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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

4 高等学校看護科の教育内容

 施設・設備と産業教育振興法

全国の農業・工業・商業等の各高校長をはじめ、産業教育関係者は産業教育振興のためには、法律の制定が絶対に必要であると全国的運動を展開した結果、昭和二六年六月に「産業教育振興法」が成立し公布された。この法律の制定は産業教育関係者を大いに勇気づけ、やがて、産業経済の成長発展並びにわが国の独立国家としての地位回復に大きく貢献したことは衆知のとおりである。この法律の後ろ盾ともいえる産業教育振興中央会には全国の全職業学科高校が参画しているが、後から発足した全国看護高校長協会も、昭和四二年五月に全国高校長協会に加入するとともに、同四七年に産業教育振興中央会にも参加した。
 ところで、高等学校看護科の施設・設備については、設置基準により整備する必要があるが、看護実習室、生理・微生物実験室、医療機器室等の施設の外、設備としては総合病院にみられるように、実に多種多様で費用も多額にのぼる。これらの多額の施設・設備費について、国は産業教育振興法により農業・工業・商業等に対する補助と同様に、高等学校看護科にも、設備については同四一年度から、施設費には同四二年度から、なお、専攻科には同四六年度から、それぞれ補助が実施された。その後、費用負担の割合を国が三分の一、地方自治体が三分の二と定められ、名称も負担金と改められた。各年度の国家予算の範囲内ではあるが、本県の基準充足率は同五八年で設備七二・六%、施設三九・二%に達し、他府県に比べて決して劣っていない。私立学校については従来どおり補助金の名で、国の三分の一にプラス県六分の一の割合で支給され、充足率は私学の努力で公立とほぼ同程度に充足されている。何分にも設備は次々に新規の機器が開発されるので、将来も費用の増大は避けられない。

 専門教科の教員確保と免許

本県の高等学校看護教育で先に出発した私立高等学校において最も苦労したのが、専門教員の確保の問題であった。これについては、同四一年度熊本大学、同四二年度徳島大学、同四三年度弘前大学、同四四年度千葉大学に看護教員養成課程が開設されたが、未だ卒業者を出すに至らず、高知女子大学家政科の看護教員養成コース卒業者も、十分に現場実習を経験した後に教員に送り出す方針と難色を示した。やかを得ず、看護婦経験者に「保健」の臨時免許状を取得さして間に合わす始末であった。これは従来看護教育
を施す学科は「厚生に関する学科」であり看護という免許教科は無かったのである。その後、昭和四八年七月。「教員免許法の一部改正」により「看護」及び「看護実習」の教科が新しく設けられた。同時に「教員資格認定試験」に「看護教科」が加えられ、同四八年度の資格試験では看護科は厳しい条件のなかで、他教科より多数(七二人)の合格者を出した。他方、大学看護教員養成科卒業者にも漸次、教員志望が増えてきた。ただ、大学卒は実習指導に弱く、今後本人、学校共に勉強が望まれる。

 教職員定数算定の特例

 昭和四二年七月、政令の公布により、「今後高校教育の多様化等の事態に対処するため、政令に定める特別の学科については、教職員の数の加算を行うこととし、この特別の学科として新たに衛生看護科を定め、その教職員の加算は教諭にあっては三人、実習助手にあっては二人の加算を行う」こととした。本県では、西条・東温・宇和島南の県立三校に、それぞれ教諭三人、助手二人が措置され、私立各校も同程度の増員を行った。なお、九学級以上を置く学科には上積み加算も認められたが、本県をはじめ全国的にもほとんど例がない。

