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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

3 平城貝塚からの人骨と埋葬

 貝塚に葬られた仰臥伸展葬

 昭和二九年(一九五四)の第一次調査から、昭和四七年(一九七二)の第三次調査に至るあいだ、頭蓋約一〇体分、下顎骨片二点、鎖骨以下全身一体分、未成人骨二体が検出されたという。縄文後期での社会規制を知る重要な側面であるだけに、第四次調査(昭和五六)の成果を期待するとともに、今後の精査を待ちたい。
 ここでは、第一次調査のA地域(2―66)で検出された人骨出土状況について若干触れるに留めたい。
 人骨は、貝層の表土から約マイナス一メートルの基層上に、上半身を水平にし、頭を東南にとり全く静かな仰臥の姿勢をとり、両腕は身に密接して伸ばし、両肩から手首のあたりまで拳大の石が並べられていた。なお、頭蓋の左下寄りに頭部よりやや大きい石が存在したものの、頭部はこれにのらず、隣接して置かれたのかもしれない。
 歯牙は完全にそろい、この遺体については抜歯の習が行われたとは考えられなかった。また熟年男子との鑑定がなされているものの、腰骨以下の下半身を欠如していた。したがって、仰臥屈葬か仰臥伸展葬かの区別はつき難い。おそらく、過去の建築などの際、何らかの理由で逸失したものと考えられる。
 埋葬については、上黒岩岩陰遺跡第四層(縄文早期)期から、集落の内部に共同墓地を形成しており、この期にもそのことは引きつがれているのであろうか。さらにこの期には、まだ一般化はしないものの、抜歯・屈葬という特色のある埋葬形態が目立ちはじめるのであり、今後に多くの究明の余地が残されている。

平城貝塚の略図

平城貝塚の略図