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愛媛県史 民俗 上(昭和58年3月31日発行)

一 毎日の食事

 毎日の日常的食事は、ことにその地域で生産される物に左右され、社会的な身分によって制約された。愛媛県の土産について『和漢三才圖會』(正徳三年=一七一三)は、大豆・胡麻の農産物、鮑・鰹・鯵・白藻の海産物、松山名物の素麺、半夏の薬草、それに奉書・杉原紙・簾・貲布の工芸品の名を書きとどめている。明治一〇年(一八七七)に刊行された『日本地誌提要』には、赤蕪・牛蒡・蒟蒻・芋魁・生姜・山葵・藍・姻草・茶・綿・木綿・木綿縞・砂糖・素麺・蝋・紙・漆・塩・鰹節・乾鰮・年魚・章魚・鯣・鼈甲・陶器・瓦・簾が挙げられている。文化年間(一八〇四-)の『松山往来』、安政五年(一八五八)の『宇和島土産考』(田原明章)にもそれぞれの地域での物産品が記されている。しかし、これらの農・海産物が一般庶民の食料となったわけではない。むしろ、日常の食事に供されることが制限されたともいえる。「食物は極めて質素なるものにて半麦飯に時々粥、雑炊、ハッタイを交へ副食物は野菜に限られたるものゝ如く、農家が生魚を食ふは祭礼又は特別の客事に限り祭時と雖も多くは手作りの野菜と豆腐蒟蒻にして魚類は僅かに数尾を用ふるに過ぎざりき」(宇和島吉田両藩誌)状態であったとも考えられる。「奢侈遊惰を警め礼儀作法の正しからんを訓へ領内一般の醇厚成俗を企図した」宇和島藩の旧記のうち食事についての諸令達のいくつかを掲げてみる。

   享保・元文の頃(一七一六~一七四〇)、町奉行へ「一、蒸菓子近来大振に拵立売買候趣相聞、之れ又無益の事につき饅頭、花餅、伊賀餅其外果物等に形取細工致し候類以後五銭迄に限り其以上差留候。一、竹輪、蒲鉾、半辨の類様々色取或は大振に仕立致し売買候趣に相聞ゑ、是亦以後右様の仕立差留、一通りの品を売買可致候。一、近来町方端々迄も煮食売買等のもの相増し、酒肴或は雑煮麺類等仕成し商ひ致し候者共数々有之趣相聞候、心得違無之様渡世の者共へ可被申付、尤も此の餘右の心得を以て屹度締合相立候様差配可致候。」
 ここでは町人たちの蒸菓子・餅、副食としての竹輪・蒲鉾・半辨、酒肴・雑煮麺類への規制が行われている。
 農漁村での食事について宇和島市三浦の田中家文書『繁栄重宝記』の第七十九条第二に
  「食料費ハ常住ノ家内一ヶ月一人前ニ付隠居ハ米壱斗五升(則チ五合扶持)其他家族ハ米壱斗五合及麦四升五合(則チ五合扶持ノ米七分麦三分ノ割)常雇人ハ麦壱斗五合及甘藷三拾五貫目(則チ七合扶持ノ麦米芋半分ノ割)充ヲ常食ノ分限トシ此他糯及雑穀野菜類ハ日常ノ雑用手当トス」
と定めている。庄屋の隠居は白米、当主家族は米七麦三、雇人は麦甘藷が主食と定められていた。

 食 制

 食事の回数は現在では朝・昼・晩の三食に固定されているが、古くは朝・夕の二食であった。朝~夕食に間食が加わり一日三食の食制が成立した。労働が必要な季節・時期には朝食前、朝・昼、昼・晩、晩食後などに軽い食事が加えられることがあり、一日に四、五回の食事がとられた。県下の食制の概要をみる。
 労働時間を朝六時より夕刻六時までの一二時間として、この間に①三食②四食③五食の三類型がみられる。
①三食型は朝六時・昼一二時・晩六時の現在の食制型である。  (食間経過時間六時間型)
②四食型は朝六時・一〇時・昼二時・晩六時の食制型である。  (食間経過時間四時間型)
