データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

1 郷土教育の展開

 昭和初期の小学校では、個性教育と郷土教育が展開された。個性教育は大正期の自由教育思潮の流れをくみ、同二年一一月の文部省による「児童生徒ノ個性尊重及職業指導二関スル件」などの個性尊重教育推進の訓令により、本県でも進展したのであるが、その実践は長くは続かなかった。郷土教育については、昭和初期から師範学校代用附属余土小学校(大正九年~昭和一〇年)を中心に数校が研究と実践にとりくんでいた。
 『愛媛教育』四八六号(昭和二年一一月一五日)に伊予郡岡田小学校大西堅九郎が「郷土に即したる公民科教授訓練方案」を発表している。「公民科教授の郷土化」では、教授方法の基調としては、郷土と言う与えられた環境に立脚点を置き、勤労・作業主義にのっとる方法を採らねばならない。すなわち、飽くまで具体的な彼等の生活を通しての体験にまでいたらさればならないとして次の五点を掲げている。
(1) 郷土は公民教授の出発点であって同時に帰着点である。
(2) 生徒をして常に自発的の立場に置きて調査・研究の衝に当らしめる。
(3) 時事資料は常に郷土との関係的に取扱ひて研究の資料に供へしめる。
(4) 郷土の発展的方面に留意して考察の態度を養ふことに努めしめる。
(5) 調査研究を為さしめる為めに次の様式によって自学せしめる。
 『愛媛教育』四八七号(同二年一二月五日)は、第七回研究大会号として、三つの問題を掲げているが、その一つが「如何にして農村に於ける小学校教育の使命を果たすべきか」であり、発表者は次の農村地域の五校である。
  南宇和郡平城小学校・東宇和郡宇和町小学校・喜多郡五十崎小学校・北宇和郡立間小学校・余土代用附属小学校
 これら五校の発表要旨は、「師範学校代用附属余土小学校」の項で述べることにする。
 その後、同五年ごろから文部省がこの教育に力を入れはじめたので、両師範学校附属小学校をはじめ県内市町村の小学校では、競って郷土室を設け、郷土調査を行い、郷土読本の編集にとりかかっている。文部省が郷土教育に注目した理由は、恐慌のために荒廃した農村を自力更生運動の方向で指導しようとする政府(農林省)の政策に結びつけ、郷土に立脚した教育の重要性に気付かせようとしたのである。つまり、郷土を正しく認識させるとともに、村おこしの意識の養成もねらったといえる。

郷土教育と中等学校

文部省においては、昭和二年(一九二七)八月にすでに全国に照会を発して郷土教育に関する調査をし、同五年度からは全国の各師範学校に対し郷土教育施設費の補助を支出している。
 更に同六年一月一〇日に中学校令施行規則が改正され中学校教授要目の全面改正をみている。そのなかの公民科については「教材中我が家、我が郷土、我が府県、我が国家等ノ題目ヲ選ビタルハ生徒ノ親熟シタル日常生活ノ事項トシテ之ヲ取扱ハンガ為ナリ」とある。翌七年二月一九日には高等女学校令施行規則中改正も行われ、新しく公民科を加え、それに伴う措置として公民科の教授要目も定められ、そこにも「教材中我が家、我が郷土、我が府県、我が国家等ノ題目ヲ選ビタルハ……」とあって、中学校教授要目と同文の新教材選択の趣旨が示され、郷土教育的傾向を認めることができる。
 いわば、郷土教育に関する施策の重点は中等教育に置かれていた。愛媛県で、中等学校の郷土教育の実践が表面化するのは昭和八年度である。同九年二月七日付の愛媛新報紙上にはその一端が次のように紹介されている。

   愛媛県下教育界では最近郷土教育の強調につとめ、各学校共熱心に研究してゐる、県教育課では、郷土教育の実情を調査すべく各学校へ報告を依頼してゐるが、各学校では実情調査を終え県へ送ってゐる、
   〈男子師範学校〉 △地理科担当星教諭は常に郷土研究に当り、現に雑誌『郷土と地理』に研究発表をなすこと数回に及ぶ、又上級生をして郷土研究の小冊子を作成せしむ、△博物科家事科担当教師、臨海魚族標本百余種類三百余点を作る、
   〈南宇和農業学校〉 郷土における歴史的遺物及動植物標品の募集、原始民遺物百余点、鎌倉時代古瓦五十余点、戦国時代兵器数点、植物動物標品百四十点、△郷土史講義、△郷土実地踏査、△氏神社参拝及墓地清掃、郷土愛主義の高調、
   〈西条農業学校〉 修身科、公民科等の教科には努めて教材を郷土にとる、△高学年の生徒には夏期休暇日の課題に各自町村の財政経済の実情を調査さす、△地理科、博物科に於ても郷土主義の強調に努める。
   〈今治高等女学校〉 書籍・地図・統計表・写真類の募集、△実物標品類の募集作成、△郷土読本の編纂(今治市教育部会の依嘱を受けて本校国語科教師が主任で編纂)、△口碑伝説の調査、
 〈大洲高等女学校〉 郷土地理、郷土史、先哲偉人、方言伝説の調査、△動植物標品の採集、△古代文化に関する講話、