 学習指導要領と教育課程

高校衛生看護科が設置されるに当たり、文部省では、高校における看護教育を主とする学科の設置について、次のような指導(昭39・2、事務次官決裁)を行った。すなわち厚生に関する学科として履習させる看護に係る教科・科目は、学校教育法施行規則に規定する「その他特に必要な教科」に該当し、高等学校学習指導要領において、その名称・目標・内容・単位数等の諸項目について、その学校の設置者の決定にゆだねること。設置者は他の職業科を参考にしながら、前記諸項目が高等学校看護科にふさわしいもの
であること。特に現在の看護婦養成施設で行われている看護教育の内容・教科・名称等をそのまま採用するのではなく、例えば普通教科との重複を除去するなどして整理統合する必要があること。以上のような指導を受けたが、抽象的な指導に過ぎなかったので、神奈川県立二俣川高等学校等の先達校では、設置基準の疑義の確認に加え、教育課程作成上の質疑のため、文部省と厚生省を駆け巡る大変な苦労を重ねたものである。
 その後、昭和四一年五月、文部省は「高校衛生看護科における専門教育の教科・科目の参考例」(表2-59)を作成し、これに準拠して高等学校看護科の教育課程を編成するよう指導し、専門科目の指導項目別標準時間数を示した。この参考例に準拠した教育は、同四一年度から同四七年度入学の生徒について行われたが、同四八年度入学生徒からは、同四五年一〇月公示の「高校学習指導要領」に基づいて行われることとなった。そして看護に関する教科としての「看護」に五科目を設け、それぞれの標準単位数を示した(表2-60)。ここに「衛生看護科」は、看護に関する主な学科として高等学校学習指導要領に正式に位置づげられた。
 ところが、同五四年六月発行の高等学校学習指導要領解説(看護編)では、再改訂を示し(表2-61)、科目の名称変更とともに、改訂前の「看護実習」のうち校内実習に係るものについては、関係の各科目の内容に移し、座学と実習とを一体的に指導できるようにし、現場実習に係るものについては、総合実習として存置し、現行どおり看護に関する各科目と関連づけて指導できるように内容の再編成を図った。また、実験・実習を重視の改訂方針から看護学科の目安として、看護に関する科目に充てる総授業時数の十分の五以上を実習に充てるものとした。なお、職業に関する各教科・科目の単位数については、設置者の定めにゆだねると示されたので、本県においては表2-61の○印で囲んだ単位数に定め、私立高校においてもこれに倣うこととした。

 専門科目の教科書

高等学校看護科の発足初期は学校数が少なく、教科書の種類は多いが所要部数が少なく、従って、価額は割高となり出版社右手を付けないので、やかを得ず准看護婦養成所の教科書を適宜採用した。その後、高等学校看護科が相当数増設され、産業教育振興法の助成措置も取られるに及んで、昭和五四年刊行の看護基礎医学I及びⅡをはじめ、順次、検定教科書が整備された。補助教材も県高教研看護部会による実習ノート、教師用指導書等が編さんされ、生徒用としての資格試験問題集、同月刊誌など多数発行されるようになった。

 現職教育と研修活動

文部省は現職教育として、昭和四一年度から看護教員講座を開催して、看護婦の免許を有する専門科目担当の助教諭に対し、看護教育に必要な知識・技術を習得させて、必要科目の単位取得と資質の向上を図った。この講座は、東京大学医学部・聖露加・干葉・徳島等の各大学の下に実施された。内地留学は長期は少なかったが、昭和四九年以降、宇和島・住友別子・国立療養所の各病院において、主に看護実習の指導法について二か月間の研修を実施した。研修会については、初め県内の私立高等学校間で、すべてが模索の中で、情報交換を兼ねて研修会が頻繁に持たれた。昭和四七年度に県立三校に看護科が設置されると同時に、県高等学校教育研究会に公私学共に参加し、以後各校輪番の研究会や年末の県教育研究大会等では、開拓的な熱意に富む学習が進められてきた。
 全国高等学校看護教育研究会では、先ず、聖カタリナ女子高等学校に県内理事の委嘱を行い、同校は県内各校との連絡指導に当たった。四国ブロックについては、本県より一・二年先進の他の三県で既に企画され、同四四年七月、高知中央高等学校で、第一回高校衛生看護教育四国ブロック研究会(現在の四国地区高校衛生看護・専攻科研究協議会)が持たれ、本県は私学代表がこれに参加した。第二回以後は研究会も役員も四国各県の持ち回りとし、その後協議の結果、同五六年に会則が制定された。
 松山地区では、県中央病院で実習を行う高等学校専攻科など看護婦養成の六校の間で、実習時期の調整の意味で、県病院総婦長・教育係、各校教員二名以上が参加して、毎月協議会を開催していたが、これが同五四年度から研究協議会に発展して、内容もカンファランスの在り方、実習指導の反省と討議、諸種研究会の報告、輪番による問題提起と研究発表等の多彩な研修に成果をあげている。松山保健所と松山精神病院で実習の八校も年一回幅広い研修を行っている。

表2-59 高等学校衛生看護科における専門教育の科目の指導項目別標準時間数

表2-59 高等学校衛生看護科における専門教育の科目の指導項目別標準時間数


表2-60 看護に関する教科・科目の標準単位数

表2-60 看護に関する教科・科目の標準単位数


表2-61 看護に関する教科・科目の編成

表2-61 看護に関する教科・科目の編成