③五食型は三食型のそれぞれの中間に軽食をとる食制型である。 (食間経過時間二時間型)
 この食制は固定しているものではなく夏季・冬季によって四食から三食に変わり、労働の軽重によっても変化する。朝食前の早朝食も絶無なのではない。養蚕・煙草乾燥などの作業時には軽い食事をとる。また夜食は藁仕事・粉挽き・楮皮剥ぎ・養蚕などの夜なべ、深夜作業の場合には藷・ハッタイ・団子などを食べる。
 それぞれの食事の称呼は①三食型の場合、アサメシ(アサハン)・ヒルメシ・バンメシ(ユウメシ)が基本である。②四食型においては朝食アサメシ、一〇時(朝~昼)ヒルメシ、三時(昼~晩)オチャ・ナナツ・オコンマ、晩食ユウメシ(バンメシ)が基本と考えられる。この場合の称呼は変化に富んでおり、とくに昼~晩食の三時食にはユワダ(土居町)・オジヤ(別子山村)・ノッチャ(西条市)・ニバンチャ(面河村)・ハザマグイ(長浜町)などを挙げることができる(図1-1)。③五食型における一〇時食はイチバンチャ・ハヤビル・ヤスバ・オヤツ・ヒトヤスミなどと呼ばれ三時食との対応もみられる。

 主 食

 食制一覧表のなかにも略記してあるように、農山漁村における主食はムギ・アワ・ヒエ・キビなどの穀類と、本来は主食料の不足を補う代用食と考えられる甘藷が主食品であった。とくに甘藷は海岸部においては段畠の主要農産物として栽培され麦とともに不可欠な主食として漁民の生活をささえていた。山漁村にかかわらず、農村といえども米飯を食べることはまれであった。宇和島市九島では甘藷と麦が主食であった。主食をメシ、副食をサイといった。粟・黍は晴れの食事であったが稗はほとんど作らなかった。メシは甘藷をふかしたものであり、イモメシは甘藷の皮を剥いでふかして杓子で練りつぶしたものであった。生のままキリボシにして貯蔵していた甘藷を沸騰した湯のなかに仕込んで炊きあげたものをヘラメシといった。ヘラメシのなかには、ときにエンドウとかササゲを炊きこむこともあった。キリボシをダイガラ臼で小割りにするときにできた皮の部分を炊ぎあげたのをツメノメシとかカチヅメといった。甘藷の生を乾燥させて粉末にした藷の粉を牛の舌状に形どって蒸しあげたのがイモノモチである。掌で握った形で蒸すこともあった。セイロに並べるときは表面がチョコレート色に変色するまで蒸して重ねないと接触面が蒸しあがらない。生藷を輪切りにしてアンコに見立て藷の粉で包んで、あるいは塩餡を包んでイモノモチを作った。甘藷を主体として米麦少量を加え野菜や魚とともに炊いてイモ雑炊とした。冬期の主食であった。麦の収穫までは甘藷が主食であり、麦の出来秋までのつなぎとして藷の粉を主食としていた。裸麦を精白して三番水を入れる炊きかたをするのがムギメシである。麦と米がおのおの四、粟二の割合で蒸して粟の強めし、或は麦の小豆飯とした。小麦粉をゆがいてダンゴを作り、米麦の粥に小麦粉をのばしてちぎって入れ味噌で味つけをしたミソガユは体の温まる食事であった。
 甘藷は主食であるとともに飢饉に備えての食物でもあった。愛媛県に現在栽培されている甘藷が移入されたのは正徳年間(一七一一~一五)のことであったという。越智郡上浦町瀬戸の下見吉十郎が回国の途次、薩摩国日置郡伊集院村の百姓土兵衛から甘藷種子のいくばくかを貰いうけ持ち帰ったとされている。吉十郎は芸州竹原の土屋氏より妻をめとり四子をもうけたが、みな夭逝したので発心修行して六部行者となり諸国を回国した。甘藷を持ち帰った吉十郎の人徳と功績を尊崇し農民は地蔵としてその霊を祀った。芋地蔵と呼ばれ香花が絶えない。この地域では享保・天保の飢饉に際しても甘藷によって生きながらえたのであった。吉十郎は宝暦五年(一七五五)八月に病歿した。法名を古岸濁釣信士という。その顕頌碑は芋地蔵堂の前に建てられている。