師範学校代用附属余土小学校

愛媛県における郷土教育の研究と実践の本格的な出発は、師範学校代用附属余土小学校を会場として開催された昭和二年度の第七回愛媛教育研究大会からであった。そこで、この教育研究大会で主張された主要な郷土教育観をみると、まだ実践的な裏付けが乏しいために概念的で、未消化な郷土教育観に終始している状態であった。まず南宇和郡平城小学校の黒田権三郎は、

   由来我が国の教育は余りに画一主義であり中央集権的であった。国家に個性があると同時に地方には地方性があるわけである。だから吾人は国民として国家的に生きてゐる、其の反面には地方的環境の中に生を維持してゐるのであるから、教育の仕事が人間を対象としての精神指導であるからには教育の国家的統一は勿論必要なことではあるが、一方地方性に準じた力強い中味を持った地方的教育を実施して教育全面に一層の堅実味を加へることも亦緊要なる教育上の一部面である。地方の文化的向上発展は之即ち国家の進展を意味するものであって、全体の一部に対する関係であり、両者は相関的一のものである。私は確固不動の教育的信念のもとに健実なる教育の地方化を叫ぶものである。

としている。また、東宇和郡宇和町小学校の佐伯鷹義は、

   軟弱な児童に対して、量の上から羅列的な知識を注入し来たった教育は、過去の遺物として早く捨てねばならぬ。そして全一的な生活指導を根本とし、実際生活上能率の高い人間教育を標的として、進まねばならぬ。それが為には、次項に付き、精細な研究調査を遂げ、実際教育に活用すべきである。……(中略)……郷土には郷土としての色彩があり、郷土としての芳気がある。それが人心を支配して現在郷土の人物を作り、又将来の人物を養ふのである。此の個別性に基づいた教育法を探ることによって、優良な農民も機敏な商人も養成せられるのである。百聞不レ如二一見・、郷土の事象こそば、眼前に展開された活教材である。改正修身書には義農作兵衛翁を掲載されてあるが、かやうな教材は郷土の一異彩、大なる誇とし、特に農村教育に資する所がなくてはならぬ。 ○自然的事情 ○経済的関係 ○歴史的沿革 ○人情風俗 ○生活尺度 ○将来の趨勢 以上の研究は、精細になし遂げられることによって、各科の教授に、訓育に、将又学校経営上に、有効に利用せられ、それによって、郷土に対する真の理解を与へ、之を熱愛し、讃美し、延ては理想郷建設への道程をなし、祖国愛の精神をも涵養することが出来るのである。

と結論づけている。北宇和郡立間小学校の河野兵衛もまた数材の郷土化を主張し、

   教材の郷土化、これは遠く以前から八ヶ間敷云はれてゐる言葉である。即ち郷土を中心とし、郷土を出発点とし、郷  土の適応した教育方法を研究して児童教育の任に当る。……毎日の教授其のものは児童生活を確実にし、しかも児童生活を大ならしめて行かなければならないと思ふ。即ち教材の郷土化は可成児童の実生活に近よらしめるものであると思ふ。それで習った或るものは直ちに役立つやうにあらねばならん。只お座なり教授ではいかない。確実な精神を持った真面目な人間を養成すること、この心を以て卒業後も続けるやうに訓練せねばならぬ。

と述べている。

 こうした主張のなかにあって、全校を挙げて郷土教育の研究と実践に取り組んだのが師範学校代用附属余土小学校である。そして、第七回教育研究大会の席上で、その研究と実践との方向を次のように明らかにしている。

   今日の学校教育は大体に於て都市も農村も同様なる教育を施し、郷土に立脚したるー農村に於てはそれに即したるー教育が行はれてゐないといっても過言ではあるまい。吾人は教育なるものの本義に立還り、更に小学校教育の真使命を確認し、児童其のものの生ける姿を凝視し、且つはこれが背景たる社会の真相を洞察することに依って、日々の営為の上に、一段の光と力強さとを見出しつつまっしぐらに精進せねばならぬ。

