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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

4 上黒岩岩陰遺跡からの線刻礫

 川原石にきざまれた人物像

 上黒岩岩陰遺跡の第九層、細隆線文土器に伴う線刻礫人物像、及び第六層の無文土器出土層での線刻礫は広く知られるところである。第九層でのそれは、第三次調査までの七点に、第四次調査でのB・C発掘区の資料が加えられているが、ここでは第三次調査のものを中心にしてまず述べよう。
 緑泥片岩の長さ約五センチ程度、扁平な川原石を素材とし、これに線刻を施したいわゆる岩偶で、うち二個は頭部から顔の両側に分けた頭髪と、その下部に数段の鋸歯状の沈線文が付されたものであるが、他の二個は顔面の両側にふり分けた頭髪の下に、U字状の沈線が二つならんで刻まれている。おそらくこれは乳房を示していると考えられる。さらにその下部には腰蓑状と想定される不規則な線刻が付されている。この腰蓑状の画かれた一には腰蓑状の沈線の中央に逆三角形が刻まれているが、これは女性のデルタ地帯を示すものであろうか。顔面の彫刻は省略されているが上記の二個は明らかに女性像であり、他の二個は童児像かと想定されている。背面での線刻はまれで、波状沈線をもつものが一~二存したにとどまる。
 つぎに上黒岩第六層のものは、細長い長さ二五センチほどの厚味のある緑泥片岩川原岩を利用して、細く淡い鋸歯状の沈線を、片面のほとんど全面に刻んだものである。しかしよく観察すると、上部の顔面と思われる部分は文様をほとんど刻まず、中心より若干さがった部位で中央部を真直ぐ下へ八ミリ内外文を刻まない部分がある。すなわち下半は足を示していると考えられる。文様の刻みかたが、第九層と第六層ではかなり異なるが、これも一種の岩偶であり、緑泥片岩の川原石を使用し線刻という点では共通性が見出される。
 石または骨に線刻して人とか獣類を刻む手法は、後期旧石器時代の後半にユーラシア大陸のかなり広範な地域にみられた現象であり、このような文化がユーラシア大陸の東縁部に接するわが日本列島にも、旧石時代文化の最末期ともみられる土器始源期に、大陸東縁部のいずれかの地域から伝播したものと推察されている。