 また南予では宇和島市下波の浅井文治郎(明治二一年歿)がアメリカ甘藷を移入し、段畑作付甘藷の品質向上に功績があった。墓碑銘に「当村字島津浅井文治郎君ハ曾テ亜米利加甘藷ナル物ハ従来ノ甘藷ヨリ植種ニ容易ニシテ収利多キヲ聞知シ文久元辛酉十二月土佐国幡多郡清水港ヨリ種子若干ヲ持帰リ村中ニ分与試作セシニ果シテ収益多キヲ以テ人々争テ植種シ遂ニ今日ノ盛ヲ見ルニ至リシハ独リ君ノ功トイフベシ此ニ一碑ヲ建立シ君ガ功績ヲ表スト云フ 現住秋月越応誌」とある。
 山間地域での主食には甘藷のほか粟・黍・稗・麦が食べられた。伊予三島市中ノ川では稗を石臼で碾き土製のコウラで炒り粉にして水でねって食べた。粉のままで、或は団子にして主食とした。黍は粉食するか汁に入れて煮込んだ。唐黍は石臼で挽き割って小豆を少し加えて長く煮てやわらかくした。蕎麦は粉にして粟・野菜・里芋などとともに味噌で味付けして鍋にたっぷりの水で煮込んだ。南予の城川町も山村である。主食は麦・唐黍であった。米を全く混入しないで炊く飯をバッカリメシといった。素唐黍飯・素麦飯・素稗飯である。バッカリは「…だけ」の意味である。ふつう稗飯は米2、稗8の混合飯(別子山村瓜生野)であるからである。小粒に割った唐黍に少量の麦を加えた主食が唐黍粥(丹原町明河)である。苗代の時期は焼き米を、夏は唐黍を主食としたところもあった(双海町法師)。三崎町正野でのヤキゴメは唐黍と大豆の混合粉食をいった。広田村高市では小粒に割った唐黍の中に米・麦少量を混合して粥・雑炊を作って主食とした。

 副 食

 魚島(魚島村)は瀬戸内海の、日振島(宇和島市)は宇和海の離島である。両島の食事の概要が次のように報告されている。
 この報告によれば離島における副食が自給自足の範囲内に制約されていたことが明瞭である。交通が不便で多種類の変化に富んだ副食品の入手が困難なこともあったであろうが、それよりも余程のことでなければ現金で副食を購入することがなかった。あるいは購入すべきではないという考え方がその根底にあったものと推察される。生活のための消費材は自らが作るものであるとの意識が強く働いていたように思える。ことに日振島における食生活が甘藷主体に営まれていたことは注目されねばならない。主食としてのイモ飯は生甘藷を練りつぶしたものであり、生甘藷を薄切りにして干したキリボシを炊いたカンコロ飯も主食であり、生甘藷に味付けして副食とし、あるいはキリボシを製粉したイモノ粉を蒸してイモノモチを作り主食・間食とした。蒸甘藷を乾燥してヒガシヤマを作り間食、あるいは携行食とするがごとく甘藷は麦とともに島での人間の生命をささえてきたものでもある。水田が皆無といってもよい日振島では段畠作物として栽培でき、主食に適するのは麦と甘藷であった。さらに漁類の豊富なことが島民の健康維持に不可欠な条件であった。島民の生業が漁業であり、その収獲魚類がイワシであった。イワシを乾燥したカイボシはいつも島民の身のまわり手のとどくところにあった。右手に甘藷を握り、左手にカイボシを持つ姿が島での食生活の象徴であったといえる。
