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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

9 都市づくりと広域市町村圏

 都市づくりの進展

 産業集積の急速な展開による大都市圏域への人口集中はすさまじく、都市拡大は中心市域から周辺部へと進行、個々の需給にまかせた市街地の開発は、農林地域での無秩序な蚕食、拡散の形で現れ、計画性のない市街地群の形成は、土地利用の混乱、交通錯綜、生活の荒廃など新たな都市問題となり、その抜本的対応を迫られることとなった。こうした都市周辺に発生していく無秩序な市街地の膨張、拡散の現象(スプロール現象)に対応し、農林漁業との調和のもと、健康で文化的な都市生活、機能的な都市活動を確保するため、適正な制限のもとに合理的な土地利用を図ることを目的として、昭和四三年新「都市計画法」が公布され、四四年四月から施行された。
 愛媛県では、産業開発がもくろまれている東予新産業都市の区域、人口三〇万人を擁し高度産業開発を見込む松山市などの区域について計画的な市街地形成のため「市街化区域」、「市街化調整区域」の区分を定め、新法に基づいて都市計画を定めることとしたが、他の都市については当分の間市街化区域の区分は行わないこととした。都市計画区域は地域の中心都市、開発の連関性、市街地形成の見通しなどを勘案し、新居浜市・西条市・東予市とその周辺、今治市とその周辺、松山市・伊予市・北条市と周辺地域を一体として東予・今治・松山広域都市計画区域に指定し、市街化区域、市街化調整区域の区分の「線引き」をすすめた。線引きは、法令に基づき関係市町村、農林団体など関係機関の意見を聞き、また、関係地区ごとの説明会、公聴会を開催して、整備・開発・保全の方針を定め、松山広域都市計画では四六年一二月、東予・今治広域都市計画区域では四八年一二月それぞれ線引きの決定をみた。
 市街化区域では従来の諸法規による開発規制をはずし、宅地化を促進するとともに、区域内農用地などについて宅地並み課税を行い、需給のアンバランスを是正、地価高騰を防止することが大きな目的であった。しかし、それらの税収を市街地整備の財源に充てるとした当初案は修正されて、特定地域のみに課税することに後退したため、線引きの趣意は大きく後退した。
 県内でも課税をめぐる批判は激しく、また農林投資の去就をめぐっての紛争、公聴会の公述人辞退など紛糾を重ねた。新居浜市・今治市の一部地区では地元同意の見通しが立たないまま、線引案より除外留保する異例の処置を交えて線引きを決定した。決定後は市街化区域内の新用途地域など地域地区の指定(或は改定)を行い、開発規制、用途規制などの運用により適切な市街地形成に努めた。また、街路・公園・下水道など都市施設、市街地開発事業などの都市計画決定(或は改定)を行い、積極的な都市施設の事業をすすめ都市づくりを行っている。

 広域市町村圏の設定

 経済の高度成長に伴う激しい人口の移動により地域社会は著しい変動を生じ、他面、国民生活水準の向上に伴い、都市のみならず農山漁村地域においてもナショナルミニマム(国家が保障すべき国民の最低生活水準)確保の要請が高まり、これに対処する行政のあり方が早急に望まれていた。昭和四三年地方制度調査会は、政府に対し「最近における経済情勢の変化に伴う地方行政の変貌に対処する行財政上の方策に関する中間答申」を行い、自治省においては、その具体化のため、翌四四年「広域市町村圏構想」を打ち出した。一方、同年閣議決定をみた新全総では、広域生活圏を地域開発の基礎単位とする構想が明らかにされ、広域市町村圏構想と符節を合わせる具体的措置として評価された。
 この広域市町村圏構想の目的・内容は、四四年四月に定められた「広域市町村圏振興整備措置要綱」によると「生活水準の上昇、生活態様の都市化、日常生活行動圏の広域化に対処するため、都市的地域を中心に周辺農山漁村地域を含めて形成する日常生活圏域(人口おおむね一〇万人以上)を対象として広域行政体制を整え、かつ公共施設整備を主眼とする総合的な計画を策定し、これに基づく事業を国の財政的援助を得て実施することにより、市町村が当面する諸問題の解決を図り、もって国土の均衡ある発展を期するとともに過疎対策にも資する」というものであった。自治省は、全国で約四〇〇圏域の設定を目途としたが、四四年度は一県一圏域程度をモデル的に設定することとして事業が開始された。
 本県においては、国・県の諸計画との関連、全県一体開発の上での緊急度並びに関係市町村の対応情況などを勘案し、宇和島地区広域市町村圏を設定した。以後、逐年推進を図り、四七年度までに県下六圏域の設定を終えた(表3-40)。
 各圏域においては、それぞれの策定する基本構想をもとに実施計画を定め、広域ネットワークの整備や共同事務処理システムの形成などを通して、圏域の整備に多大の成果を上げてきた。しかし、四八年の石油ショック以降安定成長へ移行することとなり、また、その一方で都市的行政ニーズはより高度化・多様化・広域化してきた。さらに五二年一〇月、三全総が策定され総合的な居住環境づくりのために「定住圏構想」が推進されることとなったことで、従来の成果を基礎としながら、土地利用の総合的調整、文化の振興、地域医療、地域福祉の充実、地域産業の振興等を含めた総合的計画を内容とする構想の見直しを行い「新広域市町村圏」へと展開していった。

表3-40 広域市町村圏機構の概要

表3-40 広域市町村圏機構の概要