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愛媛県史 年表(平成元年2月28日発行)

中世〔貞和2(1346)~貞治6(1367)〕

【西暦(和暦・干支)】
  【月日】 【事項】

1346(貞和2 正平1 12.8・丙戌) 
  2―30   法善・道蜜ら、風早郡二神島八幡宮の大般若経を修理する〔同安養寺大般若経奥書〕。
  5―9   小早川道円、弓削島領家職を押領した事実のないことを述べる〔百合文書〕。
  7―22   南朝、忽那義範の軍忠を賞する〔忽那家文書〕。
  8―    この頃和気郡太山寺を修理する〔同寺古瓦銘〕。
  9―    賀茂御祖神社領桑村郡吉岡荘雑掌光雄、幕府に所領の返還を訴える〔賀茂社諸国神戸記〕。


1347(貞和3 正平2・丁亥) 
  3―22   南朝方、温泉郡の垣生四郎兵衛尉、同彦五郎に軍勢催促状を発し、ついで寺町氏、忽那義範にも発する〔忽那家文書〕。
  5―20   清巽、円満寺の寺務職を能寂寺にまかせる〔能寂寺文書〕。
  5―22   四国・中国の海賊、日向・薩摩を襲撃する〔薩藩旧記〕。
  7―2   南朝方、忽那島長隆寺領の侵犯停止を命じる〔長隆寺文書〕。
  7―    東福寺の所領目録が作られその中に和気郡吉原荘が見える〔東福寺文書〕。
  8―9   足利直義、南朝方を討つため河野通盛に出兵を命じる〔徴古雑抄〕。
  9―9   越智一族、観念寺のために師壇契約状を結ぶ〔観念寺文書〕。
  10―7   懐良親王、阿蘇性時に挙兵を促す。
  10―    伊予国衙内の税所、得分免田を注進する〔国分寺文書〕。
  11―16   公文代覚阿・道雲寺権別当某、観念寺に1町の田地を寄進する〔観念寺文書〕。
  11―27   円忠(姓不明)越智郡拝志郷内恒光名内の田地を国分寺に去り渡す〔国分寺文書〕。
  この年   『後三年合戦絵詞』成る。


1348(貞和4 正平3・戊子) 
  3―8   地頭橘資義、越智郡桜井郷内の田地を国分寺・国分尼寺に去り渡す〔国分寺文書〕。
  4―1   忽那義範、北朝方の讃岐国塩飽島の城郭を攻略する〔忽那家文書〕。
  5―14   後村上天皇、忽那義範の軍忠を賞する〔忽那家文書〕。
  9―27   南朝方平高顕、忽那義範に周防国柱島地頭職・領家職を安堵する〔忽那家文書〕。
  11―10   東寺、供僧弘雅に弓削島荘鯨方所務職を、供僧定潤に同荘串方所務職を与える〔百合文書〕。
  12―9   田所紀氏、越智郡国友名内の田地を三島神社の封戸田として越智貞実に宛て行う〔大山積神社文書〕。
  12―18   備後国福山明王院五重塔成る。


1349(貞和5 正平4・己丑) 
  2―21   伊予国が国役を進済せぬため、崇光天皇の即位礼が延びる〔園太暦〕。
  3―9   後村上天皇、忽那義範に備後国灰田郷地頭職を与えて勲功を賞する〔忽那家文書〕。
  3―12   久米久則、桑村左衛門入道に桑村郡内の畠地を売却する〔観念寺文書〕。
  6―4   幕府、東寺雑掌光信の訴えによって金子善喜らに命じ弓削島領家職を光信に沙汰付ける〔百合文書〕。
  6―11   足利尊氏ら四条河原の橋勧進田楽を見物、桟敷が倒れ死傷者が多数でる。
  6―18   越智盛員、周敷郡池田郷得恒名内の麦田1反を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。
  7―2   足利尊氏、少弐資経に宇摩郡津根荘内寒川村の替わりとして、豊前国長副村地頭職を与える〔筑紫古文書追加〕。
  8―22   南朝方相模守某、忽那島長隆寺長誉に住持職を安堵する〔忽那家文書〕。
  9―10   足利尊氏、足利直冬討伐を計る。
  9―10   幕府に反した足利直冬に従うものが伊予国にあると伝えられる〔園太暦〕。
  9―19   東寺、弓削島で小早川弾正忠らが乱暴するのを停止するよう幕府に訴える〔百合文書〕。
  10―    弓削島荘公文平義幹ら、幕府使者の弓削島入部に要した費用の勘定書を注進し、ついで12月にも注進する〔百合文書〕。
  11―    倉戸堯舜、弓削島雑掌職を東寺に要求する〔百合文書〕。
  12―14   後村上天皇、忽那義範の周防国大島郡屋代島での戦功を賞する〔忽那家文書〕。