 自給の生活のなかでの山村の副食は山野で採れる山菜と畑で栽培する野菜とが主体となる。
 別子山村瓜生野…煮菜・イタドリ・フキ・ニラ(雑炊に用いる)・ゼンマイ・ワラビ・白瓜・馬鈴薯・大根・トチ菜(ヒタシ物用)・コビカズラ(烏瓜の根から採る澱粉)・ヤマイモ・シレ(マンジュシャゲの根)・トチノ実・夏竹破竹黒竹の竹の子・水菜・杓子菜・煮干・ワカメ・アラメ・ヒジキ
 小田町野村…ヤサ味噌漬・梅干・ラッキョウ・干大根・ウド・コンブ・イリコ(小魚煮干)
 野村町小滝…コウコ(タクワン)・ハヅケ(葉野菜漬)・ショウユノミ(ひしお)・豆腐・オカラ(卯の華)・干魚
 城川町…野菜・ワラビ・ゼンマイ・フキ・ツクシ・ウド・ニラ・ノビル・クジュナ・ミョウガ・スイジン・イタドリ・ハヤ・ウナギ・ドンコ・ウサギ・キジ・ヤマバト・シナイモズ・バカドリ・コヤマメ(ソラマメ)・ダイズ・エンドウ・ウズラ
 離島・山間地域におけると同じく平地々域にあっても自給の建前は変わらなかった。道後平野の松前町、肱川流域の大洲市、南宇和郡一本松町の農村地域ではつぎのようであった。
 松前町…副食物はオサイ(お菜)といい、多くは自家栽培による野菜を利用し、主として漬け物であったが、浜の漁師は魚を多量に利用していた。漬け物は年中きれることのないように何種類もつけていた。タクワン・梅干・ラッキョウ・ウリなどで、タクワンは四斗樽でつけ、他に大根・ナス・ウリの味噌づけ・ドブづけ、季節野菜の葉づけなど、おかずの中で漬け物は重要な位置をしめていた。自家野菜もヒラナ・タカナ・ホウレンソウ・大根・カブ・カボチャ・ニンジン・ゴボウ・ネギなど種類が多く栽培されて、なまでだべたり煮て食べたり、いろいろな料理をした。大根は切り干しにして野菜の端境期に利用された。田の畔に植えた大豆は自家制豆腐または煮豆にして食べていた。魚は、浜の漁村では豊富に食べられたが、他の農家では不自由で「おたたさん」の行商によるものを買ったり、米との交換をして手に入れていた。ときどきイリコを利用するくらいでブエン(無塩=鮮魚)は多くの農家ではめったに食べられなかった。それでも、明治の終わりころから大正にかけて、だんだんと生鮮も量を増し、平常でも買って食べる家が多くなった。また農家では自家の穀物を利用し、鶏を飼って卵を自家用とし、余りは売っていた。
 大洲市…魚や肉を食べるのは年に何回もなく、ブエン(=鮮魚)を買う日も、正月と節供、盆と祭りくらいであった。肉は四つ足ものといって嫌っていた時代もあったが、籠をかるうて肉屋が来るようになると上流家庭では年に三~四回も買ったものである。ジバに(質素に)それだけ切りつめた食事であったが、祭りのごちそうは大層豪華で、どの家でも何鉢も盛って鉢台に並べ、親類や知人を招いてふるまった。野菜は自家栽培に限っていて、シャクシナ(ひらぐき)・オオナ(たかな)・ナスビ・カボチャ(なんきん)・ダイコン・ニンジン・ゴボウ・ネギ・ネブカなど一〇種類くらいのほか、フキ・ミツバ・ヨモギ・クジュウナ(くさぎ)・ナバ(茸)・ワラビ・ゼンマイなどの山菜も利用した。これらは乾燥したり塩づけしたりして、野菜の不自由なころの補いにした。
