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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

3 大正期・昭和初期の学校行事

儀式については、大正期になっても特別な変化はない。ただ、昭和二年(一九二七)年になってそれまでの三大節に明治節を加えて、以後は四大節と呼ばれる。
 次に、大正期を迎えて脚光を浴びる学芸会・展覧会・音楽会などの行事がある。当時は講堂設備のない学校がほとんどで、教室の仕切りを除いて教室を打ち抜き、正面に応急の舞台を置くなどして学芸会場を造った。内容も教科の発表を中心としたものから劇や舞踊、合唱などを取り入れて多彩で楽しいものとなっていった。
 また、大正八・九年ごろから、夏季には林間学校、臨海学校が行われるようになった。今治第二小学校・越智郡波止浜小学校・宇摩郡金田小学校などに続いて、附属小学校では大正九年、二年生四二名を対象にした学級担任教師による林間学校を石手川堤防で約四〇日間試みている。翌一〇年には温泉郡東谷小学校でも附近の山で林間学校を開設した。
 なお、大正期から昭和期にかけて、毎年一二月一四日の夜には「義士会」の行事が行われており、四十七士にちなんだ講話や肝試しをしたあと全員で会食をするといった内容の活動が各地で行われた。