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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

1 修身教育

 学制と修身口授

明治五年(一八七二)学制の頒布と同時に趣旨を明らかにした「被仰出書」によると、教育を修身・開智・才芸に分けて、学校はこれらの三者を学ぶために設けるものであると書かれている。実学中心の教育観によって、寺子屋や藩校で行われた儒教主義教育観は姿を消し、道徳についても、価値を直接教えるものと、価値についての知識を教えることの二つのとらえ方をしている。
 一教科として登場した「修身」は、特別な地位を占めることなく、同年九月に出された「小学教則」によると、修身口授「一週二字即二日置キ二一字 民家童蒙解童教草書ヲ以テ教師ロツカラ綾々之ヲ説諭ス」と規定されている。同六年一一月に愛媛県が文部省に提出した七七校の設立届には、教則は文部省のものに従うとなっている。
 このころ、松山の啓蒙学校(現味酒小学校)に奉職していた桧垣伸は、当時の授業の様子を「修身なども教科書がないので、一週二回位の口授で済ましたものである。」と述懐している。
 本県の小学規則は、愛媛県師範学校長松本英忠の「小学規則」案に、県当局の内藤素行らが加筆修正して、明治九年一〇月に「愛媛県小学規則」として制定している。
 「上等小学教則」の場合は、新たに文法談・生理談・化学談・天文談が加えられており、下等・上等小学いずれも口授によるものである。
 同一一年三月には、権令岩村高俊の認可を受けて、甲乙二種の下等小学教則が出された。これによると、甲種課程では、口授は勧懲・養生・地理・歴史・持物などの談話を、乙種課程の口授では、勧懲などの談話を全級とも学ぶこととしている。
 教育方法は、寺子屋教育以来の伝統的な「口授」であって、教師用書に基づいた教師の一方的な「説諭」「講述」「講授」が中心であった。教師用書は欧米の翻訳教科書で、当時は欧米市民社会の道徳論が導入されている。修身口授の代表的な教師用書には、『泰西勧善訓蒙』『修身論』『童蒙教草』や江戸時代の流れをくむ道徳書『近世孝子伝』、女子用の教訓書『女教草』などがあり、徳目主義に基づいて、講談調で教えていたといわれている。
 久万学校規則によると、口授修身は、「教師生活ノ知識言行ノ進否ニヨリ適宜ニロ授スヘキモノトス、養生 同上、問答 問答ハ単語図ヲ用ヰテ諸物ノ性質及ヒ用ヰ方等ヲ問答ス」と指導方法を明記している。

 教育令制定と修身

明治一二年(一八七九)に教育令が制定されると、小学校の教科は「読書・習字・算数・地理・歴史・修身等ノ初歩トス」となり、学校教育てば知識を開くとともに、徳性を養う修身が登場することとなった。
 明治一三年に教育令が改正されると、小学校八年間のうち、初等科三年、中等科三年、高等科二年の全学年に修身科をおいて、その学科の程度を「初等科二於テハ主トシテ簡易ノ格言、事実等二就キ中等科二於テハ主トシテ梢高尚ノ格言、事実等二就テ児童ノ徳性ヲ涵養スベシ。又兼テ作法ヲ授ケンコトヲ要ス」と重視した方向を示し、教科書が重要な役割を持つようになってきた。
 同一四~一六年ころに使用された修身書を見ると、小学修身書一には「短章ハ、数条ヲ連帯シテ一日二授クルモ、長章ハ、数日の間二一章ヲ授クルモ亦可ナリ、教師 能 童子ノ天性ヲ測リテ之ヲ斟酌スベシ」と教授法を示している。また、修身児訓(亀谷 行著)に掲載されている徳目は、孝弟・養生・師友・学問及勉強・言語・容儀・躬行、小学校修身書六には、第三後期生徒の為、礼法・正直・慈愛・友愛・英断・細心が徳目としてあげられている。同一六年の新撰小学修身口授書一になると、礼儀の大意・元正天皇の勅・孔子の語・松平好房の孝行・万吉の孝行と説話の形で記述されているものを使用している。
 同一四年文部省より「小学校試験規則」が布達され、同一五年には愛媛県より「小学校生徒試験規則」が通達されている。同一八年の開明学校の試験問題綴によると、当時の教授内容を知ることができる。