 一本松町…おかずのことをオサイとも言った。イリコをダシにしてチョウセン(カボチャ)・ナスビ(ナス)・キュウリ・メアカ(サトイモ)・大根・カブなどの野菜を煮たり酢漬けにして用い、それもないときはコウコ(タクワン)・味噌・梅干などの漬物だけですませることも多かった。たまに魚を買って焼いたり煮たりして食べるのが普通農家の上々のオカズであった。春は山野のツワナ・ワラビ・タケノコなどの山菜、秋はヤマイモ汁の珍味が楽しみにされた。また、たいていの家で飼育していた鶏の肉や卵は貴重な蛋白源であって自家用に供され、売る家は少数であった。そのころ、増田や正木の山ではまだウサギやイノシシがよくとれていた。イノシシ狩りをして射ちとめた人は頭を貰えた。タヌキやウサギはどこでもとれていた。正木では四つ足を食べることを忌み、これを煮るときは麻の苧を作るときに用いたオガラを入れるしきたりがあった。また篠川でアユやエビがとれた。アユはモンガリという道具を使ってとった。モンガリは先が熊手のようになっていて、浅瀬を通るアユをひっかける独特の道具である。またウナギもよくとれていた。満倉の人々は岩水・垣内など浦方がすぐ近くにあるのでそこから魚を貰ったり、物々交換をしてほとんど年中、魚を買うことはなかったという。また満倉は赤木川・惣川の下流にあるのでツガニ(川蟹)・エビ・ウナギが大量にとれた。組のオコモリがあると総出で川にエビ捕りに行った。エビを煮て重箱につめて行くので開けてみるとどの重箱も同じようにエビばかりがつめてあった。ウナギは四季をとわず捕れたがオチウナギのまるまるとふとってうまいのは秋になってからであった。
 野菜・干魚は煮たり焼いたり、和えたり漬けたりして調理されたが、特に名称はなく、大根が主体であれば〝大根のサイ〟などと称された。飯にぶっかける汁として調製するのがもっとも簡単で食事に適していたので、ホウチョウ汁(野菜とともに煮る団子汁)、サツマ(焼魚の身をほぐして味噌とともに摺りつぶした汁で薬味としてネギを添える)、ユウガ汁(ユウガオ汁ともいう。カボチャ汁)を作ってい
たのは宇和島市九島である。

 清良記の栽培野菜

 中世末期、北宇和郡三間町に居城した武将土居清良の一代記を中心とした全三〇巻からなる『清良記』の巻七上・下は農業についての記事で、別名を「親民鑑月集」と呼ばれる。一六二九年~一六五四年の間に成立したと思われるわが国でもっとも古い農書として知られている。年間の各月に植え、または穫り入れる植物約二百が記録されており、さらに主要作物についてその栽培品種名が挙げられていてその数は約四五〇ある。記載されている作物名称は現在の和名と異なるものが多いが、列挙して副食(主食・農業)としての栽培野菜などが多種多様であることを認識したい。
 ※(  )内記事は松浦郁郎の校訂補註である。
  四季作物種子取りの事
正月中に植う可き物の事
  △垣菽(黒白二つあり) △菊(大白冬咲等) △花苧 △蕗 △茗荷(夏秋にあり) △菱(二色あり) △蓮(二色あり) ●△夏菜 ●△藍(色色あり) ●△萵苣(色色あり) ●△ねぶか ●△葱(大小二色あり) △よめがはぎ ●△高秬(玉蜀黍) ●△高秬(蜀黍) ●△唐胡麻(箆麻) △茶 ●△加子
   右、苗にもし、直にも植うる分は、一文字の上に星星あり。則植付くる分は山形斗あり。
  △かたし(「つばき」のことなり) △小がたし(「さざんくわ」のことなり) △松 △杉 △桧 △栗 △柿 △油木 △玉ぐさ △椎 △樫 △梅 △杏子 △桃 △楊梅 △漆 △銀杏 △梨
正月取りて給る菜蔬野菜の事