と強調している。ここにおいて、余土小学校では教育方針として、児童の凝視、郷土に即する教育、勤労を通しての教育を打ち出し、「恰も農民が種子の性を視るが如くに児童を観、土壌を検するが如くに郷土を研究し、而して汗みどろとなりて培ふ事に余念なきものであらねばならぬ。茲に村当局との提携協調も父兄との連絡も期せずしてなり、一村を一団となす教育の一大雰囲気を捲起することが出来、所謂広き意味の環境整理となって現はれるのである」と理論づけている。更に余土小学校の具体的な郷土に即する教育方針をみると次のようである。

     郷土に即する教育
   郷土そのものを研究することにより児童教養上種々の暗示と諸多の材料とを得、真に彼等の生活に触れたる教育的活動を産まんとするものである。
    イ 郷土を理解せしむ
     1 美談、偉人の業績→郷土室
     2 事業 共同事業、耕地整理、日曜貯金、産業組合、農業倉庫、部落自治、消防組合、修身・国語・地理・国史・図画・手工・家事・裁縫等、凡て教育教授の上に常に郷土の材料を取来り以て児童徳性の涵養に資す。
    口 郷土発展繁栄案
     1 経済的方面の教育方法
       米麦作以外に養蚕、養鶏、或は温床による蔬菜栽培等の技能を練り副業の奨励をなす。
     2 科学的方法による生産活動に着眼
     3 家庭生活の改善を図る
       主として農業・手工・家事・裁縫等により右の如き方面に尽力し、ここに新しき余土村の建設をなさんとするものである。

 余土小学校ではその後も意欲的に郷土教育の研究と実践の推進に力をそそぎ、その成果はまず昭和四年三月の『愛媛教育』第五〇二号に「我が校に於ける郷土教育」と題して発表され、更に翌五年一〇月の『愛媛教育』第五二一号に「郷土に立脚した農業教育の理論と実際」・「吾校に於ける農業教育の経過と実際」・「施設の研究」などが発表された。続いて『愛媛教育』第五二二号をみると、それまでの余土小学校での実践の経過を集約した郷土教育特集号として編集されており、また『郷土教育の理論と実際』(昭和五年一一月一五日発行、松山堂書店)という書物にまとめられている。
 余土小学校の郷土教育の特色を探ってみると、郷土科というものは特設しないで、「現在吾等に課せられたる教育制度に立ちて、その教科の教授を実にせんがために、この教科の学習を徹底せんが為に之をこの郷土に立脚して教授して行くこと、即ちその教科学習の前提乃至予備又はその整理総括等方法上の問題を顧慮考究するとか、該教科教材の敷衍的資料或いは補充的教材とするとか、或いは代用的応用的材料とするなど方法上適切なる考究をなす」ところにみられた。また各教科の教材と郷土教育との関連を考慮に入れて、各教科ごとに精細な系統案を作成し、その展開にあたっては「児童凝視の原理」及び「勤労重視の原理」を採用している。
 このように余土小学校が郷土教育の実績をあげ得た背景には、教育の母体である模範村余土村の存在を忘れてはならない。この余土村を模範村にまで仕上げたのは、盲目村長森盲天外(恒太郎)(明治三一年~同四〇年、村長)の尽力に負うところが極めて大きいのであった。村つくりの実践は、昭和二年二月五目発刊の体験物語『我が村』(森盲天外)に詳しく載せられている。また、盲天外は青年教化のため道後に天心園を開いてその指導にあたっている。

郷土教育と師範学校附属小学校

愛媛県ばかりでなく、全国的な観点に立っても郷土教育分野では先進的な役割を果たした余土小学院に続いて、師範学校附属小学校においても、昭和三年四月に郷土科という教科目を設けて綿密な教授細目を定め、尋一から尋四までの特設科を設けて、一週間に一時間あての郷土教育の具体的な指導を試みており、その全容は同四年七月発刊の『愛媛教育』第五〇六号誌上にみることができる。郷土科の目的を「児童の生活に密接なる関係を有せる郷土の自然並に人事の現象を知悉了解せしめ児童生活の拡充を図り愛郷の念を養ふ」ことにおき、その教材の選択上留意した点については、「イ、児童の生活に最も密接なる自然物 ロ、郷土に於ける自然現象の一般 ハ、郷土の文化事業及之に貢献した人々 二、郷土人間生活並に風習 ホ、郷土精神を発揮した人々」という五項目にわたっており、その教材の配当上留意した点については、「イ、近より遠に易より難ヘ ロ、尋一は其の生活に近き動植物及理化的教材を主とす ハ、尋二及び尋三は動植物及び理化的教材を主とし地理的・歴史的教材を配す ニ、尋四は地理的・歴史的教材を主とす ホ、各学年を通じて郷土の人間生活並に風習を配す」という五項目にわたっている。そして郷土科実施上の一般的注意事項として、次の五項目が指摘されている。