1350(観応1 2.27 正平5・庚寅) 
  2―16   南朝方兵部卿親王、義範に周防国長野郷地頭職3分の2を与える〔忽那家文書〕。
  2―17   河野通盛、伊予国守護職となる〔予章記〕。
  2―    嶋山祖覚、観念寺に寺領を寄進する〔観念寺文書〕。
  7―28   足利直冬、忽那義範を勧誘する〔忽那家文書〕。
  8―4   越智一族、大通寺・宗昌寺の規式を定める〔宗昌寺文書〕。
  10―28   足利尊氏、直冬追討のため高師直らを率い京都を出発する。
  10―    足利直義、秘かに大和国へ赴く。
  11―3   足利直義、高師直および同師泰を討とうとして河野通盛に出兵を求める。ついで11―15にも求める〔築山本〕。
  11―20   足利直冬方の重季、義範に兵糧料所として得丸保地頭職を預ける〔忽那家文書〕。
  11―    足利尊氏、直冬を討伐するためたびたび河野通盛に出兵を求める〔予章記〕。
  12―6   足利尊氏、河野通盛に久米郡内の闕所および玉生出作の地頭職を与える〔臼杵稲葉文書〕。
  12―24   足利直義、高師直・同師泰を討つために河野通盛に出兵を求める〔築山本〕。
  12―25   足利直冬、周防の内藤徳益丸(盛世)代審覚に成吉別府などの地頭職を安堵する〔閥閲録〕。
  12―26   足利直冬、忽那義範の軍忠を賞する〔忽那家文書〕。


1351(観応2 正平6・辛卯) 
  1―13   足利直冬方の沙彌某、忽那義範の軍忠を賞する〔忽那家文書〕。
  2―3   足利直冬方の左衛門蔵人某、観念寺の寺領を安堵し兵士らの乱暴を止めさせる〔観念寺文書〕。
  2―11   足利義詮、河野通盛に伊予国守護職および通信の旧領を安堵し出兵を求める〔予章記〕。
  2―17   前壱岐守(河野通遠)、越智郡能寂寺領内で兵士らの乱暴を禁ずる〔能寂寺文書〕。
  2―18   土居通景、伊予郡得丸保の地頭職を八幡宮に寄進する〔高忍日売神社文書〕。
  2―20   足利尊氏・直義が講和する。
  3―8   南朝方兵部卿親王、忽那重勝の功労を賞する〔忽那家文書〕。
  3―15   越智氏女あかせら、桑村郡内の所領を観念寺に売却する、つづいて田地を売却する〔観念寺文書〕。
  3―15   足利直冬、河野通盛に伊予国守護職を安堵する〔臼杵稲葉文書〕。
  6―13   幕府、武士の寺社本所領押領につき罰法を制定する。
  6―17   足利義詮、河野通朝に禅昌寺宮領の新居郡井於荘等を雑掌に確保させるように命ずる〔臼杵稲葉文書〕。
  6―26   細川清氏、安国寺造営の功によって伊予守に任ぜられる〔園太暦〕。
  8―    足利尊氏、直義の北国下向を伝えたびたび河野通盛の上京を促す〔予章記〕。
  11―4   足利尊氏、直義追討のため京都を出発する。
  11―7   南朝、崇光天皇を廃す(正平一統)。
  11―    越智成俊、桑村郡内の田地を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。