 △萱草 △蕪莢 △大根 △芹 △薺 △牛房 △だびらこ △仏の座(こおにたびらこ) △はこべ △蕗の塔 △野大根 △萵苣 △菘菜 △つは(つはぶきの略言) △鹿尾菜(ひじきもの略) △おご(江藤・於期)おごのり △韮 △夏菜 △葱 △ねぶか △分葱わけぎ(冬葱) △胡葱 △蒜(萌、大蒜)にんにく △千根えぞねぎ、ちもと(米沢) △芥子菜 △三菜芹 △蓮根 △葛根 △蕨根 △防風 △いびら △よめがはぎ △ゆり △ほど △野老 △蕷 △人参の葉 △蒲公 △子持菜 △高野菽の葉 △法蓮草(渡薐草)
二月中に植う可き物の事(二月分の黒白の符号は落せり)
 △苧色々 ○△大角豆 △続随子 △夏大豆 △小秬 △牛房 ○△早稗色々 ○△高秬 ○△夕顔色々 ○△ふくべ(匏)(瓢箪)色々 △冬瓜 ○△胡瓜 ○△芋二十色斗 ○△蓮 ○△くわい ○△れいし(つるれいし、苦瓜) ○△ぶどう ○△かつら菽 ○△なた豆 ○△ふらふ(隠元豆、菜豆、方言ふろう) ○△十八大角豆 △ゆり △早粟 ○△あやめ ○△真菰 ○△がま ○△ついもはすいも(ついも―南予の方言) △とろゝ(とろゝあふひ) ○△蓼色々 ○△いびら色々 ○△あきみ(木通)あけび ○△けい頭花 △茄色々 ○△晩秬 ○△荏二色 △唐胡麻 ○△唐秬(玉蜀黍) ○△唐芥 △早稲 △しそ ○△掃草 △はなた ○△くこ △茗荷 △ばうふう(防風) △かづら芋(甘藷) ひともじ(葱) △ねぶか △ほど △野老 △黎
  大形是等は二月に植ゑてよし、右の如く山形に黒星あるは、苗にしてよし、直植にてもよし、又山形斗の分は、苗にてはあし。
二月に取って食する野菜菜園の事
 △芹 △薺 △夏菜 △土筆 △おばこ △韮 △わらびな(蕨) △防風 △ちさ △よめがはぎ △雉子の尾 △榎菜 △藤葉 △たびらこ △仏の座 △たにし △菘葉 △わきぎ △ひともじ △千もと(千根、えぞねぎ) △すぎな △子持菜 △野蒜 △よもぎな △胡葱 △蒜 △高野菽葉 △かつら菽 △けしば △三葉芹 △たんぽぽ △椎茸 △蓮根 △仙大黄 いひら △川苣(川苦、水苦?) △ぜんまい(薇) △ほど △野老 △山芋 △ゆり △くず根 △蕨根 △独活 △三月大根 △芋の子 △くこの葉 △作人参
三月に植う可き物の事
 ●△晩稗品々 ●△胡麻品々 ○△荏二色 △唐胡麻 △なた豆 △唐あい ○△ふろう色々 ●△ささげ色々 ●△瓜色々 ●△きわた(わた、草綿、棉) ○△ぞくずいし ○△十八大角豆 ●△牛房 ●△しやうが △かつら豆 △早小豆 ●△早粟 △あさ顔 ●△くわひ ●△畑稲色々 △ひるがほ △たで △しそ △唐苛 ○△晩藍 ●△中稲 ●△晩稲 ●△小秬 ○△茄(苗に仕立、又苗も植る) ●△こんにゃく ●△晩苧 ●△春大豆 ○△ちさ
  右山形横の黒丸は此の時種子、古根を植ゑ、自丸は苗を植ゑ、又苗にもする。無丸は苗を植る。苗にてなければ、おそくて役にたたず。
三月中に給はる野菜菜園の事
 △ひる △野びる △ちさ △にら △夏菜 △よめがはぎ △分葱 △ひともじ △うど △わらびな △めうが △芹 △紫訴の嫩葉 △三月大根 △うはきな 九十菜(くさぎ) △よもぎ △杉菜 △あさつき △けしの葉 △漆の葉 △そば △三葉ぜり △いひら △あきみ(開身)あけび △はじの葉(はぜの葉) △むくげの葉 △榎の葉 △枌の葉 △藤の葉 △くこ △うこぎ(五加) △仙大黄 △虎杖いたどり △おばこ(車前) △川ぢさ △篁実 △野苑実 △きんきらいの葉「かづら」とも △菘葉 △高野菽の葉 △いちご △きしの尾 △たんぽぽ
四月中に植う可き物の事
