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愛媛県史 近世 上(昭和61年1月31日発行)

二 新谷藩領と家臣団の形成

 新谷領郷村

 大洲藩の内分によって成立した新谷藩一万石の領地についてみよう。図二-37の大洲・新谷藩領図にみられるように新谷領の特色は、村単位の飛地として大洲領内に散在していることである。このような領地分布の形態をもつ藩は、全国でも少数であろう。内分問題が解決した寛永一七年ころから、村別抽選によって大洲領郷村の内から一村単位で、逐次新谷領郷村に編入したものと思われる。形成された新谷領郷村の村名・石高を、「慶安元年伊予国知行高郷村数帳」によって表二-62にまとめてみよう。
 この表のうち、伊予郡大平村と浮穴郡麻生村とは、加藤出羽守・加藤織部の二領主の相知となっていた関係から、それぞれの領主名と石高が併記されていたので、新谷領分のみを記した。なお伊予郡黒田村は、寛永一二年の松山・大洲両藩の交換(替地)の際、石高合わせのため村を分割して、四六二石余を松山領とし、二〇八石余を大洲領としたが、分知により大洲領分は新谷領分となった。

 大洲領との村替

 上述のように郷村分付が行われた後は、大洲領・新谷領ともに村域についての変更はみられなかった。ところが各村落間で、農業用水についての利害の対立がおこり、ことに領分相異の村落間では激しい紛争がおこった。紛争を緩和解決する手段として、関係村落を同一領分内の村とするいわゆる村替が行われた。以下その事例をあげよう。
 伊予郡黒田村は、大谷川を挾んだ村域をもつ大洲藩領の下三谷村の川下にあって、出水の度ごとに水防について紛争がおこり、調停に悩んだ大洲・新谷両藩の間で、村替が計画された。黒田村を分知以前のとおり大洲領とし、その代わりに大洲領浮穴郡大南村内を新谷領とする案が幕府の許可を得、天明二年(一七八二)から実施された。
 文化六年(一八〇九)六月、旱魃で用水欠乏の折柄、宇和島藩領平地村竹之窪に設置されていた井関からの分水について、西岸の新谷領阿蔵村と東岸の大洲領大洲村との間で紛争が起こった。大洲村民が宇和島藩八幡浜代官所の分水許可がおりたとして、阿蔵村の方へ引水していた井関をせき止め、自村へ水を流した。これは古くからの分水法に違反したとして、阿蔵村民は大洲村民が築いた井関を開け、これを阻止しようとする大洲村民との間に紛争がおこり、阿蔵村民八〇余人と大洲村民三〇余人とが井関を挾んで対峙するという騒動に発展した。翌七年四月、大洲藩は大洲・新谷・宇和島三藩示談合意の上ということで、政治的に処理しようとして、裁許文書を阿蔵村民に示したが、同年七月またまた旱魃水不足となり、裁許に対する解釈の食い違いで、紛争が再燃した。阿蔵村民は必死の覚悟で分水の適正化を新谷藩当局に訴え、新谷藩は大洲藩と折衝を重ね、同年一〇月事件はようやく落着し、一年五か月にわたった水論は解決した。
 同一井関から支配の違う阿蔵・大洲の両村が分水していたことが、この紛争を激化させた原因のひとつと考えた大洲・新谷両藩当局は、左の通り村替を協議し、水論解決三か年後の文化九年四月幕府から村替が許可された。

 新谷領から大洲領へ 阿蔵村・梅ノ川村
 大洲領から新谷領へ 一木村・北山村・大南村内

 新谷家臣団の形成

 新谷家臣団は、大洲藩家臣団の中から分知によって分割され、新たに形成されたものである。第一回の分付は、元和九年(一六二三)で、分割人員は、給人身分の家臣二七名で、総知行高は四、七五〇石としている(新谷加藤家伝記)。しかしこの時期については、前述のとおり内分の話がはじまったばかりの段階で、分割人数・知行高がこれほどはっきり定められる筈もない。おそらく後で書かれたものであろうか。大洲藩士であった中江与右衛門(藤樹)は、寛永九年(一六三二)改めて百石取の新谷藩士となり、内分付の中に属し、寛永一一年脱藩するまで新谷藩士であったという(藤樹先生年譜)。
 寛永一六年内分についての紛争解決後、正式に新谷藩へ分割するいわゆる「新谷越」の給人数三一人(抽選による)・知行高四、九二〇石をきめたようである。「佐伯本加藤家御伝記」によると表二-63のようであった。
 これら新谷藩発足当初の家臣団は、その後時代の推移につれ変化する。「大洲秘録第四巻新谷御家中」によって享保一二年(一七二七)~天明五年(一七八五)の家臣団の状況を記そう(表二-64)。
 これら家臣団の主要役職を「大洲秘録第四巻新谷御家中」によってみると表二-65のようになる。

表2-62 新谷領諸村

表2-62 新谷領諸村


表2-63 新谷藩成立期の給人

表2-63 新谷藩成立期の給人


表2-64 江戸中期の新谷藩家臣団

表2-64 江戸中期の新谷藩家臣団


表2-65 新谷藩行政組織

表2-65 新谷藩行政組織


図二-44 新谷藩主系譜

図二-44 新谷藩主系譜