  一 卒業試験問題 初等五級
  (一) 衣服ノ着様二礼アリ如何 (二) 朝ノ務如何 (三) 来客ヲ待ツ心得如何 (四) 我身ノ衣服ノミニクキヲ笑フモノアルトキハ如何スベキヤ (五) 張子房ノハナシ
二 中等第二級
  (一) 富トカトノ関係如何 (二) 親二事フル際惟々色ヲ難シトストハ何故 (三) 人ノ痛悔二問テ翻テ善人トナルモノアルハ何故 (四) 我ガ身心ノ和平無事ヲ欲セバ如何セバ可ナルヤ (五) 「メラクトン」及英王「アルクレット」ノ時間ヲ惜ミシ話
三 中等第三級
  (一) 白楽天ハ雙燕ノ詩ノ真意如何 (二) 学問ノ真価ヲ問フ (三) 相互ノ行状ハ相互二浸潤シテ終二第ニノ性トナルト果シテ然ラバ結友ノ注意如何 (四) 慈愛ノ詳解 (五) 岡野左内ノ略伝人ト為リヲ問フ

 中学校の修身

学制の公布によって、中学校が創設されることになり、旧城下町に、英学舎・変則中学校・大洲英学校などが設立され、明治一一年には県立中学校ができ、私立学校もコハ校を数えるに至った。
 明治二一年伊予教育義会の中学校経営として、伊予尋常中学校を開校し、「愛媛県伊予尋常中学校規則」を制定している。これによると、教科と各学科の「教旨・教程」を詳細に説明している。倫理の教旨については、「人倫道徳ノ大要ヲ授ケ、兼テ生徒ヲシテ躬行実践ヲ重ンセシム」と示し、教程では、「初年ニアリテハ内外賢哲ノ嘉言善行ヲ講談シ、且時々作法ヲ交へ授ケ、次第二進ソデ泰西倫理ノ基本等二及ホシ、以テ倫理ヲ知ラシメ実行ヲ重ンセシム」と述べている。
 中学校の教科用書としては、明治二一年に「中学校教科書仮定ノ件」を布達して学校で採用すべき教科書をあげている。倫理科では、布民道徳学・ウェーランドの倫理学・ペインの倫理学が採用対象の教科書となっていた。
 明治前期の女子中等教育については、立ち遅れの情況にあったが、明治一九年に私立松山女学校が創立された。同二七年の『女徳宝鑑』巻一(文部省検定済)を見ると、「本書ハ、本邦女児ノ徳性ヲ涵養センコトヲ目的トシテ女子ノ訓育二於テ最モ適切ナルモノヲ取レリ」とまえがきして、徳目に、孝行・愛族・友愛・和順・貞淑・慈愛・信実・学芸・知能・克己・品位・方正・忠順・寛恕・治産・節倹・斉家・博愛・公益・遵法をあげており、女子に対する修身教育が行われている。
 中学校における修身科の教授法については、同四三年の県立今治中学校の「教授法概要及訓育ノ状況」によって知ることができる。

   修身科(抜粋)
  一 修身ハ教育二関スル勅語ノ聖旨二基キ、道徳上ノ思想及ビ情操ヲ養成シ、中等以上ノ社会二於ケル男子二必要ナル品格ヲ具ヘシメンコトヲ期シ、実践躬行ヲ勧奨スルヲ以テ目的トス
  二 修身科二於テ授クル事項ハ、常二学校ノ主義方針ト一致セザルベカラズ
  三 生徒ノ心的発達二注意シ、其学カノ進度ト時機トヲ考へ簡易ナル事項ヨリ授ケ行クベシ、妄リニ理解シ難キ事項ヲ授クベカラズ
  五 日常ノ生活ヲ離レテ別二道徳ナルモノアリト感ゼシムルガ如キ教授ハ、厳二之ヲ避クベシ
  十 修身科ハ学校ノ主義方針卜一致スベキ者ナレバ、学校長若クハ主要ノ地位ニアル教師其任二当ルヲ要ス

 修身科の教授は、十項に示されているように、学校長によって行われていることがわかる。

 師範学校と教員心得

明治九年に師範学校設立宣言が出され、同時に「愛媛県師範学校規則」を布達して、師範学校の内容を明らかにしている。学科課程を見ると、第四級で修身学・修身論・勧善訓蒙を履習することになっている。同一五年の「教員免許状授与規則」の検定試験科目内容には、修身について、初等科『勧善訓染セシメンコトヲ要ス
 同二五年ころの尋常小学校と高等小学校の教科課程表によると、尋常小学校の修身は、毎週三時間、人道実践の方法を、高等小学校の修身は、毎週二時間、人道実践の方法を教授していた。

