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愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)

二 一遍の法語

 一遍の教えを伝えるものには、先述の伝記の他に、『播州法語集』と『一遍上人語録』がある。前者は弘安九年 (一二八六)から翌年にかけて一遍が播磨の国を遊行した時のものを弟子持阿が集録したものであり、後者は遊行五二代一海が編集整理したものである。なお他に江戸時代のものとして、『播州法語集』を問答体に整理したものに『播州問答集』があり、注釈解説を加えたものに『一遍上人絵詞直談抄』『一遍上人語録諺釈』などが出ている。中世新仏教の祖師たちは、親鸞の『歎異抄』や道元の『正法眼蔵』などに見られるように、それぞれの独自の思想をそれにふさわしい文体で記した、文学的にも評価の高い法語を残しているのであるが、集録されている一遍の法語もそれらに決して劣らないものである。世阿弥は自作の謡曲『東岸居士』の中に、『一遍上人縁起絵』巻三所収の「或人法門を尋ね申しけるに、書きてしめしたまふ御法語」を借用しているが、これは一遍の法語がすぐれた文学でもあり得ることを物語っている。また、
  身を観ずれば水の泡 消ぬる後は人もなし 命をおもへば月の影 出入息にぞとどまらぬ
で歌い始められている『別願和讃』などの一遍の和讃も、庶民に身近な無常観を基調にして彼の思想を述べたもので、思想・表現・リズムが合致したものとしてすぐれている。