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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

五 精神薄弱教育の歩み①

 精神薄弱教育が行われたのは、明治二四年一二月一日に、石井亮一によって東京の聖女学院(後の滝乃川学園)が設立されたのを初めとしている。が、公立の学校として精神薄弱教育がなされるまでには、随分と年月を要し、昭和一五年六月二九日創立の大阪市立思斉学校を待だなければならない。しかし、その翌一六年五月の文部省令によって養護学級・養護学校の編制が規定されてから、急速に発展していった。
 そして、更に昭和二二年の新制度の教育が実施され、続いて同三一年六月、公立養護学校整備特別措置法が制定されたことにより、公立養護学校が次々と誕生するようになった。

 特殊学級

 学校教育法が昭和二二年に制定されているが、本県において特殊学級設置の気運は、同二二年の新制度の教育が実施されてからのことである。個人差に目を向けた教育の研究がカウンセリング活動の実践へと走り、他においては、コース別学習、特殊教育の実践となってきた。
 精神遅滞児率学業不振児の教育の必要性に目を向け、その対策を考え始めたのは、昭和二三年ころからで、こうした胎動が続いた後、川之江中学校では、同二五年九月に「特殊児童生徒相談部」を開設して精神遅滞児や学業不振児の教育相談に当たってきたが、翌年四月一日に「補導学級」と称して、本県初めての特殊学級が設置され、精神薄弱の生徒の指導が本格化した。続いて、同年九月一日、新居浜市立角野中学校内に特殊学級を設置し、「職業学級」と称し、木工を中心とした指導を行っている。
 その後の特殊学級設置校の状況は、表2-82のとおりである。
 設置校のほとんどは、精神薄弱特殊学級であるが、昭和二九年には松野西小学校の病虚弱特殊学級がある。
 昭和四○年ころから、障害に応じた教育が強く言われ、特殊学級も各種の障害者を対象とするものが設置されてきた。
 昭和五三年・五六年・五九年の特殊学級設置状況を障害の種別で表示(表2-83)し、参考としてみた。

 愛媛大学教育学部附属養護学校

 愛媛大学教育学部附属養護学校は、昭和四二年四月に同教育学部附属小学校に特殊学級一学級の設置認可があって、教官一名の配置をみたのが初めである。その時の入学児童は四名で、その後の編入二名を含め、六名で発足し、持田地区元愛媛大学文理学部図書室で授業を開始した。
 昭和四四年三月には、第一回卒業生を送り、同年四月には、教育学部附属中学校内に特殊学級の増設の認可がおりている。これよりさき昭和四三年四月に愛媛大学教育学部に養護学校教員養成課程(四年生)の設置をみていたが、その実習生が同四五年四月に第一回実習を開始している。
 こうして、年次ごとに充実してきた附属小・中学校の特殊学級は、昭和四七年四月に愛媛大学教育学部附属養護学校設置認可となり、初代校長浅海忠、教頭徳永弘通等職員一四名で、新校舎が持田町に落成、
開校に至ったのである。更に、昭和四八年四月には高等部の認可となり、名実ともに教育・研究(ひとりひとりを生かす教育の実践を求めて、障害の多様化に応ずる養護・訓練の指導等)・指導の場としての使命達成に日々精進している。

