データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

1 愛媛の地位

 昭和二五年から三三年頃

ここでは、戦後の昭和二五年から三三年に至る九年間の国(県)の社会、経済、政治の背景をみることとする(表3‐28)。昭和二五年六月、朝鮮戦争の勃発に伴う特需景気は生産・輸出の増大をもたらし、日本経済を急速に立ち直らせていった。
 これらを、景気の過程でみると、特需景気(二六年ころ)、投資景気(二九年ころ)、神武景気(三〇年ころ)と続き、次の三四年ころからの「岩戸景気」へと経済成長の趨勢をたどる。経済白書が「もはや戦後ではない」と述べたのも、この時期(昭和三一年度)であった。
 戦後増加を続けてきた本県総人口は、三〇年代に入り、ついに一五四万人(三〇年、国勢調査)を数え、県人口のピークを形成する。なおこの県人口について詳述すると、三三年の出生率も死亡率もさらに縮小し、出生率で一二、死亡率で三ポイント低下し、人口体質が先進国型へ移行しようとしている。このため県人口の高齢化は進行し、その老齢人口(六五歳以上)比は七・二%(二五年六・一%)となる。このころになると、国の経済の伸展に伴い県からの転出人口が徐々に増加しはじめ、三三年には、総人口一五二万人強と減少(人口一、〇〇〇人に対し転出人口は二六人、転入人ロ一六人で、差し引き一〇人の減)に向かう。
 経済の面では、県の産業構造が第一次産業からの離陸(三〇%を割る)ということもあり、県内純生産は一、二四八億円(名目)で、二五年時の一・八倍となる。こうして県民の所得水準(一人当たり所得)も七万六、七〇〇円へと上昇し、国との所得格差は縮小する(格差は二五年七七%、三三年八三%である)。
 このような経済の規模や水準を生み出す県の産業を見ると、事業所数五万八、四〇〇所(三二年)で二五年に比して一四%の増加である。この事業所の総人口に対する密度(県民の就業雇用機会ともなるが)は人口一、○○○人に対し三八・一所(全国三九・二)で、二五年(三三・七)に比して就業機会が拡大したとも解される。このとき(三五年)、県の就業者数は六五万六、〇〇〇人を数え、その就業構造も国と同様、第一次産業から他産業への比重の相対的移行がみられる。
 これらの県就業者の大部分を占める雇用者の賃金水準(常用労働者現金給与月額)は、一万八、一九九円(国平均の八六%)となる。
 県産業を個々に追っていくと農業部門では、三五年で農家数約一三万八、〇〇〇戸、農家人口七四万四、〇〇〇人で農家人口が県総人口の四九・六%となり、初めて五〇%を割り、同時に一農家当たり農家人口は五・四人で(二五年、五・九人)農家の構成員数も縮小を示す。これら農家人口、農家数および農家構成員の減少は農業経営の生産手段の機械化へとつながり、三三年の農業機械の普及は県全体で三万六、〇〇〇台、すなわち農家亘戸当たり二六台の保有となる(全国平均四四台)。
 工業(製造業)部門は、三三年の製造業従事者約九万人(二五年対比一・二倍)、年間出荷額等一、二七七億円(同比二・一倍)が見られる。しかし国の、この間の伸びがそれぞれ一・六倍、四・三倍であることを較べると、朝鮮特需の影響は地域的には跛行している訳である。それはたとえば、製造業の粗生産性(従事者一人当たり出荷額等)一四三万円/人は全国平均の九四%で、重化学工業化率も五五・五%(全国五七%)となる。
 商業部門では、その従事者数は三三年六万五、四〇〇人(対二五年比一・二倍)、商店数二三・五千店(同比一・五倍)、年間商業販売額は一、〇六〇億円となる。これらの計数から、県の商業の規模と効率を眺めてみると、一商店当りの従事者数二・八人(全国平均三・四人)、従事者当りの年間販売額一六二万円(全国三六一万円)となる。