1353(文和1 9.27 正平7・壬辰) 
  3―10   足利義詮、近江国から京都に向う途中河野通盛の上洛を求める。ついで細川政氏も通盛の上洛を促す〔築山本〕。
  4―17   南朝方某、国分寺山の伐採を禁ずる〔国分寺文書〕。
  4―19   足利義詮、河野通盛の戦功を賞して出兵を促す〔長州河野文書〕。
  4―28   足利義詮、河野通盛に石清水八幡に籠る南朝方退治のために出兵を求める〔長州河野文書〕。
  5―    足利義詮、河野通盛に石清水八幡の南朝方敗北を報じる〔長州河野文書〕。
  6―15   宇都宮貞泰(蓮智)、喜多郡西禅寺に年貢を寄進する。つづいて同寺の規式を定める〔西禅寺文書〕。
  6―    東寺雑掌光信、小早川一族の押領を止めて弓削島荘を東寺に知行させるよう幕府に訴える〔百合文書〕。
  7―4   幕府、伊予国守護河野通盛に命じて安芸の小早川一族が弓削島荘で乱暴するのを止めさせる〔百合文書〕。
  7―24   幕府、近江・美濃・尾張3国の所領当年貢米の半分を兵糧米とする(半済令の発布)。
  12―28   足利義詮、河野通盛に命じて温泉郡味酒山から湯並城・奈古居城に逃れた南朝方を攻撃させる〔長州河野文書〕。
  12―    入道尊円親王、『門葉記』を選進する。


1353(文和2 正平8・癸巳) 
  1―21   久米義清、母親慈阿禅尼のため桑村郡内の田畠を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。
  4―15   源義尚、和気郡の田地を三島神社に寄進する〔大山積神社文書〕。
  5―20   越智通成、周敷郡北条郷内の田地を観念寺に売却する〔観念寺文書〕。     
  8―9   越智信高、観念寺領を安堵する〔観念寺文書〕。
  11―14   新居蓮心・清忠、桑村郡内の田地を新居元心に譲渡する〔観念寺文書〕。


1354(文和3 正平9・甲午) 
  2―2   足利義詮、河野通盛・通朝に喜多郡の南朝方の城を攻撃させる〔尊経閣文庫所蔵文書〕。
  4―23   僧智本、桑村郡古田郷の田地を観念寺に去り渡す〔観念寺文書〕。
  6―7   後光厳天皇、綸旨を発して佐々木道誉に宇摩郡近井郷・新居郡垣生郷の所領を安堵する〔佐々木文書〕。
  8―20   足利義詮、河野通朝を名国司に推挙する〔予章記〕。
  10―16   細川頼之、国分寺領内で兵士らの乱暴を止めさせる〔国分寺文書〕。
  10―26   足利尊氏、新居郡保国寺に祈禱を行わせる〔保国寺文書〕。
  12―14   越智性通ら、得恒名内の田畠を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。


1355(文和4 正平10・乙未) 
  2―25   尼宗円、桑村郡古田郷内の田地を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。
  8―26   遠江守某、観念寺領での乱暴を禁止する〔観念寺文書〕。


1356(延文1 3.28 正平11・丙申) 
  3―9   足利直冬、安芸国到着を知らせ忽那義範に出兵を求める〔忽那家文書〕。
  3―25   二条良基ら、『菟玖波集』を撰進する。
  7―25   越智信高、桑村郡内の山野地を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。
  9―4   幕府、守護細川頼之に対して、安芸国小泉氏平が弓削島荘で乱暴するのを止めるよう命じる〔百合文書〕。
  9―14   細川頼之、国分寺に越智郡桜井郷内の所領を寄進する〔国分寺文書〕。
  10―15   越智あかせ、桑村郡恒光名内の田地を観念寺長老に売却する〔観念寺文書〕。
  11―8   後光厳天皇、綸旨を発して、東寺に弓削島荘などを安堵する〔東寺文書〕。


