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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

1 第一回県下郷土研究大会

 郷土史研究は各地にその隆盛をみるようになり、「伊豫史談会」は各地にその支部ができてきた。すなわち、今治史談会・波止浜郷土会・西宇和史談会・大洲史談会・上浮穴史談会・宇和島史談会・宇和史談会・西条史談会・南宇和史談会等である。そこで、これらをまとめる連合史談会事務所が県立図書館内に置かれるようになった。
 愛媛県連合史談会は昭和一四年二月、第一回県下郷土研究大会を開催した。この大会では、知事諮問事項「事変下ノ青年ヲシテ尊王愛国敬神崇祖ノ観念ヲ涵養セシムルニ郷土史ヲ如何二利用セシムベキカ」について討議を行った。
   「この問題については大体二つの方法があると思ふ。青年学校の国史の時間に郷土観念をうちこむことが一つ、いま一つはこれを卒へた青年を集めて一夜講習の如き方法によるのである」
   「敬神崇祖の思想を涵養する上にかつて乱暴なる神社の合併が全国を通じて行はれたことが甚だ悪るい影響をわが国民教育に与へてゐる、われわれ事変下の国民はもっと鎮守中心の郷土観念を復活せねばならぬ」
   「掃苔会展墓会といふやうなものを各地が行ふこと、なお各地でその地方の郷土史を編纂することなど必要」
   「皇紀二千六百年の記念事業として県下の著名人物二千六百名の事蹟を調査するといふ、さきほどの御計画も至極よろしくはないか」
   「郷土の研究若くは郷土史に対してこれに興味を感じてゐるのは各地とも多くは老人で、若い者は一向に共鳴しない、師範学校などでは郷土教育といふものをどういふ風に指導せんとしてゐるのであるか、私はつねに残念に思ってゐる」
 以上のような意見が出たが、結局この諮問事項の答申案起草は委員を選んで作成することになり、景浦・森・城戸・玉田・小林の五名が選定された。つづいて、この大会の宣言案を読みあげ、決議をしている。
     宣  言
   支那事変勃発してより我が義烈なる将兵は出でゝ聖戦の事に従ひ連捷以て国威を揚げ忠良なる国民は内に銃後の務を全うし精励以て非常時国民たるの好模範を示す是れ内外一致して国体精華顕現の美績を収めたるものにして誠に開国以来の盛事と謂ふべし熟ら惟ふに国体精華の顕現と云ひ日本精神の昂揚と云ひ日本固有文化の復活と云ひ建国思想の実現と云ふもそは要するに我が神聖なる国史の正しき理解と闡明の謂に外ならず我が国史を外にして豊に何処にか国家あり国体あらんや我等は茲に皇紀二千六百年を迎へ国威赫々大東亜の新秩序正に成らんとする秋に方り益国史を闡明して我が祖先の偉績の顕揚を期すると共に其の国史の根幹たる郷土の史実を研究し以て首尾本末の係る所を明らかにするの急務たることを痛感す依りて我が愛媛県連合史談会は全会一致一層奮励努力して史談報国の一路に邁進せんことを期す
     決  議
  一、愛媛県史編纂事業の速やかなる実現を期す
  一、伊予勤王神社の建設促進を期す
  一、愛媛県立郷土館の実現を期す
 郷土教育の実践者、森光繁は、『国民学校初等科四年 郷土観察の理論と実際』(昭和一五年一〇月発行)の中で、「郷土研究」について、「郷土を各方面から研究する事は結局は郷土生活の研究であり更に将来への示唆でなくてはならぬ、そこをぬきにした研究は骨董いじりに等しい」と述べているが、やや極論のようにも思える。