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愛媛県史 民俗 下(昭和59年3月31日発行)

二 婚姻の形態

 奉公分

 先の「婚礼の習俗」でみた「婿入り」は、嫁入り婚にあって、嫁入りに先立つ儀礼であることから、婿入り婚の名残りをとどめた習俗であるとみるのが、ほぼ日本民俗学の定説である。この婿入り習俗は県下の多くの地域にあるが、長期の妻問いを伴う、いわゆる婿入り婚そのものについては、ほとんどその伝承を聞かない。しかし中島町にその痕跡があったとか、昭和一〇年代前半に越智郡の島嶼部の一部に婿入り婚の形態が残っていたと報告されている。宮窪町の事例―嫁入りの儀式はするが、三つ目とか五つ目に里へ帰った嫁が、そのまま親元にとどまることがあった。これをシタクヲフルという。嫁はシタクの間、家のナンドに寝て、二、三年とか子供が数人できるまで実家にとどまっていた例があった。婿は仕事も食事も自家で済まし、泊まりには嫁の家に行く。嫁の実家に嫁の弟・妹が多い時は、シタクを早く終わらせたり、婿の母親が死ぬと、嫁は直ちに引き移る。嫁の道具はその時にはじめて運ぶ。またシタクの間は、嫁の労力は、実家のものになっていたのである。魚島村でも三つ目に里帰りした嫁が、そのまま半年も一年も里にとどまり、婿が嫁の所まで通ったという。また類似例は上浦町盛などにもあった。中島町津和地では、娘宿に青年が遊びに行くうち、結婚の契りを結ぶが、すぐに結婚式を挙げず男が女の所へ毎夜かよい、子供もでき、数年たったころ正式に入籍した。近年まで残っていた風習である。これらの事例は足入れ婚の部類に入れることができる。したがって県下の婚姻形態は、嫁入り婚が支配的であったといえる(婿=養子どり婚は、形態的には嫁を婿に置きかえたにすぎないので、嫁入り婚の範ちゅうに入れることができる)。
 県内で特徴のある婚姻形態としては、大洲地方をはじめとする南予地方に多い「奉公分」とか「奉公分の嫁」があげられる。これは嫁として家に入り、半年あるいは一年間、奉公分として働き、その間に婚家先で気に入られれば、嫁となり、そうでなければ帰されるものである。帰る場合、その間の奉公賃金が支払われた。広田村高市では昔、あの娘が欲しいと思った場合、親と相談のうえで、「奉公分で手伝いに来てくれ」と頼み、半年ないし一年間ほど一緒に住んで働いてもらい、家との慣れ合いもよく、縁があるならば、そのまま置いて結婚した。東宇和郡の山間部では大正末期まで、この奉公分による結婚がその半数を占めたといわれている。津島町御槇では奉公分の場合でも、夫婦盃だけはしておくが、披露宴はしなかった。嫁入り道具もなく、ほとんど身一つで来たものである。うまくおさまれば妻になるが、その場合でも、特に披露をすることはまれにしかしなかった。うまくおさまらない場合は、女中より幾分か多めの給金を受けて里に帰ったのである。
 大洲市では、奉公分で実家に帰された場合、表向き奉公分で出した娘であったのだからと、実家でも世間でも不縁になったとはみなさなかった。しかし、その間、娘が妊娠した場合は、生まれた子は、男の家に引き取られるというのが通例であった。男が引き取らないとニアテナシゴとなる。同市恋木・喜多山では明治中期まで、仲人の紹介で、将来、結婚させてもよいと思う男の家へ、娘を住まわせることがあった。これをアシイレといった。この奉公分は肱川町や小田町上川あたりでもみられた習俗である。
 とまれ、これらの奉公分なりアシイレは、伊豆諸島などにみられる、婚姻成立の祝いを婿方で済ませたあと、嫁は実家にもどり、嫁が主婦となる日に初めて婿方へ引き移るというアシイレではない。むしろ、嫁入り婚が支配的な地方に多い、もう一つのアシイレ形態、すなわち、正式な披露はせず、内祝儀程度で嫁を引き取る試験的な性格をもつアシイレ婚に属するとみることができる。
 また子守りに雇われて、そのまま気に入られて嫁におさまった事例も、結果的には、このアシイレ・奉公分の婚姻形態の一種と考えられる。
 なお、大洲地方で奉公分から正式の嫁入りとなった場合、組内の者として付き合ってもらうため、挨拶廻りをしたり、組の寄合いの席にしるしのものを出したり、さらに丁寧な場合は、酒宴を設けて、振舞い酒をした。このようにして、組内の承認を得ることをアシアライといった。

 初期の婚舎

 結婚後の生活の場としての婚舎は、嫁入り婚が支配的である本県では、婿方の婚家の部屋が当てられるのが普通である。結婚当初、それまでいた両親がオクノマを出て、そこに新夫婦が入り、子供が生まれて成長し結婚するまでの間、このオクノマで起居する例が、玉川町桂をはじめ東・中予地方にかけて多い。また両親がハナレ(別棟)に移り、新夫婦が母屋に入るところもある(城辺町僧都・御荘町長月・長浜町櫛生ほか)。この場合、長浜町櫛生のように、式から一定期間が過ぎた後に新夫婦が母屋に、両親がハナレに移るところと、御荘町長月のように、嫁をもらう以前に、両親が入るべきヘヤ(ハナレ)をつくっておき、結婚と同時に両親はヘヤに、若夫婦は母屋で住むところとがある。(第四章第二節―家と親族組織参照)

表8-5 初期の婚舎

表8-5 初期の婚舎