1357(延文2 正平12・丁酉) 
  1―23   けんあみたふ、田地をとし四郎に譲渡する〔善応寺文書〕。
  6―18   左衛門尉忠弘、長隆寺に田畠を寄進する〔長隆寺文書〕。
  8―21   足利義詮、小早川氏平の弓削島荘での乱暴を止めさせるよう細川頼之に伝える〔百合文書〕。
  9―14   通勝(姓不明)、観念寺領を安堵する。つづいて基弘も安堵する〔観念寺文書〕。
  10―3   越智信高、観念寺に所領を寄進する〔観念寺文書〕。


1358(延文3 正平13・戊戌)  
  7―8   坂上有重、宇和郡善光寺の薬師如来像を造らせる〔善光寺薬師仏胎内銘〕。
  12―11   揖斐(土岐)祐康、浮穴郡浄瑠璃寺を修理し、月峯円和尚に寄進する〔大徳寺文書〕。
  12―29   足利直冬、忽那則平の安芸における功労を賞する〔忽那家文書〕。


1359(延文4 正平14・己亥) 
  5―    ほうけん作の久米郡三島神社木造随身立像が造られる〔同像墨書銘〕。
  7―8   源氏女・越智信高、桑村郡内貞乗名の田畠を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。
  12―23   足利義詮、南朝方と対戦するため京都を出発し、河野一族これに従軍する〔太平記〕。


1360(延文5 正平15・庚子) 
  2―9   誓元、桑村郡内の恒光名などの田畠を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。
  2―25   伊予国司、観念寺の寺領を安堵する〔観念寺文書〕。
  3―2   越後守通居、桑村郡吉岡荘内の山野を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。
  4―28   足利義詮、河野通盛に孫通行の南朝方討伐の功労に対する感状を与える〔予章記〕。


1361(康安1 3.29 正平16・辛丑) 
  4―14   良尊、風早郡二神八幡宮で大般若経を信読する〔安養寺大般若経奥書〕。
  4―17   越智兼氏、池田郷得恒名内の田畠を観念寺に売却する〔観念寺文書〕。
  9―18   紀則氏、能寂寺に越智郡内の土地を去り渡す〔能寂寺文書〕。
  10―6   越智資俊、宇和郡高田八幡宮の社領を安堵する〔高田八幡神社文書〕。
  11―10   越智行増、山野を観念寺に寄進する〔観念寺文書〕。
  12―8   南朝軍が京都に迫り、足利義詮は後光厳天皇を奉じ近江国に逃れる。
  12―9   頼高・秀道、新居殿の寄進した桑村郡内得恒名の山野を観念寺に打ち渡す〔観念寺文書〕。
  この年   風早郡宗昌寺木造大蟲禅師坐像が造られる〔同像墨書銘〕。


1362(貞治1 9.23 正平17・壬寅) 
  1―13   細川清氏、四国に赴く。
  3―12   越智性通・同成忠、得恒名の田地を観念寺に売却する〔観念寺文書〕。
  3―13   足利義詮、河野通盛に細川頼之と相談して同清氏を討伐するように命ずる〔臼杵稲葉文書〕。
  4―2   細川頼之、河野通盛に伊予国守護職および旧領安堵の旨を伝える〔予章記〕。
  4―8   観念寺住持鉄牛継印、同寺の寺領注文を作成する〔観念寺文書〕。
  7―29   河野通盛、観念寺に禁制を掲げる〔観念寺文書〕。
  11―14   河野通遠、観念寺の寺領を安堵する〔観念寺文書〕。
  11―16   高実(姓不明)、喜多郡西禅寺に粟津郷内の所領を寄進する〔西禅寺文書〕。
  11―18   足利義詮、丹波国に派兵し山名時氏討伐を計る。
  12―24   河野通盛、善応寺に越智郡久松地頭職・風早郡河野土居分地頭職を寄進する〔善応寺文書〕。
  この年   風早郡宗昌寺木造文殊菩薩坐像が造られる〔同像墨書銘〕。
  この年   四辻善成、『河海抄』成る。