 国定教科書と修身

明治一九年に教科書の検定制度が始まり、愛媛県では小学校令に基づいて、小学教則に教科用図書の項を設けている。同二八年と同ニ九年に公表された尋常科と高等科における必須教科目の生徒用図書を見ると、尋常科の修身では、『実験日本修身書入門』『実験日本修身書』、高等科の修身では、『高等小学修
身教範』『女徳宝鑑』が採用されている。
 文部省は、修身には教科書を用いない方針を堅持していたが、明治二三年の教育に関する勅語の発布によって、わが国における徳育の基本が確立されたのを機会に、修身でも教科書を使うこととして、同二六年ごろから多くの修身教科書が検定を受けて現れるようになった。
 これらの教科書は、すべて教育勅語に基づいて編集され、毎学年教育勅語に示された徳目を繰り返す編集形式をとっている。
 文部省では、明治三三年に国会の要求によって、修身教科書調査委員会を設けて国定の修身教科書編集の準備に取りかかっていた。同三六年に小学校令を改めて、「小学校ノ教科用図書ハ文部省二於テ著作権ヲ有スルモノタルヘシ」と規定して、教科書国定制を確立した。修身の国定教科書は同三七年に作成されている。
 『尋常小学修身書』は、第一学年は掛図を使って授業する方針であったため、第二学年から使用されている。第二学年用をみると、家族道徳・個人道徳・国家に対する道徳の順で、二七課から構成されており、全体として教育勅語の趣旨に基づき、それとのつながりを重んじながら、児童の発達段階に応じて人物の例話を掲げ、児童が親しみやすく、理解しやすいように工夫されている。
 第二期国定教科書は、明治四三年以後使用されており、修身科の教科書では、この時から第一学年の児童用書も編集されている。学校生活から日常生活上の道徳・家庭道徳が示され、また、いずれの学年でも、忠孝をはじめ国民道徳を強く提示し、祖先崇拝の課を設け、国家観念の涵養に力を注いでいる。

 大正時代の修身と訓育

大正時代の小学校経営は、各学校とも「児童ノ活動状態二適応シ地方ノ実状卜現時ノ大勢トニ鑑ミ、小学校令第一条ノ示ス処二従ヒ以テ教育勅語ノ趣旨二叶フ国民タラシメンコトヲ期ス」ことを教育方針として、教授・訓育・管理上の充実を図っている。
 東宇和郡の上宇和尋常高等小学校では、各教科の教授にあたって、互いに相関・相補させるとともに、各教科の特殊な目的に従い、教授法の研究に努めている。その中で、修身にかかおる留意点を次のようにあげている。
  一 児童ノ徳性ヲ涵養シ忠良サビア勤勉ナル国民ヲ養成スル目的ナレバ常々コノ点二留意シテ教授スルコト
   修身―修身教授二於テハ良心ノ活動ヲ敏活ニシテ人格ノ向上ヲハカリ又穏健ナル思想感情ヲ養成センコトニ留意セリ、尚旧来ノ弊風陋習ヲ去ルト共二美風良習ノ発達ヲハカリ之ヲ実行セムコトニ努カシツツアリ。
 教師は、何事をするにも熟慮と敏速とを欠かないことを信条として、毎日教材研究、毎週職員研究会を開いて研さんを積んでいる。                                     
 児童の訓育については、県内すべての小学校において、教育勅語の精神に基づいて実施している。越智郡の日吉尋常高等小学校では、「教育勅語・戊申詔書ノ御趣旨ヲ奉体シ小学校令ノ示ス所二従ヒ善良ナル国民タルヘキ基礎ヲ陶冶センコトヲ期ス」ことを訓練方針とし、訓育の中心は教師の人格と統一した協力にあるとして、学校の訓育目的に忠実・熱心・機敏であること、教育の可能性を信じ深く児童を愛すること、思想・言語・行為に賤劣野卑の事なくあくまで崇高純潔であることを職員銘としている。
 また、校訓として、

  一 規律 何事モキマリヨクセヨ 一 清潔 総テノモノヲ清潔ニセヨ 一 礼儀 言語行儀ヲ正シクセヨ
  一 忍耐 苦シイ時二我慢セヨ  一 進取 善キコトヲ進ンデセヨ

