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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

8 衣類と服飾品

 織物

 弥生中期の県内の遺跡で、当時の衣生活をうかがうことのできる資料はきわめて乏しい。しかし、松山市の文京・姫塚・砥部町の水満田の各遺跡やその他から多くの紡錘車が発見されているので、この時期に織物の生産が人口増加に伴って盛んになったことは明らかである。残念なのは衣類はすべて植物性や動物性であるため腐食が速く、その資料が残らない性質のものであるので、最もその実態の究明が遅れている。衣類については『魏志』の「倭人伝」などによると、貫頭衣に近いものであったのであろう。

 装身具

 衣類に関連する装飾品は、縄文時代に比較すると弥生時代は意外に貧弱である。しかし、当時の弥生人が全く装飾をしなかったのかというとそうでもない。例えば釈迦面山遺跡の住居跡内や北久米遺跡の住居跡内からガラス製の小玉が出土していること、八幡浜市愛宕山遺跡から蛇紋岩製の小形勾玉と土製管玉が、北条市菖蒲が谷遺跡から有孔垂飾品が、谷田Ⅲ遺跡から石製環状垂飾品が、さらに文京・拾町・水満田・西野Ⅰ・西野Ⅲの各遺跡から土玉が出土していることは、これらをペンダントないしはネックレスとして使用していたものといえる。