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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

2 新しい行政

 公文書の横書き実施

昭和二一年四月発表された憲法改正草案は、民主主義日本の性格を示すものとして当時大きく報道された。特に画期的と言われたのは、全文口語体でしかも平仮名で、すべての国民に理解しやすく表現されていることであった。これに倣い、公文書にも分かりやすい口語体が使われることとなった。
 政府は、同年一一月内閣訓令で「現代かなづかい」、「当用漢字表」を定め、次いで一二月には文部省は、「公文用語の手びき」を作成した。これに基づき旧来の「相成度」式の公用語を「して下さい」式のやさしい口語体に改めることを次官会議で決定し、新しい公用文の文書表現の準則が定められた。この時期文書の形式は、旧態のまま一般的に縦書きが採用されていたが、一部の調査資料、統計書などは横書きが行われていたので、文書の整理・保存の上で不都合な面が多かった。
 昭和三〇年代に入ると、、企業や民間では新しい形式の横書き文書が目立つようになったが、三四年一一月、自治庁の「公文書横書き」の通達を受けて、全国の地方自治体でも横書きを実施するところがかなりの数に上ってきた。本県でも行政の合理化と事務能率向上の面から検討を進め、三五年には県下一九市町村で公文書の横書きが実施された。県は三八年三月「文書の左横書きの実施に関する訓令」を定め、四月から実施に移したが、その範囲は起案文書、帳簿などに限り、条例、規則・議案などは除外されていた。その後、さらに検討が重ねられ、六〇年四月以降はすべての文書が左横書きと改められている。

 県・町村行政連絡協議会

 昭和三六年四月一二日、第一回の県・町村行政連絡協議会が町村会主催により県自治会館で開かれた。
 これは県と町村間の行政運営を一層円滑にしようとする県の発想に基づくもので、いわば県と町村の首長会議とでもいうべきものであった。
 このような協議会は、久松知事が当選して間もない昭和二七年一月、「県行政連絡会議」として県と国の出先機関との間に持たれたことはあるが、県と町村の間ではこれが初めてであった。
 会議は、最初に県側か重点施策について説明し、次いで町村側から提出議題に基づいての要望、それに対して県側が回答、終わって自由な意見交換という形で行われた。町村側としては要望事項について県首脳部から直接回答が得られること、また県側にとっても行政施策の浸透が図れるというところから、新しい県と町村とのコミュニケーションの場として好評を博した。当時の新聞もこの日の模様について「町村長はもとより県首脳部も久松知事以下大変な熱の入れよう」とか、「午前一一時から始めたが、午後五時の閉庁時間か来てもびくともせず熱心に応答が行われた」などと報じている。その後、この協議会は定例となって毎年開催、五二年度からは県主催となり、町村議会議長も加わって今日に及んでいる。

 県獣・県の木・県の鳥指定

 昭和三九年五月、県は「県獣」に「ニッポンカワウソ」を指定した。鳥獣保護思想の普及を目的としたもので、広く県民から「県の獣」を募集した結果、応募者一九九人中「県獣」に「ニッポンカワウソ」が九四票の最多数を占めていた。
 「ニッポンカワウソ」は四国の西南海岸に生息する天然記念物で、三九年北宇和郡宇和海村(現宇和島市)で捕獲されたことはあるが、最近姿を見せず絶滅寸前の状態にある。
 「県の鳥」の方は、四五年に愛鳥週間の行事としてこれも県民から募集、八二八人の応募者中「コマドリ」が最多数の二七八票を占め、同年五月「県の鳥」に指定された。「コマドリ」は日本三鳥の一つで、本県では石鎚山系に多く生息する。
 次に、「県の木」の方は、四一年に「マツ」と決定。本県は面積の七割までが森林地帯であって、スギとともにマツが多く県民にもなじみ深い。

 県庁第二別館竣工

 戦後、地方自治制度の改革に伴って、本県では行政機構の改革と職員定数の増加が急激に行われた。戦災を免れた全国屈指の県庁舎(昭和四年一一月九日竣工、建築延面積八、四一四平方メートル)も狭隘となり、会議室を事務室に転用するなど、行政上支障を来たす状態となった。
 県では、全国に先がけて庁舎東側敷地に増築を計画し、昭和二五年一二月建築に着工、総工費四、四
三一万円、地下一階・地上四階、鉄筋コンクリート造、建築延面積四、一三一平方メートルの分館が二六年一二月竣工した。資材不足の時期、本格的鉄筋構造の庁舎新築は当時県民の注目を浴びた。
 その後十数年を経て、高度経済成長の下に年々増大する行政需要とその多様化に対応して、さらに庁舎増築が必要となり、県では、三九年一二月分館(旧第一別館)北側に庁舎の建築に着工、総工費二億九、二二〇万円、地下一階、地上六階、鉄筋コンクリート造、建築延面積七、九一〇平方メートルの第二別館が四一年二月竣工した。
 この第二別館は、地下に駐車場、地上五階までは事務室(一部会議室)、六階は大会議室二、三〇〇人収容)とし、冷暖房設備、エレベーター二基を備え、また本館、旧第一別館との連絡通路を設けるなど事務能率・県民サービスの向上にも配慮がなされている。

 青少年保護条例

県下の刑法犯少年(一四歳以上二〇歳以下の犯罪少年と一四歳以下の触法少年の合計)は五六年以降中学生が一千人台の大台に乗り、高校生を抜いて低年齢化を続ける中学生非行は、昭和六一年に四一年以降最高の一、二〇〇人に達した。非行の八割は初発型、遊び型の窃盗すなわち万引きや自転車盗などで占められている。不健全図書の大きく影響する性的非行、酒・たばこの自動販売機利用など誘発しやすい環境や家庭の放任による逸脱も放置できなかった。これらの図書など物品販売、場所の提供などの有害環境にメスを入れ、放任する保護者も規制するため、県では四二年「青少年保護条例」を制定した。その後数次の改正、さらに五二年「自動販売機の適正な設置及び管理に関する条例」もこれに関連して制定された。
 この青少年保護条例は六歳以上一八歳未満の青少年を対象に、不健全な興行や図書及び有害刃物やがん具、有害薬品、不健全な広告物などの販売・入場・掲示の制限を行ったほか、深夜(午後一一時~午前四時)の外出制限、不純性行為、入れ墨、旅館や質屋などの監視など多岐にわたり規定し、違反者には罰金または科料が課せられた。知事指定の調査員には婦人警官二四人を含め、県職員一一〇人が当たり、立入調査や指導を行っている。また、違反興行や図書類(レコードなども含む)の指定は県青少年保護審議会の諮問答申により逐次実施された。

 県功労賞の制定

昭和四三年、県では明治一〇〇年を記念して「県功労賞」を制定した。この賞は「県民賞」に次ぐ栄誉賞で、県勢の進展に功績が特に顕著であった個人または団体に対し、毎年文化の日に授与されている。
 第一回(昭和四三)は新田仲太郎、関定、木原茂、高橋作一郎の四名に授与された。この後毎年三名当て授与されているが、それらの氏名については『愛媛県史人物編付表』を参照されたい。