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愛媛県史 古代Ⅱ・中世(昭和59年3月31日発行)

一 国郡制

 大宝律令の制定

 律令国家の基本的な枠組は大化の改新以後、天武・持統朝の諸改革を通じて急速に整備された。そして、名実ともに律令国家が完成するのは大宝元年(七〇一)の大宝律令の制定によってである。これによってわが国ではじめて全国を一元的に支配できる中央集権体制が確立した。
 この律令体制の成立によって、全国は畿内・七道に分けられ、伊予国は南海道に所属することになった。そして、全国の国は四等級に区分され、大国・上国・中国・下国と定められたが、伊予国はそのうちの上国であった。この伊予国の等級は、天平八年(七三六)の伊予国正税出挙帳(正倉院文書・一)によってまず確認され、ついで一〇世紀初めに成立したとされる『延喜式』にも同じようにみえ、長く続いたもののようである。
上国の場合、国司として守(従五位相当)・介(従六位上)・椽(従七位上)・目(従八位下)を各一名ずつ配置し、さらに、これらの下に史生・医師・博士などが付属しており、国衙官人層を形成していた。
 そして、伊予国にはその下部組織として一四郡が設置され、それぞれに郡司がおかれた。さらに、郡の下部組織として里を設置し、原則的には五〇戸で一里が形成された。このように大宝律令の成立は地方行政の面で国郡里制の成立をもたらし、この制度によって、中央集権的な支配が地方の末端にまで及ぶことになった。

 郷里制

 大宝律令の戸令によれば、地方行政の最も基本的な単位として里がおかれている。ただ、五〇戸=一里制の国家的収取体系は、大宝律令に始まるものではなく、それ以前にも存在していた。藤原京出土木簡には「伊予国久米評□□天山里人宮末呂」とあり、このような某里人の下に個人名を記載する方法は飛鳥浄御原令制下の特徴であることからみて、大宝律令成立以前に里制の存在していたことは確実である。
 この里には里長が一名おかれ、地方行政組織の末端を担っていた。里長の役割は、戸口の調査・農業の励行・賦役の催促などであり、重要な任務が与えられていた。それゆえ、その任用にあたってもかなり重要な位置づけがなされていた。戸令によれば、白丁の「清正強幹者」を原則とするが、時には八位以下の下級有位者も任用の対象とされた。郡司の大領が外従八位上、少領が外従八位下であり、里長の場合と大きな相違はみられないことからその重要性をうかがうことができる。
 しかしながら、この里制は霊亀元年(七一五)には早くも廃止され、かわって新たに郷里制が成立した。これによって、五〇戸は郷と変更され、さらにその郷を二~三に分割して小単位の里をおいた。ところが、この郷里制は天平一一年(七三九)から翌年にかけて姿を消すのである。すなわち、郷の下にあった里が廃止され、その名称もまた消滅した。この結果、郷制というべき行政組織が成立することとなった。郷里制の存続期間は、わずか二五年という短期間となるが、この小単位の里が廃されたのは、おそらくこの制度の実施が地方行政組織を繁雑にする結果となったためと考えられる。
 つぎに、伊予国の郷里制についてみると、『律書残篇』に、伊予国には六八郷、一九一里があったと記されている。この数字は、さきにみたように郷が二~三に分割されたことを示している。そして、郷里制の廃止以後、平安期に編纂された『和名類聚抄』(以下『和名抄』と略記する)には里の記載はなく、七二郷のみが記されている。そして、この郷名をみると、現在の地名と一致しているものが多いことから、この郷が長く古代の地方行政組織としての意味を持ち続けたものと考えられる。
 また、同書にみえる七二郷を地域別にみると東予・中予地域に集中している。これは古代伊予各地の生産力水準を反映したものであろう。

 郡の設置

 大宝律令の成立に伴って国の下部組織として郡が設置された。伊予国は当初一三郡であったが、のち貞観八年(八六六)に喜多郡が宇和郡から分立して一四郡となった(三代実録)。これらの郡は五等級に分けられ、大郡は二〇里~一六里、上郡は一五里~一二里、中郡は一一里~八里、下郡は七里~四里、小郡は三里~二里とされた。伊予国に設置された郡には大郡・上郡はなく、全体的に小規模な郡が多かった。中郡は越智郡のみで、下郡には宇摩・新居(神野)・周敷・野間・風早・和気・温泉・浮穴・伊予・喜多・宇和の一一郡があり、小郡は桑村・久米の二郡であった。
 ところで、これらの郡には行政官として郡司がおかれたが、郡司の定員は一定でなく、郡の等級によって違いがあった。つまり、中郡の越智郡には、大領・少領・主政・主帳がそれぞれ一名ずつおかれ、小郡である桑村・久米郡には、少領と主政の二名、その他の下郡には、大領・少領・主政の三名がおかれた。

表2-1 『和名類聚妙』にみえる伊予国の郡郷

表2-1 『和名類聚妙』にみえる伊予国の郡郷