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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

1 臨時教育会議と社会教育行政

 臨時教育会議一一項目答申

明治四四年の通俗教育調査委員会策定の方針にそって、各地で通俗講演会・幻燈会・各種展示会・通俗文庫等の社会教育事業・施設が一段と普及発展していった。こうした進展のなかで、大正七年(一九一八)七月、臨時教育会議が通俗教育の改善に関し、次の一一項目にわたる答申を行った。
 (一) 朝野関係各方面の連絡を保って通俗教育に関する事項を審議するため文部省に調査会を設置すること
 (二) 通俗教育に関する施設の計画および実行の任に当たるため文部省に主任官を置くこと
 (三) 地方団体および教育会その他の公益団体の協力を促しなるべく各地方にも通俗教育に関する主任者を置かしむること
 (四) 通俗教育に当たるべき者を養成するため相当の施設をなすこと
 (五) 善良な読物等の供給を豊かにするため積極的施設をなし、合わせて出版物の取締に関しいっそうの注意を加えること
 (六) 通俗図書館・博物館等の発達を促し、これに備え付けるべき図書および陳列品に関し、必要な注意を怠らないこと
 (七) 通俗講演会を奨励し、いっそう適切にすること
 (八) 活動写真その他の興行物の取締に関し、全国に及ぼすべき準則を設けること
 (九) 健全な和洋の音楽を奨励し、ことに俗謡の改善を図ること
 (一〇) 劇場寄席等の改善を図ること
 (一一) 学校外における体育上の施設を改善し、その普及を図るとともに、競技に伴う弊害を除くこと
 この答申以後社会教育は大いに振興された。大正デモクラシーの気運の高揚を背後に、近代的社会教育の動きが見えはじめた。この期間を、自主化振興期(明治四四年から昭和三年まで)と呼んでおこう。

 社会教育主事の設置

大正一〇年(一九二一)六月二三日文部省官制の改正が行われ、従来用いられていた「通俗教育」とい
う語が改められ「社会教育」となった。続いて同一三年一二月、文部省は「分課規程」を改正した。その時初めて、名実共に社会教育を主務とする社会教育課が公的に成立したのである。その事務分掌は、①図書館及博物館 ②青少年団体及処女会 ③成人教育 ④特殊教育 ⑤民衆娯楽 ⑥通俗図書認定 ⑦其ノ他ノ社会教育関係事項の七項目であった。社会教育はこれら七領域における事業を推進して行くことになった。
 こうした中央での新しい社会教育行政機構の設置に応じて、また先の臨時教育会議答申(三)に基づき、地方にも通俗教育(社会教育)を担当する主任官を置くこととなり、大正一四年一二月一四日地方社会教育職員制が定められたのである。多くの県でこの時から社会教育主事が設置されることになったが、本県ではすでに五年前の大正九年七月一六日に、独自に県庁内務部学務課内に社会教育を専務とする社会教育主事を置いていた。この点注目すべきであろう。その時の「社会教育主事職務規程」(県訓令第三七号)によれば、「第一条県二社会教育主事ヲ置ク、第二条 社会教育主事ハ上司ノ命ヲ承ケ左ノ職務二従事ス、一、通俗教育二関スル事項 二、青年団処女会並補習教育二関スル事項 三、生活改善思想善導二関スル事項 四、其の他社会教育上必要ナル事項」と定められていた。更に大正一〇年六月には二郡に社会教育専任吏員が配置されている。こうした動きからみて、当時本県においては相当社会教育に力が入れられていたといえそうである。

 県内図書館の増設

大正期は全国的に多くの図書館が設立された時期である。表3-3は明治四四年(一九一一)から昭和四年二九元)までの図書館の増加状況を見たものである。わずか一八年間に過ぎない期間に、約四五〇館から約四、五〇〇館へと一〇倍に増加している。その理由の一つとして大正初期には明治天皇聖徳を記念し、また大正天皇即位の御大典を記念して図書館・文庫の設立に取り組んだところが多かったためもある。その数は全国を通じて一、三七〇館に及んだといわれる。
 本県でも、この時期に数多くの図書館が設立されている。大正二年一二月愛媛教育協会明徳図書館(同一四年今治市立に移管)・同三年一月私立御成婚記念宇摩図書館・同四年愛媛教育協会新居部会図書文庫と愛媛教育協会喜多部会御大典記念図書館・同五年愛媛教育協会南宇和郡南宇和図書館・同六年一〇月愛媛教育協会伊予部会巡回文庫・同一三年二月町立三津浜図書館・同一五年四月私立川之石図書館が設立された。またその他各地方縦覧所・町村文庫・青年会巡回文庫等も次第にその数を増やしていた。以上のように本県にも図書館が数多く設立されたが、その大部分はまだ愛媛教育協会及びその部会の経営によるものであった。
 大正一二年度までの県内図書館の蔵書数及び利用状況をみてみよう。表3ー4のように、蔵書数で五、〇〇〇冊を超えていたのは愛媛教育協会記念図書館の三万六、三四〇冊、伊達図書館の一万四、〇九二冊、越智部会明徳図書館の七、五四〇冊の三館だけで、他は一、〇〇〇冊以下の蔵書数でしかなかった。また利用状況をみると、最も利用者の多い越智部会明徳図書館でも閲覧延人数二万六、六四八入で一日平均八四名でしかない。県内図書館の中心的な存在としての位置にあった愛媛教育協介記念図書館の場合、一回平均四九名の閲覧しかなかった。愛媛教育協会記念図書館の当時の状況を大正一〇年一〇月五日付の海南新聞は次のように指摘している。

 「秋も漸く酣となり読書の好時期となった。此の読書期となって松山市の図書館に足を運ぶ者は一日平均僅かに二七人しかいないとは心細い次第である、……(中略)……赤十字病院の近代的な洋風の玩具の様な建物を横目で睨んで二番町を東に上ると、右側に古典的な時代離れのした六間の四角のお宮かお寺の様な建物がある、門柱に愛媛教育協会図書館と大書してあるので、ハハァ之が松山唯一の図書館かと始めて肯かれる、五六段の階段を上って障子をあげると、昔の寺子屋式の机が少々高くなって囚人待合所に備へ付けてあるような木の椅子が置き並べてある……(中略)……これが松山市の図書館であると他郷の人に威張って紹介する事は出来ない、殊にその蔵書は僅かに三万四千冊であるといふから少し書籍を持って居るといふ個人の蔵書の半分にも足らない、……(中略)……要するに図書館を市営なり県営なりに改造して充分各人の要求に応じ得るだけの設備をしたならば、市民の読書力を進めるに非常に有益であると思われる、現在の位置でよいから改造して今少し多数の閲覧人を入れるに足るだけの設備と入場者を満足せしむるだけの蔵書が欲しい。」

 県社会教育案の作成

 なお、県は、大正九年一〇月には「愛媛県社会教育案」を定め、社会教育機関特設の趣旨・社会教育事業・社会教育機関と他の関係諸機関との連絡について明記し、社会教育に対する本格的な取り組みを示していったのである。

表3-3 図書館の増加状況

表3-3 図書館の増加状況


表3-4 大正12年度愛媛県内図書館の蔵書数と利用状況

表3-4 大正12年度愛媛県内図書館の蔵書数と利用状況