとんどが壊れた古墳で、横穴式石室を内蔵していた。石室は基底面の石が残る程度であった。遺物として、須恵器八、金環一、銅環一、直刀片一、鉄斧二、鉄鎌一、管玉一〇、ガラス玉一〇、土玉三〇、馬具一、が出土した。前方部東北尾根つづきに残存していた第七号古墳は、天井石は欠如していたが石室はほぼ残っていた。横穴式石室で壁面は六段残っていた。遺物として、須恵器一〇、鉄剣一、刀子二、鉄鏃多数、鉄鋤一、鉄鎌二、馬具一、管玉八、小玉多数が出土した。第八号古墳は崩れかけた稜線に、少し石室を残した古墳で、石室は横穴式石室であった。第九号墳は、第八号古墳に近接してつくられている箱式石棺であるが、ここに近接して二基の土壙墓が発見されたので、箱式石棺を九号墳の一、他の土壙墓を九号墳の二、九号墳の三と呼称している。九号墳の一は、崩れかけた稜線に位置し、少し壊れていた。遺物としては銅鏡を出土した。他に勾玉一、管玉二、小玉一七が出土した。銅鏡は破片で二枚検出された。両方ともに平縁の穿孔された破片であった。土壙墓の九号墳の二より、やりがんな一、鉄剣一、鉄斧一が出土した。なお石棺の大きさは一八〇㎝×三八㎝で、内部には人骨も検出された。最後に一号前方後円墳はその主体部の石室構造に、当地方まれに見る特色をもち、半三角縁神獣鏡を出土し、また葺石をもち、二段築成によるその段上には、多くの土師器や埴輪片を残している。当古墳の時代は、古墳時代を前、後期に分かち、さらに四期に分けると、古墳前期の第二~三期頃に相当する。一号墳周辺の古墳群については、横穴式石室を内蔵する古墳は、六世紀頃となる。しかし、鏡を出土した箱式石棺や、近接する土壙墓は、唐子台遺跡群などから考えて、時代は古くなるものと思われる。相の谷一号墳はその規模からして県下一で、同様のつくり方の古墳は、大西町妙見山古墳や、北条市櫛玉比売命神社古墳などに散見できる。これらの古墳の立地は、唐子台遺跡群的ではなく、相の谷古墳群的である。築造法とともにその性格は広く、県下的な様相を示している。また今治地方においても、唐子台遺跡群とは、群としての性格が異なっており、地方としてもその性格は重要な位置を示している。古墳の姿は、平野からだけでなく、海上からもよく見えるので、周辺の海、及び島々との関連も重要になってくる。(八木武弘)