 △稗色々 △藍色々 ○△茄色々 △掃草 △中粟色々 △畑稲品々 ○△ひともじ △しやうが △秬色々 唐秬 △唐胡麻 △荏二色 ○△ひゆ色々 △蓼色々 △夕顔色々 △こんにゃく △芋色々(二十品斗) きうり ○△苣(ちさ)色々 △早稲色々 △中稲色々 △かつら豆 ○△ふろう色々 △大角豆色々 △豆色々 △木綿 △なた豆 ○△十八大角豆 ○△晩粟色々 △小豆色々 △かき豆 ○△ねぶか △けい頭花色々 △冬瓜 △瓜色々 ●△胡麻色々 △あかざ
四月中に種子取物の事
 △芹 △仏の座 △たびらこ △なずな △ひる △わきぎ △あさつき △かぶら △大根 △菘菜 △千本 △夏菜 △芥子 △野蒜 △麦 △庵豆 △小麦 △桑 △ちさ △作人参 高野豆
四月に取りて給はる野菜の事
 △そば △にら △夏菜 △苣 △菽の葉 △三葉芹 △芹 △茶 △びんつり「たかなの子」 △ひともし △ねぶか △くこ △うこぎ △竹の子 △あざみ △野蕎麦葉 △ひゆ品々 △あかざ △杏子あんず △梅実 △覆盆子 いちご △梔花 くちなし △おばこ △蕗 △茗荷 めうが △篁実 △しそのは △いもづる △はなだのは △さんきらい(葉も、つるも) △野篁実(けがしぐさ、と言う) △姫がはぎ △紅花 △えんどう △大麦 △小麦 △九十菜 △よもぎな △晩蕨菜 △うはきな △木槿の葉 △榎の葉 △枌の葉 △仙大黄葉
五月に植うべき物の事
 ●△ささげ ●△稗 ●△粟 ●△桑色々あり、実うえにも ●△胡麻 ●△大豆色々 ●△小秬色々 ○△あぜ菽 ○△ちさ ●△蕪 ●△大根 ○△根深 ○△夏薬 ●△梅 ●△あんず △中稲色々 △晩稲色々 △茄色々 △ひゆ色々 △荏 ○△ふろう色々
五月種子取り物の事
 △葱 △菘たかな △芥子 △紅花 △小麦
五月に給はる野菜の事
 △夕顔子ば △ひともじ △芋葉 △ふき △双葉 △ちさ △夏葉 △晩梅実 △そば △九十菜 △ひゆ色々 △すべりひゆ △のそばの葉 △あかざ △ふろうのは △ゆり △せり △節くはれ △おばこ △いちご △にら △胡瓜 △なすび △枇杷実 △しぶくさ △かまつか △いもつる △けいたうば △大角豆の葉 △ねぶか △鶯菜 △かき豆葉
六月に植うべき物の事
  ●△あは ●△晩菽 ●△小豆 △茄子上の十日に植て吉と雖、六月中は吉 ●△胡麻 ●△小秬二度蒔 ●△大角豆二度蒔 ○△稗 ●△葱 ○△夏菜 ●△大根 ●△かぶら ●△蕎麦 ○△ちさ
六月種子取り物の事
 △早小秬 △瓜品々 △胡瓜 △山根 △早稗 △そくずいし △早ささげ △柿渋 △姫がはぎ
六月に取りて給はる野菜の事
 △芋茎、葉共 △豆葉 △ささげ実、葉共 △夕顔実、葉共 △茄子 △夏菜 △韮 △ちさ △ゆり △干瓢 △桃 △山もも △すもも △きうり △けいとう △ふろう実、葉共 △十八大角豆実、葉共 △小大角豆実、葉共 △はなだ △いもつる △ひともじ △なた豆実、葉共 △かきまめ実、葉共 △茗荷子
七月に植う可き物の事
 △蕪 △大根 △そば △あさつき △わきぎ △ひる △ちさ苗ニスル △夏菜苗ニスル 高菜苗ニスル
  右皆種子を蒔く。
七月種子取り物の事
 △早稲 △早稗 △早粟 △小きょ △ささげ △ふろう △きうり △十八ささげ △れいし △そくずいし △夏菽 △秬 △はすの実 △姫がはぎ
七月取りて給はる野菜の事
