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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

1 上黒岩岩陰遺跡

 遺跡の位置

上黒岩岩陰遺跡の行政的位置は、上浮穴郡美川村上黒岩字二番耕地六六〇番の二である。海抜は三九七メートルで、久万川の現河床面との比高約一〇メートルを示す。
 本遺跡は、土佐湾にそそぐ仁淀川の上流、渓谷美をほこる面河川と久万川の合流地点(御三戸)をさらに約二キロさかのぼった久万川の右岸、高さ約二〇メートルの屏風状に切り立った石灰岩壁の岩陰部に位置する。

 発掘調査の成果

 発掘調査は昭和三六年(一九六一)一〇月の第一次、昭和三七年(一九六二)七月と一〇月に第二次・第三次、昭和四四年(一九六九)八月の第四次、昭和四五年(一九七〇)一一月の最終調査を通じ、前後五次にわたって実施された。その間、第二次調査以降は日本考古学協会洞穴遺跡調査特別委員会の事業としても採り上げられている。
 調査の経過のあらましを、発掘地区概要図(2―39)をもとに述べよう。第一次は遺跡の概要の把握と後の発掘計画立案のための調査であった。第二次調査は第一トレンチから第四トレンチまでの試掘及びD地区の発掘(C地区との境界断面で基準点から深さ七メートルに至るまでの堆積層序を確認)第三次調査はC地区第九層までの発掘(ただし、B地区を永久保存区として取り残すこととなり、次回の作業を考慮してC地区南東部分のわずかを残置)及びA地区北東部の第四層下底面までの発掘(一部は第五層までの掘り下げを実施)、第四次はA地区第五層から第八層までの掘り下げ、さらにはA拡張区を設定し第四層下底面までの発掘、第一トレンチ内のE区の再確認とFトレンチを設定しての発掘、またC地区の残置部が雨水等によりえぐり取られたため、やむなくB・C発掘区を設けての発掘であった。
 第五次調査は、A拡張区第五層以下の発掘及びA地区第九層の調査と遺跡全面の整理、さらに保存のためのアクリル樹脂加工の作業、これらをもってすべての調査が終了したのであった。
 本遺跡の堆積層序については、図示するに留め(2―40)細かな説明を省きたい。
 出土遺物については、層序との関連を持たせ第一次から第三次調査分までを一括して先に、第四次調査分を後に述べることにしたい。
 第一層は表土層で土師器が発見され第二層からは黒土BⅡ式土器を含む縄文晩期土器と若干の縄文後期土器、第三層からは縄文前期初頭の九州轟式併行の土器、瀬戸内の羽島下層式併行土器の出土(後に県下においては中津川式土器として総括される)、第四層はカワニナ貝殻を多量に含む上部黒土層で、縄文早期中葉の押型文土器片(後に上黒岩Ⅲ式土器とされる)と厚手無文土器(後に県下において土壇原式土器と呼称され、香川県蔦島式土器に併行する)が検出された。また礫器、鍬形(石)鏃、磨石などの石器、また骨角器の出土もみた。特にA地区での中形犬二頭の埋葬骨、約一〇体以上もの集積埋葬人骨の存在が注目され、岩陰最奥部は埋葬地に選定されたものと理解された。さらには、これら埋葬された人々のものと想定される多量の装身具も採集され、イモガイ、マルツノガイ、タカラガイを加工した貝製垂飾品、サメの脊椎を材料とした垂飾品、鹿角製のヘアーピン状有孔角針、さらには耳栓と、その種類も豊富である。また集積人骨中央部からの美麗なチャート製の大形鍬形(石)鏃は、埋葬時の副葬品と考えられた。この層からの動物遺体については、前節で触れた。
 石灰岩を主体とする上部破砕礫層の第五層は、無遺物層である。
 第六層(Cの14乗の測定で一〇〇八五±三二〇B.Pの数値が出された)は、第四層同様にカワニナ貝殻を含む黒土層々あるが、この層からは、縄文早期前半に位置づけられる薄手無文の土器(上黒岩Ⅱ式土器)、ほぼ正三角形状を呈する始源期の石鏃、緑泥片岩の線刻像、光沢を持つ原石から成る有孔垂飾品の出土をみた。また第一次調査の試掘で採集の、二孔を持つ線刻板状垂飾品(2―41)も、この六層からのものと推定されている。
 無遺物層たる第七層・第八層をはさんでの第九層からは、すでに述べた細隆線文土器(上黒岩Ⅰ式土器)、緑泥片岩製の線刻人物像、多量の有舌尖頭器、木葉状尖頭器、杏仁状尖頭器、石錐、各種の掻器、礫器、局部磨製石斧などの出土をみた。
 つぎに昭和四四年(一九六九)の第四次調査での出土遺物の概略をみよう。
 B・C発掘区においては、その位置からも当然従前の様相とほぼ同様で、その第九層からは細隆線文土器、有舌尖頭器、緑泥片岩製線刻人物像、多量の動物遺体などの資料の増加をみたが、特にこの調査においては、赤褐色砂岩製の砥石、いわゆる矢柄研磨器の資料が付加された。
 A拡張区においては、頭部のみは改葬された形を示す成人女性の右側臥位の屈葬骨が発見されたのを始め、成人骨男二、幼児骨一などが収納された。この成人骨二の内のひとつは、その腰骨にシカの脛骨製のヘラ状骨製品が突き刺っており、その類例の少なさの上からも注目された。
 A地区第五層から第八層までの掘り下げを実施した第四次調査において、特に留意さるべきことは、A地区堆積層序が他地区とは異なることである。すなわち第六層下部につながる第二破砕礫層・第七層が全く欠落し、第八層中にバンド状に存在していた黄褐色土が、ここでは四〇―五〇センチの層厚で堆積し、文化層たる第七層を形成していた。この黄褐色土層は、時期的には第六層と第九層の中間期に位置すると考えられ、ここからは第九層のものと若干形態を異にする有舌尖頭器、それに小形石鏃が共伴して出土し、石鏃始源期について微妙な問題を提起した。
 第四次調査でのFトレンチは、その基盤が北西に傾斜し、南方台上北西斜面からの流出や落ちこみの存在も想定された。ここからは、従来検出されていた縄文土器のほかに、若干の大形楕円押型文土器(県下では穴神Ⅱ式土器と呼称される)、凸帯付刺突文土器(中津川式土器と呼ぶ)が検出された。
 本遺跡はその重要性に鑑み、昭和四六年(一九七一)五月国指定の史跡とされた。

2-39 上黒岩遺跡発掘地区概要図

2-39 上黒岩遺跡発掘地区概要図


2-40 上黒岩遺跡の堆積層地図(C・D地区境界断面)第二次(1962)

2-40 上黒岩遺跡の堆積層地図(C・D地区境界断面)第二次(1962)