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愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

四 昭和前期の文化財行政

国宝保存法

 明治以来の文化財保護行政の基本とされてきた古社寺保存法に見直しを加え、従来の国宝指定適用範囲を社寺所有の宝物類以外にも拡大するとともに建造物にも適用させたのが、昭和四年三月二八日に公布された法律第一七号「国宝保存法」であった。その第一条により、「建造物、宝物その他の物件にして特に歴史の証徴または美術の模範と為るべきもの」が国宝保存会に諮問されたうえ国宝指定を受けることとなった。今日、一般に「旧国宝」と称しているものがこれである。なお、従前の特別保護建造物またぱ国宝資格があるものと定められていた物件は、そのまま国宝と見倣されることとなって古社寺保存法は廃止された。すなわち、文化財指定範囲の拡大と呼称を国宝と一本化したところにこの法律の大きな意味があったわげである。
 この国宝保存法を受けて県下では、新しく宇和島城天守および追手門(昭和九年一月)と松山城天守ほか三四件の櫓や門(昭和一〇年五月)が国宝に指定された。また愛媛県では、昭和四年一一月八日に「神社及寺院所有ノ国宝並補助金管理二関スル規定」(訓令第二九号)を定め、国宝の保管に万全を期すことや国宝建造物管理のための制札を建設すること、補助金の管理に関することを示している。国宝保存法の施行に伴い、明治四〇年の訓令二五号を改正したものであった。
 ところで、昭和初年に愛媛県社寺兵事課では、県内の神社における特殊神事および行事の概要を、名称・祭日儀式・神賑・歌謡・氏子崇敬者との関係・由来伝説に区分して調査し、同二年に『愛媛県に於ける特殊神事及行事』と題してまとめ上げた。そのなかには、現在、無形民俗文化財に指定されている民俗芸能なども相当数含まれ、この方面の保存伝承活動にも寄与した。

重要美術品

 国宝保存法の制定に引き続いて八年四月一日には、「重要美術品等ノ保存二関スル法律」(法律第四三号)が公布され、国宝を除く歴史上または美術上特に重要な価値を有すると認められる物件についても、これを保存の対象とすることとなった。同法は、重要美術品などの海外流出の危険防止を眼目としたものであったが、これによって文化財の範囲はさらに拡大されることとなり、図幅などに加えて石造美術も含められる。丹原町興隆寺の石造宝鏡印塔(一年一一月二八日指定)を初めとして、宮窪町友浦薬師堂・大三島町大山祇神社・今治市乗禅寺・同野間神社・魚島村亀井八幡神社・松山市石手寺などの宝鏡印塔や五輪塔の石造美術が昭和一〇年代後半に重要美術品の指定を受け、これらもようやく文化財としての地位を獲得した。ちなみに、これらの石造美術品は、のち二七年から三六年にかけていずれも重要文化財に指定されている。
 ともあれ、この法律によって国指定にかかる文化財(国宝)は、宝物・国宝建造物・重要美術品に三分類されることとなり、県下の昭和二〇年以前の指定数はそれぞれ四三件・四八件・三〇件であった。これに史蹟名勝天然紀念物二二件を加えると、合わせて一四三件の国指定物件が終戦前の本県に存したことになる。しかし、国宝建造物については、松山城で太鼓櫓や乾門など一一件、宇和島城追手門、今治市東禅寺薬師堂を戦災で焼失している。
 なお、愛媛県では、大正一三年に編集した『愛媛県史蹟名勝天然紀念物調査報告書』の改訂増補版を、昭和一三年に社寺兵事課より発刊している。新たに史蹟四件、天然紀念物一八件を増補したもので、二八六頁に及ぶ大部なものであった。

愛媛県史蹟名勝天然紀念物保存顕彰規程

 戦後まもない二二年一一月二五日、愛媛県では「愛媛県史蹟名勝天然紀念物保存顕彰規程」を告示した(告示第四四三号)。すなわち、大正八年の「史蹟名勝天然紀念物保存法」を受けて国によって指定された当該物のほかに必要があると認められたものを、所有者または管理者の申請によって知事が指定しようとするものであった。これによって従来、仮指定であったものが、愛媛県指定の史蹟名勝・天然紀念物として認定されていくこととなり、二三年一〇月二八日に第一回目として西条市の土居構跡など史蹟八件、中島町鎧掛松(枯死)など天然紀念物七件が指定されている。翌二四年度には、川之江市の向山古墳など史蹟六件、久万町の伊予だけ自生地ほか天然紀念物九件が第二次指定を受け、都合三〇件の県指定をみた。
 なお、愛媛県教育委員会社会教育課は、この二か年の指定分の概要をまとめ、文部省指定の二三件と合わせて二五年三月に『愛媛県史蹟名勝天然紀念物一覧』を刊行している。さらに翌二六年にも、二五年度分の一五件について続刊を出しているなど、積極的な行政を展開しているのであった。