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愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)

1 唱歌

 明治一四~一七年(一八八一~八四)の文部省音楽取調掛編『小学唱歌集』、明治二五~二六年(一八九二~九三)の伊沢修二編『小学唱歌』が初期の唱歌の二つの大きい傾向を示している。前者は大部分が有名な西洋曲に日本語歌詩をつけたもの。後者は西洋曲のほかに日本の古謡、わらべうたなども収められている。
 民間からは、明治二一~二三年(一八八八~九〇)の『明治唱歌』(大和田建樹・奥好義共編)が発行された。文部大臣検定教科書で第六集まである。作詞の大多数は大和田建樹であった。

 大和田建樹

 安政四年(一八五七)宇和島市に生まれた。明治文学史上多彩な業績を残している。(資917)「タテキ」ではなく「タケキ」と読む。彼は唱歌史上に於ても大きい存在であった。主なものをあげてみると、「故郷の空」(夕空はれて あきかぜふき)は、スコットランド民謡に詞をつけたもので、原詞は″Comin’Thrugh the Rye″ 『明治唱歌』(1)に、「あわれの少女」(吹き捲く風は かおを裂き)はフォスターの″OId Folks at Home″の曲につけた詞で、『明治唱歌』(2)に、それぞれ収載。
 明治三四年(一九〇一)『国民教育忠勇唱歌』(五)に収められた「菅公」(学者の家に身は出でて)は、全体で四十一節からなる長大なものだが、文部省検定唱歌集に収載の時、最初の四節と、最後の一節をあわせた五節とし、普通それが歌われている。
 『鉄道唱歌』(汽笛一声新橋を)は建樹の代表作ともされている。明治三三年(一九〇〇)『地理教育鉄道唱歌』(一)として、まず「東海道篇」が発行された。これだけで六十六節の長大なものである。以後、第五集まで続いて出た。その後作られた「伊予鉄道唱歌」(名も常盤なる松山の)は、松山市立子規記念博物館友の会が、昭和五六年複刻刊行の『松山道後案内付伊予鉄道の栞』(高浜虚子編)付録として収められている。
 なお、『歴史地理教育愛媛鉄道唱歌』は、田中雁木らによるものである。
 『散歩唱歌』は明治三四年(一九〇一)発行で、「春」(来れや友よ打つれて)一五節にはじまり「夏」十節、「秋」一五節、「冬」十節から成っている。明治の唱歌の特色の一つに、長大な歌詞による物語詩(バラード風のもの)、叙事詩が多く見られるが、建樹の唱歌にもその傾向があらわれている。
 なお、国鉄宇和島駅前に「鉄道唱歌」「散歩唱歌」と撰文が刻まれた大和田建樹詩碑がある。東京新橋駅構内、東海道線浜松駅、豊橋駅にも、その地にちなんだ「鉄道唱歌」の碑が建てられている。
 明治三八年(一九〇五)日露戦争を機として軍歌「日本陸軍」(天に代りて不義を討つ)が発表され、太平洋戦争中まで歌い継がれた。ほかにも建樹の軍歌はいくつもあるが、明治政府の富国強兵策が実り、日清・日露戦役を経て、ようやく近代国家としての自信を高めていった時代を背景としたものであった。
 「四条畷」(吉野を出でてうち向ふ)は明治二九年(一八九六)『新編教育唱歌集』(五)所載。小楠公を歌った。「青葉の笛」(一の谷の軍破れ)は明治三九年(一九〇六)『尋常小学唱歌』所載、はじめ「敦盛と忠度」と題されていた。ほかにも「扇の的」「村上義光」「川中島」「広瀬中佐」、あるいは「紫式部」「小督」から「韓信」「コロンブス」まで、歴史に題材をとったものも多い。
 「妙義山」(峨峨たる巌連りて)は明治三九年(一九〇六)『高等小学校唱歌(一ノ上)』に、その他「瀬戸内海」「名古屋城」「江の島」など地理的なものもある。さらに、四季を歌い、道徳訓を示し、讃美歌「みくにのこども」なども手がけている。建樹の唱歌は、いずれも、明治という時代を築き、明治を「良き時代」として過ごした、ひたむきな明治人らしさにあふれており、昭和の現代もなお愛唱されている歌が多い。

 堀沢周安

 愛知県出身だが、旧制大洲中学校在任中に校歌や文部省唱歌など多数を作詞。(資1056・1159)
 「いなかの四季」(道をはさんで畠一面に)は明治四三年~大正七年(一九一〇~一八)の『国語読本』巻七に収載された詩に作曲され、明治四三年『尋常小学読本唱歌』にのせられたもので、明治の唱歌中でも抒情歌の傑作といわれる。その後も昭和七年『新訂尋常小学校唱歌』に至るまで受け継がれ、「文部省唱歌」の代表作の一つとして長く愛唱されている。口語的発想ではあるが、一部文語的表現も残している。四季に分けた四節のいなかの風光と生活が、各節六行に的確に歌いこまれている。この歌は大洲周辺を写したとの説もあり、大洲市冨士山には全歌詞を刻んだ碑が建てられ、周安が大洲市民の誇りともなっていることが伺われる。
 明治二六年(一八九三)文部省告示で「祝日大祭日歌詞竝楽譜」が制定されたが、昭和三年、新たに加えられた「明治節」(亜細亜の東、日出ずる処)の詞は、周安が公募に応じた当選作である。ほかにも「日の丸の旗」など「文部省唱歌」への関わりは深い。