  1 校外学習の場合は周到なる実地踏査をなし置く事、
  2 教材は個々に独立し居れ共、全科的なる取扱を主とし、他教科との綜合学習等に留意すること、
  3 自然物、自然現象等の取扱は、理科的直観にのみ終らず芸術的な見方をも加ふる事、
  4 本科実施上特に尋三、四に於ては、郷土館(附属並に本校)の利用を怠らず、時には郷土館に於て教授をなす事、
  5 校外教授は独自の目的を持つは勿論なれ共、本科実施上相互の連関には留意すること、

 こうして愛媛県では、年を追うごとに郷土教育の研究が盛んになり、各校で熱心に研究せられ実施せられていったが、その間の研究と実践を集約発表したのが、昭和六年(一九三一)一一月五日より七日にわたって師範学校附属小学校で開催された第一一回愛媛教育研究大会であった。そのとき、主催者の師範学校附属小学校が、郷土教育をこの教育研究大会の中心的課題に設定した理由を、「郷土教育の帰趨」と題して次のように掲げている。

   近時我が初等教育界に郷土教育の実施研究が余程盛となり、全国各地の真摯な実際家によって、各教科に於ける郷土化の研究や、教科としての特設研究、或は郷土そのものの踏査等の実際的研究あり、一方に教育出版界は挙げて論議発表し、又各地に郷土教育協議会の催など、可成深刻な所まで進んで来た様に思ひます。我が県下に於ても各郡市の郷土調査、余土校に於ける研究大会、近くは郷土教育座談会等により漸次その機運が勃興したと考へます。私共も郷土科を特設して三ヶ年は経ちましたが、遅々として進言ないことを遺憾に思ってゐます。今や実行期に入った郷土教育も、実際問題としては未だ幾多残された問題あり、益々その方途帰趨に迷ってゐることは恐らく偽らざる実感だと信じます。之れ本問題を選んだ所以であって、本大会に於ては、郷土教育の体系研究、郷土科内容の実際、一般教科教授郷土化の実際、郷土教育に於ける調査、特別施設の実際の問題を中心として研究論議し、以てその方案帰趨を見出し、真
実真摯な郷土教育建設の一助ともなればと念願する次第であります。

 次に同教育研究大会で報告された研究テーマを列挙する。

  我が校郷土教育の方針とその体系(男師附校 石村寛逸)、我が校の郷土科についで(男師附校 木村貞夫)、郷土読本及び郷土室に就いて(男師附校 大野稔)、独逸に於ける郷土教育の一端(男師附校 竹尾多賀之助)、郷土教育の真義=郷土に立脚した吾が校の教育(男師代附校 園部茂)、郷土教育の実施概況(宇和島第一校 古谷治郎)、我が校の郷土科施設の実際(松山味酒校 久保宇一)、郷土教育と郷土の気象(伊予郡岡田校 本田静雄)、我が校に於ける教育基調としての郷土研究(越智郡盛校 森光繁)、調査から更に一歩踏出さればならぬ郷土教育(周桑郡壬生川校 武田重作)

