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愛媛県史 学問・宗教(昭和60年3月31日発行)

二 愛媛方言分画の諸説

 県下に諸地域がある。これにともなって、県下(伊予)内部の地域性が生じている。
 まとまった存在と見られる大きな「愛媛方言」も、地方的な諸地域にしたがって、地方性・地域性を見せている。このことは、すでに上来、南予に、東予にと称して、私がものを申し述べたのによっても知られるとおりである。
 方言上、大きなまとまりのもとで、地方色・地域色が見られる時、方言分派がとらえられる。愛媛方言の地方的分派は、どのように理解されるものであろうか。
 その、分派の受けとりかた、区画づけ、分画には、すでに諸研究・諸説がある。
 杉山正世先生は、それらをつぎのように整理せられた。
 この愛媛県方言は東条教授、奥里将建氏によって東予・中予・南予(奥里氏は越智郡を中予区に入れることによって東条教授と見解を異にする。)の三方言区に区分して概観されたのであるが、その細部については、昭和7年藤原与一氏によって越智郡の島嶼部(生名・弓削・岩城・大三島)が中国の広島方言圏に属することが究明された後、昭和28年にいたって愛媛大学の武智正人氏は方言アクセントの分布を参照し、東中予陸地部・東中予島嶼部・肱川流域部・伊予西南部と4区分されたが、29年11月には語法現象を主とする時は、I東中予方言区(a東予区〈宇摩・新居・周桑と越智〉b中予区〈温泉・伊予・上浮穴〉)Ⅱ南予方言区(a宇和区〈宇和四郡〉、b大洲区〈喜多を中心に伊予・上浮穴の各西部・東宇和の中部以東〉)と2大区分する見解を表明された。杉山は、28年に、宇和島以南は高知県幡多郡の南西部とあわせて渭南方言区とし、阿讃予方言・土佐方言の地域と対位させ得ると指摘した。(高知大学の土居重俊氏はジ・ヂ・ズ・ヅの区別などから必ずしも独立させ得ないとする。)
 これより先、昭和15年、平山輝男氏は県下方言のアクセントの分布は主流アクセント地帯(東・中予)、一型アクセント地帯(喜多郡が中心)、特殊アクセント(1)地帯(西・東宇和郡の大部分)、特殊アクセント(2)地帯(北宇和郡の北東部)、標準アクセント地帯(宇和島以南)と区分できるとされた。昭和27年、大西久枝氏は音韻の観察にもとづき、東予地方・越智郡温泉郡島嶼部地方・中予地方・喜多郡と上浮穴郡南部地方・南予地方の五区分を試みられた。杉山も昭和29年、県下の方言アクセントが次のように10区分できることを明らかにした。甲種アクセント地帯(温泉郡と伊予郡の東部)、甲種系アクセント(1)地帯(上浮穴郡の大部分)、甲種系アクセント(2)地帯(周桑郡越智郡の陸地部)、甲種系アクセント(3)地帯(西・東宇和郡の大部分)、甲種系アクセント(4)地帯(宇摩郡新居郡)、大島式アクセント地帯(越智郡大島)、中国系乙種アクセント地帯(宇和島の北東部)、一型類似アクセント地帯(喜多郡を中心に)。
 これは、国立国語研究所報告16の『日本方言の記述的研究』(明治書院 昭和三四年一一月)に寄せられた、杉山先生の「愛媛県宇和島市」に見えるものである。
 江端義夫氏は、「愛媛県の方言」(講座方言学『中国四国地方の方言』 国書刊行会 昭和五七年一二月)で、「県内の地域差(区画)」の諸説を紹介していられる。
 提説はいずれも根拠のあるもの、それぞれが傾聴にあたいする。