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愛媛県史 民俗 上(昭和58年3月31日発行)

1 苗代の習俗

 種漬け
     
 八十八夜が近づくころになると、農家では籾播き準備をする。籾種は叺や俵に入れて貯蔵した。籾種の保存には大豆を入れた袋は忌みた。これに入れると発芽しないのだという。
 種籾は唐箕で精選する唐箕選、ついで塩水選法令消毒液を用いて選別するようになった。明治二八年の池川次太郎(温泉郡重信町見奈良)の『農業実験録』によると「籾種子は七日或は八日間かし置くべし。これをかすには寒中の水を取り置きて用ゐるべし(悉く寒水を取り用ゐること能はざれば少々にてもこの水を交(ママ)ふべし)。塩水にて悪しき籾を除き取るべし。(中略)籾種子は寒中晴天の日を見て一日丈けむしろ干しするときは籾蒔き付け後苗に虫おかず。又傷むことなければなり」と言っている。なお寒がしのことは大洲藩士井口亦八の『農家業状筆録』(文化年間一八〇四 ― 一八一八)にも「手廻しよき農家は、寒の水をのけ置、一旦寒の水に浸し置けば、虫の憂すくなしとかや、老民申ける。余計田をつくる農家は、俵のままにて水につけ、二、三斗程は桶にひたすとかや。村々所々仕来仕くせ有、夫より俵を揚げ三日ほどかわかす。」とある。また宇和郡横林村(現東宇和郡野村町)の庄屋大野正盛の覚書(文久二年=一八六二)にも「種を浸すに、寒の水を取り置き、この水に浸す時は、虫つかず癖つかず奇妙なり。」と言っている。
 種籾漬けは一般にモミカシといっているが、タナダテといっていた所もある。籾かしは、四月下旬から五月上旬の吉日を選んで行う。偶数日がよいという。宇和島地方では種籾の播種計画を立てることをタネアテガイといっているが、叺に入れて五日間川漬けしておいて、六日目に播いた。七日籾は忌みる。

 苗代ごしらえ

 苗代のことをノトコ、ナシロ、ノシロ、ナエシロなどと呼んでいるが、この苗代ごしらえをするのをノトコヲフム、ノトコツクリといったりもする。苗代田の場所は、だいたい各家とも決まった田が充てられていて、正月二日の鍬初めをこの苗代田で行っている所も多い。
 現在の短冊型の苗代は、明治三五~六年(一九〇二~三)からで、それの前は練苗代(水苗代)であった。畜力によって長犂ですき、三番叟槌や株切鍬で土塊を砕き(クレタタキ)水を入れてマクワで掻きならし、オオアシ(大足)で青草などを踏み込んでつくった苗代であったので練苗代といったのであるが、ネリコミ、フミマキともいった。

 籾まき

 一般には籾まきであるが、ナシロフミ、ノシロフミ、マキオロシ、タネオトシといったりもした。方法は、ヒラマキ、ヒロマキ、バラマキ、ベタマキなどの呼称があるように、短冊型苗代の場合のように苗代の中に踏み込まずに畦側に立って籾種を振り播くように播いた。この場合、苗代は一面に水を張っているので、ミズマキという言い方もあった。
 籾播きは従って熟練を要することであったから、一家の戸主がしたものである。日の吉凶がいわれ、七日・九日は語尾がヌカとなるので忌みた。巳、午の日も忌みる。その年の明き方に向いて播き初めをしてからとか、東方に向いて播き始めていた所もある。