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愛媛県史 民俗 上(昭和58年3月31日発行)

2 神仏のタタリ

 宇和地帯のマツリ神

 御霊系の神や小祠をそまつに扱ったりした場合、さらに激しくタタリをなす。宇和地帯ともよばれる南予地域の一部には、山家清兵衛の御霊をまつりこめた和霊様を頂点とする御霊神が多く存在する。新田義貞をはじめとする新田氏の亡霊を祀る新田神社(新田様、宇和島市豊浦・三間町大藤・一本松町中野川の西イットウでの祭祀など)や土佐の長宗我部氏に追われた一条兼定を祀る一条宮様(宇和島市戸島本浦)などである。南予に御霊信仰が濃厚な理由について、桜井徳太郎は「何をおいても生産力の低い狭溢な土地と、海岸にまでせまった山間の僅かな谷間に集落を形成しなければならなかった辺地という地理的条件(このために多くの百姓一揆をおこし、また幾多の義農伝説を生むことにもなったのである)、さらに、歴史時代、わけても戦国争乱の時代に、他からの侵略をうけたこと、とくに長宗我部氏や大友氏の入寇に遭って痛めつけられた歴史的体験とが綯い合わされて、人為以上の力、超人間的な神力に一切を托そうとするパースナリティがつくり上げられたのではなかろうか。」と指摘している。
 なお、こうした御霊神は、後述の若宮様・五輪様とともにマツリ神様とよばれ定期的に祭られている。しかもこのマツリ神を、先祖神としている場合が多く、家屋敷や一族を守護する地主神や屋敷神と通底する性格をもつといわれ、家や同族の盛衰や禍を左右する存在とされてきた。したがって、北宇和郡内では、これらマツリ神様は同族としてのイチマキを単位に祀られる。宇和島市高串本村の今城イチマキのマツリ神は今城様とも、アリの本様ともよばれ、アリの木の中に五輪塔がおかれ、傍に石の小祠も安置されている。この神は、恐ろしいタタリ神様で草を刈ったり木を伐ったり、五輪や石祠に少しでも触れるとイチマキの中から病人が出たりする。かつては旧四月と八月の一五日にイチマキ全員で祭りを催した。太夫を招きお祓いをした。それをオカミアゲという。
 一方、南宇和郡ではスカなどとよばれる小字やムラ組の地縁でまつられるマツリ神が多い。城辺町中緑の繁鷹様は、中緑組の九戸によって旧九月二五日に盛大な祭りが行われている。

 神仏のタタリ

 (1) 若宮様 北宇和郡津島町御内には若宮様が多い。その一例を示す。乱世のこと、ある殿様の奥方が山へ逃れたとき、金めあての猟師がこれを殺した。そのため猟師の家は馬鹿や眼の悪い者が出る家筋となった。そこで奥方殺害の場所に若宮様として祀った。月の一、一八、二八日にそこへ行くとけがをするといって恐れられた。若宮様は人に障ることが多いタタリ神である。一体にジゲ氏神の若宮様はタタリがなく、スカ(字)のマツリガミとしての若宮様はタタリが激しいといわれている。
 (2) 聖神 越智郡生名村の大日堂前にヒジリ神サンが祀られており、今でも毎月五日に古老が念仏を唱える。腰より下の病気がよくなるといって、腰巻をつくり供えている。昔、高野山からきたという旅人が大日堂を通りかかったとき、ちょうど下痢となり糞をひったのを村の人がとがめ、口論の末、村人がその旅人の尻を斬り、殺してしまった。それ以来、村人の家に不幸がつづき大いに崇ったので、その霊を祀った。
 (3) 屋敷神 西宇和郡瀬戸町大江には平家の残党としての屋敷神が多い。赤い幟を立て祭っている。不運なことが続くと、これら屋敷神が崇ったのだといって近所が寄り合ってオコモリをする。
 (4) リュウゴンサン 越智郡吉海町大突間にあるリュウゴンサン(龍王神)は、近くの海中に刃物を落とすとタタリがある。そのときは、リュウゴンサンに五色の糸を供えて、おことわりをする。
 (5) 水神様 新宮村の銅山川と馬立川の落合いに大きな岩があった。この付近で悪病が流行し、大勢の人々が死んだことがある。水神様のタタリということになって、毎年盆の一五日、岩の上で踊りをしたという。
 (6) 地主サマ 温泉郡中島町西中島では、地主サマといって瓦や石の祠に祀っているのは、その土地で死んだ人の古い墓であるという。一二月一一日に塩・花を供えて祭る。この地主サマが崇るともいう。
 (7) 荒神様 宇和地帯には、火伏せの三宝荒神とはまったく別物の、家の屋敷内や田・畑などの屋外に鎮座し、屋敷や土地を守護する屋敷荒神・地主荒神と称すべきものがある。またこれは、吉田町法華津の深浦をはじめ各地で八面荒神ともよばれることがある。宇和島市戸島本浦の荒神もよく崇る神であり、毎月一日にオ荒神モウシとよぶ祭りが行われている。しかし県境にちかい一本松町の荒神様はすっかりタタリ神的性格がうすれ、豊年を祈願するための作神的性格に変わる。そこでは秋の収穫がすんだころ、オ荒神講・オ荒神マツリとよばれる信仰行事が行われる。
 (8) トンベ神その他 新宮村のトンベ神は、大晦日にこれを祀っている家に集まるが、これを追い出すと崇る。大洲市大川森山にある拝竜権現には、毎年生きた人間をお供えしなければ村にタタリをなすので、毎年三月三日の朝早く、夜の明けないうちに、村役人が石の瀬戸というところまで出かけて行き、その路を、その朝三番目に通る人を捕えて、お供えした。人身御供の噂が広まると、その日に石の瀬戸を通る人がいなくなったので、兎などを捕えて御供としたが、その日に運悪く獣類がつかまらず、お供えがなかった年は、必ず近くの川で溺死する人がでたという。西宇和郡保内町赤網代の二宮様とよぶ小祠は、近くの梅の木の花をとったり、騒々しくすると崇るという。夕方、ホウベラ草を取りに登った人は夜、腹痛で苦しんだことがあった。旧吉田藩瀬波村(現広見町)の白林山等善寺の本尊如意輪観音は、盗みとられてよそに持ち運ばれると激しくタタリをなすので、盗みとられることはなかったといわれる。宇和地帯では、疱瘡やチフスなどの流行病がはやってくると、それは、悪病をつかさどる厄病神としてのハヤリ神様の神怒に触れ、そのタタリをうけたためおこったと判断し、村境に注連縄を張ったり、大草鞋を吊したりして村祈祷を行う。