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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

6 総合運動公園の完成と五五総体の開催

 総合運動公園の完成

昭和三九年の東京オリンピック開催によって、国民の間には体育、スポーツへの関心が急激に高まった。昭和四○年代に入って、体育では「体力づくり」が強調され、スポーツは見る時代から自分で楽しむ時代を迎えて、スポーツ人口は増大した。これを受け入れる本県の体育施設は、二八年第八回国民体育大会の開催にあたって建設されたものが多く、老朽化と規模の狭隘が目立ってきたため、関係者の間に施設の整備充実を要望する声が高まってきた。
 昭和四五年一月愛媛県スポーツ振興審議会は、総合運動公園の早期建設を議決し、また愛媛県体育協会(会長山中義貞)も同年五月の総会で、県立総合運動公園の建設に協力することを決議した。
 翌四六年八月県体育協会(会長高橋 士)は、国体を愛媛県単独で誘致開催することを決議して県へ陳情した。ちなみに、二八年第八回国体誘致の際、本県は単独開催を希望したが四国四県共催となった経緯があり、それ以来国体の県単独開催は、スポーツ関係者の間で懸案となっていたもので、陳情を受けた県議会は、四六年一〇月全員賛成の議決を行った。同月直ちに白石知事は、県議会議長・県体育協会会長らとともに日本体育協会・文部省に対して、五四年第三四回国民体育大会を愛媛県で開催するよう要請した。同時に、県としても早急に総合運動公園の建設を予定し、国体誘致へ向けて第一歩を踏み出した。
 四六年九月には教育長毛利正光の総括するプロジェクトチームは、総合運動公園建設候補地の検討を進め、翌四七年二月松山市中心から約八キロメートルの霊峰石鎚山を望む松山市上野町・西野町(久谷地区)の約二六ヘクタール及び砥部町大字宮内の約二六ヘクタールを適地と決定した。これに基づいて、同年一〇月都市計画公園の区域決定一一三ヘクタール)がなされ、次いで一一月には都市計画公園事業の認可(五一ヘクタール、五三年七月事業計画の変更により五二・五か)を受けて、用地買収に着手(四九年二月完了)した。四八年四月には県営総合運動公園のマスタープランを作成、五〇年三月埋蔵文化財調査を終り、同年一二月敷地造成工事に着工、五二年三月に完了した。
 一方、五四年国体は、日本体育協会では未開催県を優先する方針を決定したため、「愛媛国体」の期待は遠のいたかたちとなった。ところが敷地造成の完了直後の五二年四月、四国高校体育連盟(四国高体連)は昭和五五年度全国高等学校総合体育大会いわゆる「五五総体」を四国四県で開催することを決議、併せて愛媛県を主会場県(総合開会式開催)とすることを決定した。国体誘致を意図して着工された総合運動公園の開幕を飾るイベントは、図らずも五五総体となった。五五総体開催という目標を得て活気づいた関係者の熱意と努力に支えられ、この後の運動公園整備の進捗ぶりは目覚ましいものがあった。
 昭和五二年七月、体育施設建設に着工、球技場・補助競技場・多目的広場・庭球場が順次完成し、五五年三月、陸上競技場・体育館の完成によって総事業費八〇億を投入したすべての工事が完了した。五月、施設の管理は愛媛県スポーツ振興事業団(理事長・県知事)に委託され、五五年五月一五日開園式が盛大に行われた。

 五五総体の開催

五五総体を四国四県で開催することを決定した四国高体連は着々と準備作業を進めた。昭和五二年九月、四国高体連五五総体対策委員会は、四県の競技種目の配分を愛媛県一〇種目、香川県四種目、徳島県六種目、高知県七種目とすることに決定。五三年半ばから、四県はそれぞれ知事を会長とする(香川県は教育長)実行委員会を設けて、開催準備及び大会運営の万全を期した。
 五四年九月、松山市で開催された五五総体四国四県連絡会は、開催要項を協議し、大会日程、競技会場、総合開会式式典要項、競技種目別実施要項などについて決定した。一〇月の全国高校総体中央委員会の承認を得て、大会の大綱が確定した。大会の日程は、八月一日から一〇日までと決定し、いよいよ五五年八月一日を迎えることとなった。
 八月一日は、二九日来の雨がすっかり上がって快晴。午後三時、和太鼓が鳴り渡り、新装なった総合運動公園陸上競技場に「四国路を駆けろ若人 意気と熱」の大会スローガンのもと、皇太子殿下・同妃殿下をお迎えしての総合開会式の開始を告げた。式には一般入場者二万二、〇〇〇人、応援及び集団演技出演者八、五〇〇人、全国選手団八、〇〇〇人、式典スタッフニ、○○○人、計四万人が参加した。
 開会式は愛媛県高等学校体育連盟会長門多寿道の開会宣言に始まり、全国高等学校体育連盟会長風巻磊蔵のあいさつ、文部大臣田中龍夫の祝辞、愛媛県知事白石春樹・松山市長中村時雄・生徒代表県立松山商業高校中村美都子の歓迎のことばが続く。この後、皇太子殿下から励ましのおことばがあり、最後に新田高校菅浩司が選手宣誓を行い、午後四時四五分無事終了した。この日総合開会式に参加できなかった競技種目の開会式は、それぞれの開催地で行われ、二日から一〇日まで高校生にとって最高のスポーツの祭典が、全国から参加した二万二、〇〇○人余の選手によって、四県の会場で繰り広げられた。競技種目と会場地は、表3-53のとおりである。
 競技成績では本県勢は、県立宇和島南高校が登山で男女ともに優秀校となり、柳田順子(済美高校)が水泳百米バタフライで優勝したのが目立った。一〇日、五五総体はすべての競技を終了して幕を閉じた。
 大会は成功であった。県高等学校体育連盟が中心となり、県・県教育委員会・市町村及び関係機関・団体の協力のもと、全県挙げて準備運営に当たり、競技に参加しない高校生も「一人一役」を合言葉に地味な役割をよく果たした功績は大きい。天候にも恵まれ、雨のため順延した競技は、四種目延四日に過ぎなかった。そして光彩を放ったのが総合開会式である。開会式を成功させた壮大な舞台は新装の総合運動公園であった。

表3-52 愛媛県総合運動公園の主な施設の概要

表3-52 愛媛県総合運動公園の主な施設の概要


表3-53 五五総体競技種目及び会場地

表3-53 五五総体競技種目及び会場地