 以上の五徳をあげ、これに基づいて各学年の訓練細目と児童心得を定めて教室に掲げ、児童をして実行に努めさせ、また反省させることにしている。
 中等学校生徒の訓育状況については、大正五・六年の『愛媛県学事年報』のなかで、「生徒教養二関シテハ、教育勅語・戊申詔書ノ御趣旨二則リ、各校周到ナル注意ヲ払ヒ、常二個性ノ観察二注意シ、精神ノ修養ヲ重ンジ、浮薄軽佻ノ弊ヲ抑へ、質実剛健ナル気風ノ涵養二努メ、身体ノ鍛錬二意ヲ用ヒ……」と県の訓育に関する根本方針を述べている。高等女学校生徒の訓育状況については、同書のなかで、「華奢ノ風ヲ戒メ質実ニシテ柔順ナル婦徳ノ養成二留意シ……」と女生徒としての円満な発達を強調している。

 満州事変以後ノ修身

昭和六年(一九三一)、文部省は新学制を実施するために、修身について中学校令施行規則に次のように示している。

  第五条 修身ハ教育二関スル勅語ノ旨趣二基キ、道徳上ノ思想及情操ヲ養成シ、鞏固ナル意志ヲ鍛錬シ、殊二我ガ国体二関スル信念ヲ養ヒ、以テ健全有為ナル国民タラシメンコトヲ期シ、実践躬行二導クヲ以テ要旨トス修身ハ道徳ノ要領ヲ授ケ、就中我ガ国民道徳ノ由来卜特質トヲ悟ラシメ、建国ノ体制及国体ノ本義ヲ明ニシ、国家、社会及家二対スル責務並二人格修養二関シ必要ナル事項ヲ知ラシメ、更二道徳及社会生活ノ理論ノ概要ヲ授クルト共ニ、時代思想二対スル正シキ批判カヲ養ヒ、道徳的信念ヲ確立セシムルニカムベシ」

 以後、現象的には「道徳教育」が教育界の流行思潮となっている。
 昭和期の実業補習学校の不振が叫ばれる中で、伊予郡北伊予村立北伊予公民学校では、各科教授上の注意として、修身公民科について次のように示している。

  一 教授者ハ常二時代及生徒ノ心理二即シタル各種ノ材料ヲ蒐集研究シ、之ヲ教授ノ材料二用意スルコト
  二 偶発事項ニシテ価値アルモノハ之ヲ逸セズ、教授資料二供スルコト
  三 生徒ヲシテ実践セシムベキ教材ハ、必ズ之レヲ実行セシムルコト
  四 生徒ノ質疑煩悶事項二対シテハ親切二之レヲ指導シ適切ナル解決ヲ与フルコト
  五 教授卜教練トノ連絡徹底ヲ期スルコト
  六 各学年ノ教材ヲ系統的二研究シ、前後ノ連絡ニ注意スルコト

