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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

2 保健行政の進展

 地域医療の推進

昭和五〇年一月再選された白石知事は、生活福祉県政の柱として「人づくり、家庭づくり、郷土づくり」を推進した。福祉の原点は健康にあるとの考え方から、保健医療行政を生活福祉県政の中核をなすものとして位置づけ、積極的な展開を図ることとした。まず、地域医療体制の整備として、とくに農山漁村、離島、へき地における医療保健水準の向上を図るため、五〇年二月に設立した県保健医療財団の活動を強化するほか、保健所を中心とした無医地区巡回活動の強化、ヘルスステーションの開設、無医地区保健医療相談などを実施して無医地区住民の医療確保に努めた。また、五つの保健圏域を設け、その中心に中央保健所を配備し、地域の実情に即して都市周辺型、農山漁村型保健所を配置して、積極保健体制を整えた。医療機関の整備については、四九年一〇月に完成した県立中央病院に引き続き、五〇年一〇月には県立新居浜病院を改築、さらに、五八年一〇月には県立今治病院を移転整備して、県民医療サービスの充実を図った。医療従事者の確保については、四八年に開設された愛媛大学医学部を県民医療の中核として医師の計画的確保を図るほか、四七年度から毎年二~三人の自治医科大学進学を補助し、卒業後は県立中央病院で二年間の臨床研修を行った後、へき地医療に従事する医師の確保を図った。
五九年度末現在で一一人が県内のへき地公立病院、診療所に勤務している。看護職員、検査技師については、県立公衆衛生専門学校(四六年六月設置)、臨床検査専門学校(四八年四月設置)でそれぞれ養成しているが、看護学生に対する修学資金の貸与制度などにより有資格者の養成に努めている。
 救急医療体制の整備については、初期救急医療体制として各地域における対策協議会の協力のもとに、在宅当番医制の実施及び休日夜間急患センターの整備を図った。県内における在宅当番医制は、一六郡市全部の医師会で実施しているほか、休日夜間急患センターは五九年度末現在で七施設を開設しており、五九年度の利用患者は二九、六七六人となっている。第二次救急医療体制については、入院治療を要する重症患者の医療を確保するため、県下六広域市町村圏単位に病院群輪番制による第二次救急医療を実施しており、五九年度末現在の病院数は四五、五九年度の利用患者数は九万六八二人(入院一万三一一人、外来八万三七一人)となっている。五六年には重篤患者を対象とした第三次救急医療施設「県救命救急センター」を県立中央病院に開設し、全県域にわたる救急医療体制が確立された。また、救急医療体制に関連して、五九年には本県における献血事業の推進母体である「県赤十字血液センター」が新たにスタートし、順調な進展をみている。
 県民の健康管理体制の確立については、従来の予防対策を中心とした共同保健計画から、さらに健康増進へと一歩前進させるため、四五歳誕生日の無料検診、健康手帳の交付、健康セミナーの開設など市町村を単位とした健康な「まち」づくり体制の確立を図ることを目的とした新共同保健計画事業が推進されてきた。さらに県民の保健保持の基本である栄養、運動、休養に関する生活診断と健康診断を行うとともに、生活プログラムの設定、トレーニング室、温水プールなどによる健康増進の正しいあり方の普及指導に努めるため、「県健康増進センター」を五〇年九月、県立中央病院西側に開設した。

 県立中央病院の移転拡充

 県立中央病院は昭和二三年六月、日本医療団の解散後全施設が県に移管され、県立愛媛病院として発足
した。三一年四月名称を県立中央病院と改め、同年一〇月から地方公営企業法を適用し、公的病院として独立採算による合理的運営を図り地域医療に貢献してきた。その後、医療需要の増大と医学の進歩に伴う地域社会のニーズに応え、また愛媛大学医学部の関連教育病院としての施設充実のため、松山市三番町から春日町への移転新築がはかられ、総工費四五億五、〇〇〇万円の巨費を投じ、松山市春日町に昭和四九年一〇月完成した。同病院は、鉄筋コンクリート造り、地下一階、地上八階建、延べ床面積三万七〇〇平方メートルの規模で、病床数六〇〇床となっている。診療科目は、既設の一四科のほかに、消化器科、循環器科、脳神経外科、理学診療科の四科を新設して一八科が置かれている。特に重点整備として、手術部、検査部、放射線部などの中央診療部門並びに、人工透析、リハビリテーション、ICU(外科的集中治療)、CCU(内科的集中治療)などの特殊診療部門が拡充強化され、また併せて愛媛大学医学部関連教育施設の整備、病歴室などの情報処理機能の強化も図られた。このように県民医療の確保と医療水準向上のため高度の専門医療を行い、かつ基幹病院としての役目を担うとともに関連教育病院として医師の養成を行い、加えて医療技術者の研修の場としての機能も備えている。

 愛媛大学医学部附属病院の開設

県民多年の悲願であった愛媛大学医学部は、昭和四八年一〇月に開校されて以来、順次整備が進められていたが、医学部附属病院が五一年八月完成し、一〇月から診療を開始した。同月二日開院式で学長芦田譲治が「病院の早期実現は県民の熱意によるもので、附属病院には地域へ貢献し、よき医者を育成するという使命がある。各方面の期待に十分こたえたい」とあいさつした。また、白石知事は「開院は長年の宿願だった。陸の孤島とされた本県にとって病院への期待は大きい。今後努力、精進のうえ地域医療推進の場となることを祈る。」と祝辞を述べた。同病院は、病棟が鉄筋一〇階建て、診療棟が鉄筋三階建て、一部地下一階、延べ床面積三万六、五〇〇平方討となっている。診療科目は、一五科(将来一七科)、病床数は六〇〇床、中央診療センターのほか、診療室、手術室、検査室、病棟、看護婦詰所など機能的に設置されている。特に内部では、ベルトシステムで器材や薬品を送れるエアーシューター、バーチカルコンベアなどを採用したほか、〝中央廊下式〟でなく二つの廊下をもつ〝コア式〟を取り入れている。診療機材としては、「心血管撮影装置」、「手術顕微鏡」、「直線加速機(ガン治療に使用)」などの新鋭機器が整備されており、県内の医療水準の向上とともに県内医療の中核として県民注視のうちにスタートした。病院関係職員約七〇〇人、教官一〇〇人を擁し、開院以来患者数は入院・外来共に一日平均四八〇人前後の高い利用率を示し、その高度医療機能は定着して県内医療機関との関連の芽も大きく育ちつつある。