 ここで愛媛県下の郷土教育実践の定着状況をみる一端として、宇和島第一尋常高等小学校古谷治郎の「郷土教育の実施概況」についての報告をみることにする。

 市に於ける郷土教育にっきましては各校独特な計画、方法によって実施されてゐるのでありまして、……その実際を一瞥いたしますならば、大体次のやうになるかと思ひます。現在この科を郷土科といふ名目のもとに、特設してゐるところはないのでありまして、補材或ひは自然科といひ、週一時間の自習時間をこれに充て実施して居ります。吾が校に於ては一箇年四十時間でありまして、第一学期一五時間、第二学期一五時間、第三学期一〇時間といふことになってゐるのでありますが、勿論社会見学の時間数に重なる場合と、郊外教授としての遠足の如く全然別にされてゐる場合もあります。教授細目は郷土の地理歴史に関するものが出来てゐますが、これは郷土を総合的にまとめたものでありまして、唯単なる地理的の事象、歴史的事件の羅列ではないのであります。市内としては、まだ一定してはゐませんが、私は松山、宇和島、今治位の市でありますならば一定して差し支えはないと思ひます。所謂教育的郷土といふことを考へ
ます時、さうした方がよく精選せられたもの(細目其の他)が出来ると信ずるのであります。次にこのよりよき教育郷土的の縮小であるべき郷土室の問題でありますがこれも特設のものではなく、現在は剰余教室の利用でありまして、学齢児童の激増いたします当市としましては、永続的なものとすることが出来ないのを遺憾に思ふのであります。唯望をかける一事は伊達図書館の拡張とともに、宇和島として、南予としての郷土博物館が出来るとのことであります。然し郷土室はどうしても学校内に置くべきであると思ひます。講堂の一角を利用しても、応接室は狭くならうとも、図書室を間に合わせても尚その設備に力を注ぎたいと考へてゐます。
 私は理想としましては
   郷土博物館(一市・一町・一郷に設置 高次なもの)ー学校郷土室(各小学校に設置 普通なもの)―郷土此の他市内に於ける主なる研究を挙げてみますならば、
    ○郷土読本……総計四〇編(続々印刷の予定) O郷土に材料をとれる補充問題資料集 ○郷土暦……教科書と郷土の連絡を図る ○郷土の理科……分布地図作成、城山植物の研究 〇郷土講演……伊達図書館にて月二回等

 そして、同教育研究大会の最後を飾って、郷土教育の共通理解をもとめて奈良女子高等師範学校教授小川正行の「最近思潮と郷土教育」という講演が行われており、その内容すべては同七年二月発行の『愛媛教育』臨時号第五三八号誌上に掲載されているが、昭和六年一一月付の海南新聞にも小川の講演要旨が報道されているのでその要旨を次に引用する。

   従来の教育が画一教育であるとか形式的であるとかいふ声を聞くことが多いが、これはその土地の歴史や地理や社会にあてはまった所の教育を離れて同一教育を施す所から放たれる声であって、私はその土地で教はった者は大抵その土地の町村民になるものが多いのであるから、その土地に則した歴史や地理や社会にあてはまった教育をすることが必要であると思ってゐる。従来のやうなただ国家主義を鼓吹したばかりの教育では、将来発展の余地は少いと思ふ。国家教育のためには土地を離れることが出来ないと思ふのである。そこに郷土に適した教育が必要となり、郷土教育による地方の文化が恵まれて来ると信ずる。私が斯様な講演をすると国民教育の内容はもっと進取的なもので猫頭大の日本にとどまってゐるやうな教育振りは面白くないやうに思はれるといふやうな質問を発せられる方があるが、そんな事はない。郷土教育といふのは郷土に則した郷土の歴史なり地理なり社会なりを応用した教育を行ひ、そして従来の国家主義鼓吹の画一教育の殼を破った国民教育の内容を充実せしめたいといふので、かくて学校を出た者の多くがその地の市町村民になるに適した教育をなし、地方文化に貢献せしめたいといふのである。然し私の申述べる要旨をはき違へて郷土教育は進取的気象を裏切るものであるといふやうなお説を持つものがあるが、これは誤解であって、郷土に適した教育を施してもその郷土から外部へ発展しようといふ現象を養成することを、決して郷土教育によって束縛するものではない。益々国家的教育観念によってその意気を旺盛ならしめようといふのである。幸い本県は郷土教育には特別注意を払はれ現に郷土館など特設してゐる学校なども多く画一教育から離れて郷土に適したいはゆる郷土教育を施されてゐるのは誠に結構だとおもふ。

 こうして、郷土教育は時流にのって、その後ほぼ一〇年にわたりますます発展した。その間にあって顕著にみられた特色は、愛媛県教育会・各郡市主催の郷土教育研究会の開催と、多様な郷土読本の編集刊行であった。前者については昭和七年一二月二六日と二七日の両日に温泉郡部会が師範学校代用附属余土小学校を会場として郷土教育研究会を実施したところ、同部会員のほか他地域の部会よりも参会者があり約三〇〇名の盛況であった。後者にあっては、越智郡盛小学校や師範学校附属小学校をはじめとして各郡市で郷土読本が編集刊行され、堀田辰次郎らによる岩松小学校での郷土館の設置などからもその発展が裏付けられる。

表4-1 研究様式(カード)

表4-1 研究様式(カード)