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愛媛県史 民俗 上(昭和58年3月31日発行)

3 土地や岩石のタタリ

 土地のタタリ

 クセ地・タタリ地・負け畑などとよばれる土地をみだりに耕したり、汚したりすると崇られることがある。これらは御霊信仰に基づく土地にかかる禁忌と考えられる。伊予三島市上猿田の玉取山はクセ地で、昔、兄弟が耕作していたが、利害の対立から兄弟げんかをして、二人とも死亡、それ以来、焼畑の火入れを忌み、人の立入ることを忌み、また、伐木することを恐れるに至った。新宮村ではクセ地をイラズという。西条市西之川ではタタリ地、上浮穴郡面河村、久万町、美川村では負け畑といっている。美川村筒城に負け畑があり、そこに植林して山にしようとすると、煩って死ぬといわれる。
 松山市道後温泉の側にある畑を汚すと、崇られて寒熱を発するといわれた。北宇和郡津島町大道のイラズノモリ、東宇和郡城川町上影のイラズノヤブは、足を踏み入れても煩うといわれる。
 宇和島市川内の牛頭天王社は、三島神社に合祀されたあと、その社地が売りに出され、買主が直ちにそこを畑にしたら、山からしばしば石がころげ落ちたり、死人が出たりした。天王社のタタリとされ、畑として耕作することをやめた。
 成妙村(現三間町)にババヤシキという田があり、そこに馬をひき入れると、目がつぶれたり、足が不自由になったりする。
 こうした土地にまつわる信仰には、御霊信仰のほか、聖地信仰、土地の所有権や境界線をめぐる紛争などが背景となって成立したものもあると考えられている。

 塚のタタリ

 新宮村のオ塚サマは石を積み重ねたり、土盛りをしたり、その上にオムロを置いたりしているもので、土地所有者を祀ったものという。これを粗末にするとタタリがあるといわれる。伊予三島市富郷の各所には、追手のために殺された七人の武者を埋葬したという七人塚が多い。これは先の七人ミサキと関連性を持った信仰といえよう。東予市吉田にも森塚が所々にある。この森塚の樹木の枝葉をとってもタタリをなす。これらの塚はみな昔、勅使に随従して下向した人々の塚といわれる。松山市鷹子の大久米命の古墳との説もある大塚穴は、三人の者が、かつて発掘したら、三人とも、門や納屋をやいたり、頓死したりしたので、封土をもとどおり回復し、これを祀った。喜多郡五十崎町天神でも近隣の山岡某が塚のカヅラを切ったことで半死半生の病にかかり、崇られたといわれる。

 岩石のタタリ

 越智郡朝倉村多伎神社の後方山中にイシグロサンとよぶ石塚があって、その近くを流れる川の石を持ちかえると、腹が痛くなるといわれる。今治市神宮の野間神社本殿から奥へ一キロのところに石神サンとよぶ巨石がある。これに触れると腹が痛くなるという。松山市湯山地区の古城の跡に甲岩とよぶ石があり、梅の古木が一本はえている。河野氏の一族七人がここで滅んで、村民に崇ったので、毎年七月二四日にこれを祀るようになった。東宇和郡城川町上川にも松の木が生え、ヒヅメの跡がのこる岩が田んぼの中にある。これに肥をかけたところ、煩らった人がいた。南宇和郡の由良半島一帯には、石造の五輪塔が各所にみられ、平家の落人の墓・南朝方の墓・戦国時代の落人の墓といろいろの伝承をもつ。これらの五輪塔を動かすと、必ずタタリがあると恐れられている。

 神木のタタリ

 神木を伐ってタタリを受けた話は、『大洲妖怪録』にある。蓑島伊右工門正勝の屋敷裏に山があり、そのヤブの中に一本の古い神木があった。伊右エ門が、ある時この木を切って薪にした。その夜から三歳の子供がにわかに発熱して苦しみはじめた。正勝は、八方手をつくしたが、ある占い師は、神木のタタリといった。蓑島十右エ門正義なる人物がヤブに向って、「代わりの木を植えるから子供は助け給え」と叫んだ。その結果、熱は少しさめたが、ついに子供はむなしく死んでしまった。