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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

1 地域主義県政の提唱

 昭和五三年年頭県職員に語りかけた白石知事の「地域主義で行こう」のアピールは羅針盤もない新しい県政への船出であった。五年越しの不況トンネルに入ったまま常に後手に廻った中央集権的施策は行き詰り、地方経済の屋台骨を背負ってきた重・厚・長・大の大企業は存亡の危機に立ち、住友系の化学・機械、丸善石油、富士紡など地方へ与える打撃を顧みる暇もなく撤収転身に走った。
 本県もかつてない打撃を受け、巨大化・集権化・中央化の招来した反動ともいうべき急性かつ重度の症状にあえいでいたといえよう。財政的にも三割自治といわれてきた中央集権化に拍車がかかり、一方生活優先に目ざめた県民の行政ニーズも多様化・細分化し従来の画一的でゆっくり型の国の行政では到底対応しきれなくなってきた。あえて中央集権化の大勢の流れに抗するポーズで「中央のお仕着せでなく自前・独自でやりたい」という大胆な発想は、高度の政治性先見性の閃めきを内に秘めて全国初の「地域主義」宣言として注目された。
 地域主義の理念と手法は次のようであり、地方の風土・文化・伝統に根ざした地域性、独自性と内発力の追求に新機軸があり、特に「中小企業」を経済再生の旗手として最重点に推し立てた点に著しい特色があり、後の四全総の多極分散指向を先取りするものともいえる。(ちなみに四全総では東京一極への集中を是正し、多極分散型で均衡ある地方圏の形成をめざしており、手法として在来の交通等開発路線に加えて地方活性化のため多様な産業振興施策を必要としている。)
 ① 反巨大(独占)・反集権・反中央を掲げ、経済=政治=文化の分権分散をめざす。
 ② 人工系活動の限界をきわめ自然生態系を重視する。
 ③ 機電化・ソフト化・複合化など新技術開発や流通近代化など新組織再編による中小企業の再生強化。
 ④ 農林水産業や中小企業をモデルに、域内に「私の仕事」領域を確立し自己実現に努める。これが総合的な「生きがい」の原点ともなる。
 ⑤ 「中小企業の時代」を招来する。反巨大・反集権・反中央の帰結集約を中小企業に求める。自主自立の活力ある中小企業こそ地域主義の中核であり、同時に永続する資本主義の安定層として役割は重かつ大である。このため従来の県商工行政の一部を市町村に委譲し、経済分散施策で地域と一体化した中小企業の確立を図る。
 ⑥ コミュニティアイデンティティ(CI)手法などにより内発的、自律的に地域独自の発展力を養う。
 以上のような手法を施策化して市場経済を守りつつ、中小企業と地域経済との結び付き、かかわりを重視して活路を開く路線には、中央集権のもたらした中毒症状に対する一種の解毒剤として、「新保守主義」によって難局を切り開こうとした白石知事の苦心の跡が見える。
 地域主義施策推進では、全国トップを自負する知事は一九八〇年代を「地域主義の時代」と呼ぶ反面「文化の時代」とも称した。シューマッハーのいう「小さいことはいゝことだ」の理念が新たに有意義となった。こうして地域主義の時代には生活文化の色濃い「文化の時代」と重層しつつ、やがて「西瀬戸経済圏」構想へ集大成していった。