 以上のことに基づいて学習指導を行い、青年の信用を高めている。
 愛媛県教育会の活動は、時代の進展にともなって、いよいよ広範かつ活発になっている。昭和六年に開催された第四三回総会においては、県内の先哲偉人の伝記全集を刊行することが可決されており、同一〇年の第四七回総会においては、小学校教育者に賜りたる勅語の御趣旨徹底に関して、実施の状況並びに将来の計画、日本精神涵養に関する具体的方案を審議している。
 愛媛県先哲偉人叢書の刊行の現状を見ると、昭和八年に「伊達宗城」、同一二年に「堀内匡平・三輪田元綱・香渡晋」、同一四年に「尾藤二洲・上甲師文」、同一八年に「松浦宗案」が刊行されているが、戦争の激化にともない続刊の中止が行われている。
 日中戦争を契機として、国民精神作興のために、組織的な国民精神総動員運動が強力に打ち出された。昭和八年には、大正一二年の「国民精神作興二関スル詔書」の発布を受けて、文部省も地方長官に訓令を出して、特に社会教育関係者に対し、格段の努力を督促している。
 昭和一三年には、政府は「尽忠報国ノ一念」を国民に強く期待し、文部省では地方長官・学校長に対して、訓令および通牒を発して、融和教育の徹底を期するよう要望している。同一四年には、「青少年学徒二賜ハリタル勅語」が発布され、文部大臣から青少年学徒の奮起を促す訓令を出している。
 これ以来、五月二二日には、すべての学校においてこの日を記念して、勅語を奉読し、部隊行進や神社参拝・武道訓練を催すことになった。愛媛県知事古川静夫は、県内の学校・幼稚園に「青少年学徒二賜ハリタル勅語二関スル訓令」を出し、教育の任にある者は皇運輔翼の大任を全うする健全有為の学徒を育成することを促している。
 満州事変・上海事変・日中戦争と続く戦局の拡大は、小学校経営において、国体明徴・皇国教育の色彩を次第に強めていった。
 温泉郡潮見尋常高等小学校では、昭和一二年度の学校教育体系として、教育報国・行持一心もの教育・国民啓培の教育の三大教育方針を掲げている。翌一三年度には、教育綱領の中で、
  一 国体観念ヲ明確ニシテ国民精神ノ涵養二努ム
  一 敬神崇祖ノ念ヲ敦フシ円滑ナル品性ノ陶冶二努ム
 を掲げ、校訓において、コ、君ヲ尊ビ国ヲ愛セヨ 一、父母師長ヲ敬ヒ下幼ヲ慈メヨ 一、誠ヲ尽シテ実行二努メヨ 一、神ヲ敬ヒ祖先ヲ崇メヨ 一、勤労ヲ愛シ仕事二励メヨ」と戒めている。また、教育綱領の中で、「修身科二於テハ忠孝ノ大義ヲ弁へ遵法ノ精神ヲ徹底セシムベシ」と明示している。
 更に、伊予郡の佐礼谷尋常高等小学校においては、『魂ノ教育』として国体の自覚・敬虔なる人格陶冶、「実践カノ教育」として作業重視・合理的体育・科学的鍛練・公民的鍛練を教育方針としてあげている。訓育上の指導についても、昭和一一年度の学校経営案の中で、訓育の五大目標として、日本精神陶冶・敬虔なる人格陶冶・明朗なる人格陶冶・実践的人格陶冶・公民的陶冶を掲げ、これを基にして「児童日々の訓練事項」を具体的に明記している。
 文部省は、国民学校の発足に伴って、昭和一六年から同一八年にかけて、初等科の教科書を全面にわたって書き直しでいる。
 修身は、皇国思想や戦時下の心構えを教えるのに最も重要な教科であるので、内容が著しく変わってきた。二年用の「ヨイコドモ下」の第一九課を見ると、世界で日本の国が最高であること、強い神の国であることを次のように書いている。
  日本ヨイ国、キヨイ国。世界二一ツノ神ノ国。日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤクエライ国。
 各学年とも、このような教材が取り入れられ、日本の国を守る信念を持たせ、戦争に備える力を善う教育が行われた。
 戦時下の中等学校においては、日中戦争の長期化に伴って、次第に戦時色を強めていった。県立北予中学校の場合を見ると、昭和一五年を期して、新しい校訓を定め、国策完遂に役立つ皇国民としての資質を錬成することに重点を置いている。

  一 聖旨ヲ奉体シ至誠一貫以テ君国二奉スヘシ
  一 心身ヲ鍛錬シ明朗活達ナル精神ト旺盛ナル気魂トヲ養フヘシ
  一 質実剛健勤倹力行ノ実ヲ挙クヘシ
  一 節制ヲ重ソジ秩序ヲ守リ礼儀ヲ正シクスヘシ
  一 和親協力校運ノ振興ヲ図ルヘシ

 県立宇和島高等女学校では、昭和一四年度の学校経営方針の中で、「特二非常時局ヲ認識シテ健全有為ナル皇国ノ中堅女性ヲ錬成スルヲ以テ目的トス。」と明示し、これを具体化するために、努力事項を掲げ訓育を重視している。県内における中等学校は、いずれも共通した現象を見ることができるのである。
 愛媛県では、昭和一〇年に青年学校を開いたが、政府は青年学校義務制の実施の方針を決定し、同一四年に「青年学校令」を公布した。青年学校の義務制に伴い、県としてその充実を図るために、時局即応の青年教育に関する事項の徹底を重点として掲げ、同一五年度に県は教授及訓練内容に関する事項として、指導要領を示し、青年学校研究会・教員講習会などを開催して主旨の徹底を図っている。
 同一五年の「青年学校学科査閲規定」によると、実践力錬成の教育の中の修身及公民科では、大業翼補の信念を不抜に培うことになっている。同一七年に編さんされた「愛媛県私立青年学校要覧」によると、私立住友端出場青年学校においては、次のような校訓を掲げている。

  一、至誠ヲ以テ事二当レ ニ、忠孝ノ大義二出発セヨ 三、使命ヲ自覚シ希望ト感激二生キヨ 四、和協一心ノ美ヲ顕セ 五、質実剛健ノ意義ヲ発揚セヨ 六、日二進ミ日二新ナレ

 私立伊予鉄電青年学校の教育方針の中にも、「徳性ノ涵養常識ノ円熟二カヲ用フ」の言葉があり、青年教育の重要な柱として徳育を全面にわたって挙げているのである。