 愛媛県立第三養護学校

 文部省は、養護学校及び特殊学級の設置を促進するため、昭和三六年度を初年度とする五か年計画を策定したが、本県の精神薄弱児を対象とする養護学校の設置は、特殊学級設置に比較すると、ずっと立ち遅れていた。
 昭和四八年四月に至って、やっと県立第三養護学校の誕生をみた。前年の四月に県立第二養護学校(病虚弱児対象)の設置、それに伴って、愛媛養護学校(肢体不自由児対象)は、県立第一養護学校と改称。それに続いての第三養護学校である。この年四月に愛媛県教育委員会高校教育課内に特殊教育担当の指導主事一名が配置されているところをみると、遅ればせながら、特殊教育への熱の入れ方に拍車が掛かってきたようである。更に同四八年五月には県下の県立特殊学校の校長・教頭・事務長会を開催し、特殊教育の振興策が話し合われている。そしてこの精神薄弱教育も新しい時代を迎えたといえる。
 同四八年当時の学級一七、生徒数一一一名、職員数五三名であった。この設立を機に生徒数は、次の表2-84のように増加していった。
 昭和四五年四月からの養護学校義務制実施以来、特に増加していったが、第三養護学校に高等部が設置され、いっそうマンモス校となっていった。病弱虚弱教育の項でも述べたように愛媛病院内の重症心身障害児病棟の学齢児は、第三養護学校に籍を移し、訪問教師の指導を受けるようになった。一方、在宅訪問指導の教員が初年度は一一名だったのが、次年度は、二一名に増加している事実からも察ぜられるが、多様化・重度化・重複化の傾向は、この学校にも見られ、マンモス化の問題にあわせて、「養護・訓練の効果的なあり方」「職業教育のあり方」等を踏まえて研究や対策が急がれている。
 本県では、義務制発足に伴い、第三養護学校以外に昭和五四年四月に県立校及び分校が設置され、この教育を推進している。

 愛媛県立今治養護学校及び宇和養護学校

 第三養護学校のマンモス化傾向と義務制実施という流れに伴・て、東予及び南予地区に養護学校設置の声が高まってきた。
 その一校が、今治市桜井に設置された県立今治養護学校であり、他の一校が、東宇和郡宇和町に設置された県立宇和養護学校である。そして、それぞれに分校が併設されている。
 昭和五四年度当初の生徒数その他の状況は表2-85のとおりである。
 いずれの学校も分校も、養護学校学習指導要領によって、教育を営み、指導には工夫をしているが、教育は人であり、教員養成をし、教育の成果を得る努力を払うことが肝要である。
 幸い、愛媛県教育委員会は、事務局に障害児教育室を昭和五二年四月に設置し、更に同五七年四月に同室を障害児教育課に昇格させ、八名で運営し、教育の推進を図っている。また一方、同年四月には、愛媛県総合教育センター第三研修部に特殊教育研究室を併設し、室長外五名のスタッフで、特殊教育の研究・研修に精進している。
 教員養成については、その他愛媛大学教育学部に昭和四三年四月に設置された四年制の養護学校教員養成課程がある。

 施 設

 県内の精神薄弱児(者)施設においても教育と福祉を行っている。施設の大部分は、収容施設であるが、中には通勤施設や通園施設などもある。いずれの施設も精神薄弱児(者)一人一人の特性に応じて教育し、社会自立への道を歩ませている。しかしどの施設も入所対象が多様化・重度化・重複化し、全体の六〇%くらいの割合を占めている。従って教育の成果を得るには、職員の愛情・熱意・実践力がチームワークとともに強く望まれている。
 個々の実態・実状にあわせて、健康安全を基盤とし、生活基本習慣の自立を目指し、その上に適切な保護・訓練・治療等を計画的に継続的にかつ総合的に行い、適応行動を助長しているのが施設である。
 児童を対象とした施設には、養護学校の分校が併設されているが、学園及び分校の職員が連帯感をもって、対象児の教育に当たらないことには、その教育効果は十分ではない。
 なお、施設では、単に施設だけにとどまることなく、地域社会の福祉圏となり、地域交流しながら、福祉の成果をあげるなど今後の問題として特に考えなければならない点てある。
 県下の精神薄弱関係施設は、次の表の2-86のとおりである。

表2-82 年度別特殊学級設置校数

表2-82 年度別特殊学級設置校数


表2-83 特殊学級設置状況

表2-83 特殊学級設置状況


表2-84 県立第三養護学校の生徒数の動向

表2-84 県立第三養護学校の生徒数の動向


表2-85 養護学校及び分校の学級数・生徒数・職員数(昭和54年4月現在)

表2-85 養護学校及び分校の学級数・生徒数・職員数(昭和54年4月現在)