 次に県民生活とその環境に目を移すと、三三年当時の県の住宅数は三一万戸、そのうち持ち家比率も七七%(全国七一%)である。この持ち家比率はこれ以降低下していくが、県の住宅数がこのように着実に増加(二三年の一四%増)するに伴って一住宅当たりの人口も、二三年の五・四人から四・九人(国五・三人)と住宅事情も改善をみせ、この年五、〇〇〇戸弱の新設住宅がみられる。また、県内の生活基盤や産業基盤に対する投資額(公共工事総評価額・名目)は四〇億円、県民一人当たりにして、二、六五九円(国平均、二、七六六円)でこれらの公共投資は、もちろん国や地方公共団体などによって行われている。
 県の財政(県および市町村の単純計)は、人口一人当たり歳出額一万五、一二五円、地方税額四、〇一七円、その比率(費用・便益比率とも解されるが)二六・六%(全国三六・二%)となる。特に地方税の負担で全国平均との間に大きい差がみられる。
 民間部門の家計では、三四年の家計消費支出額(月平均・名目)二万一、四七〇円で、この県民の消費水準は国平均の七九%に当たる。しかし、二五年当時に比しその消費内容が著しい改質をみせ、エンゲル係数はここにきて、やっと五〇%を割り(四九・四%)〝食うこと〟からの離陸がみえはじめ、食料費の一部が衣服や住居費や教育、文化費へと支出の比重を徐々に移していくこととなる。
 文化の面では、三三年、郵便(通常)利用状況が、二五年に比し二倍の年間七、二〇三万通、電話加入台数は三万三、五〇〇台となる。しかし県人口一人当たりにすると郵便で四七・三通(全国六五・二通)、電話で人口一、○○○人当たり二二台(全国四七・二台)。また人口一○○人当たりの新聞配布部数(購読部数)は二三・一部(全国三九・一部)、テレビ(普通)契約者数は人口一、○○○人当たり七・五人(全国二一・六人)、公共図書館の蔵書数は人口一○○人当たり一二・一冊(全国一三・六冊)などである。これら計測される諸局面は本県の文化性、文化水準の一面を示唆しているとみてよい。学校教育では、三四年の高校への進学率五一%、大学への進学率一四・六%、教員(本務)一人当たり児童・生徒受げ持ちは三三・一人となっている。
 県の医療、衛生の面では、地域の衛生状況を明示するといわれる乳児死亡率(出生数一、〇〇〇人中の乳児死亡数の割合)は、顕著な改善をみせ(二五年五八‰から三三年三五・四‰)、県民の体位(一七歳男子・身長)は一六四・三センチメートルとなり三拝以上の伸びがみられた。また三三年の県内医師数は、人口一○万人当たり一〇五人、医療施設数七八・七か所でその水準は全国の七〇~八〇%に相当する。
 県民の安全指標のうち、警察官は一、四二四人(二五年は七八四人)と増員され、その結果、警察官の人口負担率、すなわち警察官一人当たりの県人口数が一、九四一人から一、〇七〇人と軽減される。県内の犯罪は、刑法犯罪件数で三三年で二万六、四〇〇件、人口一、○○○人当たり一七・三件(全国一八・九件)、火災(建物)件数は人口一、○○○人当たり〇・二九件である。
 以上の県の産業や民生活動のための県内電力エネルギーは一六億七、五〇〇万キロワットの需要量を必要とする。この電力エネルギーは県民一人当たりにすると一、〇九九キロワット(全国六八八キロワット)となり国の電力費水準よりも高くなる。これは本県の電力が民生用の電灯よりも産業用の電力として消費される率が高いためである。

表3-28 昭和33年ころの愛媛の地位(付・昭和25年からの推移)その1

表3-28 昭和33年ころの愛媛の地位(付・昭和25年からの推移)その1


表3-28 昭和33年ころの愛媛の地位(付・昭和25年からの推移)その2

表3-28 昭和33年ころの愛媛の地位(付・昭和25年からの推移)その2


表3-28 昭和33年ころの愛媛の地位(付・昭和25年からの推移)その3

表3-28 昭和33年ころの愛媛の地位(付・昭和25年からの推移)その3