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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

4 財政

 県財政の推移

第一次、久松県政の時代、いいかえると昭和二〇年代の後半から三〇年代の前半にかけて地方財政には二つの特色がみられる。一つは昭和二五年にはじまったシャウプ税財政制度の転換であり、もう一つは国的な地方財政赤字の問題であった。
 シャウプ税制については制定以来、毎年若干の手直し的改正は行われてきたが、二九年五月、それを支える二つの柱ともいうべき地方税と地方財政平衡交付金について大きな改正が行われた。それは制定後における政治経済情勢の顕著な変化に制度を適合させようとするものであった。
 地方税改正の重点は市町村よりも道府県に置かれ、道府県に対しては新しく道府県民税や不動産取得税、たばこ消費税、娯楽施設利用税等を設け、また税源の偏在を緩和するため入場税を国税に移管し、それを譲与税として都道府県に配分する措置がとり入れられた。地方財政平衡交付金制度の改正ではシャウプ勧告の積み上げ方式による総額決定を改め、一定率で国税三税(法人税・酒税・所得税)にリンクする方式がとられることとなった。総額決定の際における国と地方間の論争の火種を取り除いておこうとする配慮に基づくものであった。一方地方財政赤字の問題は団体数、赤字額とも二九年度をピークとして、なかには給料の支払いにさえ窮するとい自治体まで現われて、再建旋風がしばらくの間国中に吹き荒れた。
 以上のような動きの中での本県の財政規模並びに財政構造は、表3-29・3-30に示すとおりである。
 歳出規模についてみると二六年度六四億二、五〇〇万円であったものが、三三年度には二・六倍の一三億二、八〇〇万円に膨張している。歳出の財政構造については教育費が三〇~三七%(二六年度は二三%)でトップ、続いて土木費の二〇~二四%(二六年度三〇%)、次に産業経済費の一五~二一%と、この三者で歳出総額のほぼ七~八割を占めている。次にこうした歳出をまかなう歳入の面はどうなっているか。まず歳入を自主財源と依存財源とに分けてみると、その構成比では赤字の多発した二八~三〇年度にあっては自主財源が極度に少なく、おおむね歳入総額の四分の一というところ、その他の年度では三分の一が通常の姿である。次に使途の特定されない一般財源についてみると、国庫支出金に対する依存度の高かった二八~三〇年度を除き、大体四四~五〇%の間を上下している。しかし、そのなかに含まれている県税収入となると、歳入構成比は一三~一八%(二六年度は朝鮮戦争ブームで二五%)と著しく低く、自主的な自治運営までにはまだまだ道遠しの感をまぬかれない。

 県財政の赤字と再建

県財政は、終戦後の混乱した中においても、健全財政を堅持しつつ運営してきたが、昭和二五年のシャウプ勧告による地方税財政制度の改革を転機としてその様相を一変し、次第に窮屈な運営に追い込まれ、年々財政の窮乏化が激しくなってきた。この結果、二九年度においては、四億九、八一四万円の赤字を生じ、これに繰越事業、支払繰延額を加えた実質赤字五億六、七七四万円を生じることとなった。このため二九年度より自主再建に取り組み、翌三〇年度においては、機構改革、人員整理及び実行予算の強化など一連の赤字防止策が効を奏し、単年度においては黒字となった。しかし、財政の窮状は憂慮の域を脱せず、公債費の増大と、連年災害の復旧費などを考えれば、将来まことに多難を思わせるものがあった。このような現状を速やかに打開するため、三一年度において、地方財政再建特別措置法の一部を適用し、県の自主性を損なわず計画的に赤字解消を図ることとし、県議会の議決を経て、財政再建団体としての指定を申し出た。財政再建の申し出から財政再建計画承認までの経過は、次のとおりである。
 昭和三一年五月、地方財政再建特別措置法に基づいて、本県の財政を再建する旨、自治庁長官に申し出る件について県議会の議決。三一年五月二八日、自治庁長官宛再建中出書を提出。三一年六月一日、自治庁長官より財政再建指定日に指定。三一年八月、財政再建を計画県議会において議決。三一年八月一五日、自治庁長官あて財政再建計画書を提出。三一年九月一日、財政再建計画について自治庁長官の承認。
 以上の経過を経て、財政再建計画を樹立して以後、地方財政再建特別措置法の規定に基づき、財政の再建を行うため財政運営のあらゆる分野に画期的な措置を講じ、その誠実な実行に努力した結果、三一年度においては、三〇年度末の赤字四億三、二一七万円のうち、二億六、八九六万円を解消し、再建第一年度において、相当の成績を収めることができた。さらに、三二年度においては、赤字の完全解消ということを最大目標として、三一年度に引き続き、支出の抑制と収入の増収確保に努めた。幸いにして年度前半まで、いわゆる神武景気の余波ともいうべき経済の好況が持続され、税収入において相当の増収があり、さらに加えて、三一年度実施された国の地方財政強化策といった外からの財政再建のための手段と、県独自の再建への自主的な努力といった内からの再建手段、これらの要素が融合結実して財政の再建が進められ、三二年度において、過去の赤字を完全に解消することができた。このように当初の計画を大幅に短縮し、二年間で財政再建を完了することができた。そして二七年度以来の赤字財政から脱却し、六年ぶりに黒字財政となった。