1363(貞治2 正平18・癸卯) 
 閏1―17   足利義詮、河野通盛に細川頼之と協力して足利直冬を討つよう命じる〔尊経閣文庫所蔵文書〕。
  2―12   河野通盛、所領を子通朝に譲る〔臼杵稲葉文書〕。
  4―16   河野通盛、温泉郡湯山などの地頭職を善応寺に寄進する〔善応寺文書〕。
  6―1   河野通盛、風早郡河野郷の田地を善応寺に寄進する〔善応寺文書〕。
  この頃   足利直冬が備後国より逃走、山名時氏は幕府に降る。
  11―22   越智守綱、三島神社に弓を奉納する〔大山祇神社所蔵弓銘〕。
  11―24   高実(姓不明)、喜多郡西禅寺の年貢を請負う〔西禅寺文書〕。


1364(貞治3 正平19・甲辰) 
  3―3   河野通盛、新居郡西条荘菊壱名を善応寺に寄進する〔善応寺文書〕。
  3―6   左衛門尉資重、観念寺に田地を寄進する〔観念寺文書〕。
  5―3   足利義詮、河野通盛の願いにより善応寺を諸山の列に加える〔善応寺文書〕。
  7―1   西園寺公重、宇和荘などを実長に譲る〔西園寺家記録〕。
  7―5   河野通盛、善応寺住持職を南山士雲門徒の支配にまかせる旨の置文を定める〔善応寺文書〕。
  11―6   河野通朝、讃岐の細川頼之の軍と世田山城で戦って敗死する〔築山本〕。
  11―26   河野通盛没する〔善応寺縁起〕。
  この年   風早郡宗昌寺に開山大蟲宗岑3回忌の宝篋印塔が造られる〔同塔台座銘〕。


1365(貞治4 正平20・乙巳) 
  1―11   風早郡忽那島に六地蔵の塔婆が造られる〔同塔婆銘〕。
  1―27   河野通堯、湯築城に細川天竺禅門を攻撃する〔予章記〕。
  2―5   幕府、伊予国らに春日神社造営の棟別銭を課する〔春日神社文書〕。
  4―16   細川頼之が、河野通堯を攻めて高縄山城を陥れ、通堯は安芸国能美島に逃れる〔予章記〕。
  5―10   懐良親王、河野通堯の帰順をゆるし伊予国守護職および所領を安堵する。ついで通堯、大宰府に行き懐良親王に会い名を通直と改める〔河野通直文書〕。
  7―1   元雲、観念寺に田地を寄進する〔観念寺文書〕。


1366(貞治5 正平21・丙午) 
  1―28   家氏(姓不明)、国分寺に越智郡拝志郷内恒光名の田地を安堵する〔国分寺文書〕。
  5―22   征西将軍懐良親王、河野通直に命じて、四国・中国の武家方を討伐させる〔築山本〕。
  9―3   後村上天皇、河野通直に通信以来の本領および惣領職を安堵する〔河野家(通堯)文書〕。
  9―5   南北両朝講和の風聞がある。
  12―8   細川頼之、能寂寺などに禁制を掲げる〔能寂寺文書〕。


1367(貞治6 正平22・丁未) 
  2―9   河野一族、豊後国から宇和郡に帰る〔予陽本〕。
  2―    高麗使が入京、倭寇禁圧を要請する。
  7―8   実高(姓不明)、桑村郡得恒名の田地を観念寺領と交換する〔観念寺文書〕。
  12―2   清原政家、桑原郡内の土地を観念寺領とする〔観念寺文書〕。
  12―    河野通直、忽那重澄を南朝方に誘う〔忽那家文書〕。