 市町村財政の赤字と再建

地方公共団体の財政赤字は、昭和二五・二六年度ころから漸増し、二九年度には団体数、赤字額ともその頂点に達した。
 赤字発生の原因については、実情に合わない地方財政計画、地方に対する財源措置の不十分、委任事務の増加、災害の多発、とりわけ市町村の場合には合併推進に伴う過大事業の執行や、合併による潜在赤字の顕在化なども加わり、二九年度全国で三四の府県と二、二四七の市町村が赤字を出している。これは府県の七割強、市町村の四割弱に当たるという容易ならぬものであった。
 本県においても、県をはじめ全市町村の四割から五割に及ぶものが二九年度、三〇年度と赤字を出し、なかには赤字額が税収入の三・七倍というところさえあった。
 三〇年一二月二九日、政府は地方財政再建促進特別措置法を制定して本格的な再建対策に乗り出した。
 この法律は、再建団体を赤字発生年度により、二九年度発生については「全部適用団体」と「一部適用団体」に、三〇年度以降の発生にあっては「準用団体」とするほか、再建法の適用も、準用も受けないで再建を行う「自主再建団体」を加えて四つに区分するとともに、再建団体となるためには再建計画を作成して、自治庁長官の承認を得ることが必要とされた。本県の場合、適用申し出期限(三一年五月末日)までに申し出のあったのは、八市二一か町村、そのうち次の八市二〇か町村が再建団体となった。
(市)松山、西条、新居浜、八幡浜、宇和島、大洲、伊予三島、川之江
(町村)北条、睦野、中島、新宮、中山、双海、松前、内子、長浜、三瓶、保内、伊方、黒瀬川、三間、吉田、津島、来、下波、蔣淵、遊子
 財政の再建は、経済の好調に支えられ地方交付税繰入れ率の引上げ、地方財政計画の是正などの措置並びに市町村の熱心な努力と、県の的確な財政指導によって多少の起伏はあったものの、おおむね順調に推移した。表3-31はその経過であるが、若干の説明を加えるならば三〇年度末の累積赤字一四億二、〇〇〇万円に対し、三一年度九億六、〇〇〇万円の歳入欠陥補填債が「全部適用団体」に認められたため、赤字の残は四億五、〇〇〇万円となり、この残された赤字の解消と歳入欠陥補填債の償還の二本立てのもとに再建作業が進められた。
 まず、歳入欠陥補填債の償還であるが、この方は三二年度に三億七、〇〇〇万円、三三年度以降三六年度までは毎年一億円程度を償還し、四一年度をもってすべての償還を終えている。
 赤字解消の方は三二年度六団体の減少をみているが、三三年度以降しばらくの間は解消する一方で、新しい赤字団体が発生したため、その数は横ばい状態を続け、赤字団体が姿を消し県下の全市町村がそろって黒字団体となるのは、四九年度末のことであった。

表3-29 国庫依存財源と自主財源の状況(一般会計)

表3-29 国庫依存財源と自主財源の状況(一般会計)


表3-30 歳出決算額の推移(一般会計)

表3-30 歳出決算額の推移(一般会計)


表3-31 市町村の赤字解消と再建債の償還(愛媛県)

表3-31 市町村の赤字解消と再建債の償還(愛媛県)