 △芋葉茎色々 △ささげ葉実 △十八ささげ △茄子 △夕顔葉共 △秬 △間引菜 △小大根 △稗品々 △早稲品々 △めうがの子 △生姜 △蕨の根 △胡瓜 △なたまめ △けい頭花 △ちさ △韮 △夏菜 △ひともじ △むかご △小秬 △ひゆ色々 △木沢柿 △梨子 △ゆり根 △牛房 △夏菽 △かきまめ △ふろう △沢柿実
八月に植うる物の事
  ●△蒜色々 ●△あさつき ●△千本 ●△紅花 ●△高野豆 ●△小麦 ●△分葱 ●△野蒜 ●△碗豆 ●△芥子 ●△作人参 ●△福寿草 ●△らんきやう(高野にんにくとも云う) ○△ちさ ひ夏菜 ●△たかな ○△葱 ○△ねぶか ●△芹 ●△薺(なづな) ●△はこべ ○△はうれん草
八月種子取り物の事
 △夕顔品々 △ふくべ品々 △胡瓜 △中稲 △ささげ △秬 △唐稲 △小秬 △むかご △ふろう △そくずいし △はなだ △十八大角豆 △かたし品々 △くるみ △いてふ △苧 からむし △垣菽 △掃草 △りうきう芋 △蓮子 △から竹八月中分後きりては虫くひて役にたたず △あかざ △ひゆ品々
八月に取りて給ふ野菜の事
 △芋 葉茎共 △根深 △茄子 △生姜 △菽品々 △くるみ △大根 △蕪 △葱 △夏菜 △めうがの子 △夕顔 △かつら豆 △なた豆 △松茸 △韮 △椎茸 △茗荷 △榧実(かやのみ) △〆治類(しめじ類) △栗の実 △なつめ △銀杏 △柿実 △梨実 △えりこ △山芋の実 △むかご △高秬 △小秬 △稗 △粟 △水瓜 △苣 △鳳蓮草
九月に植うる物の事
 △小麦 色々 △えんどう △はだか麦 △ふき △分葱 △ひともじ △作人参 △高野豆 △芥子 △菘菜 △ちさ苗にもする △大麦 △水菜 △茗荷 △ねぶか △鳳蓮草
九月種子取り物の事
 △中稲 △晩稲 △晩茄子 △晩むかご △とろろ △たで △漆 △玉くさ △櫨 はぜ △銀杏 大豆 色々 △小豆色々 △晩大角豆 △なた豆 △くずまめ △かつら豆 △くこの実 △昼顔 △唐苛 △山椿実 △茶実 △蓮実 △ひゆ △あかざ △掃草 △ぶどう △野大豆 △唐胡麻 △けい頭草 △たうきび △晩小秬 △粟 △野稲色々 △しそ △かも瓜 △琉球芋かづら、芋共 △はなだ △かやの実 △かき豆
九月に取りて給はる野菜の事
 △粟 △稗 △くりのみ △かきの実 △梨子 △椎子 △樫子 △山芋 △ほど △野老(とろろ) △家芋(さといも) △じねん芋 △琉球芋 △茄子 △菊の花 △晩ささげ △垣豆 △冬瓜 △ゆり △あざみ △牛房 △黎の実(あかざのみ) △掃草子 △あけび △山ぶどう △ひし △くはい △なた豆 △たで穂 △とちのミ △かやの実 △なつめ △いちご △柚 △かぶら △大根 △ひともじ △ぼうふう △わきぎ △鳳蓮草 △水瓜(西瓜)
十月に植う可き物の事
 ●△大麦 ●△はだか麦 ●△三月大根 ●△菜種(あぶら菜) △大根種 △漆実 ●△蓮実 ●△茶実 ○△ねぶか ○△にら ○△ちさ ○△夏菜 ○△葱 △苅菜 ●△ふき ●△めうが ●△くこ ●△うこぎ ●△真苧 ●△楮(かじ)
十月種子取り物の事
 △芋 十色ニ余ル △生姜 △茶実 △大豆 色々 △小豆 色々 △晩大角豆 △胡麻 △荏胡麻 △ひし △くわい △椎実 △なた豆 △かたぎのみ(かしのみ) △ひゆ △牛房 △唐胡麻 △とろろ △漆実 △櫨実 △けい頭花 △くす豆 △きわた(木綿)
十月に取りて給はる野菜の事
 △芋 品々 △牛房 △大根 △蕪 △山芋 △野老 △ほど △ちさ △垣豆 △ひし △くはい △あざみ △なた豆 △かつら豆 △くず豆 △くはつろて △樫実 △かやの実 △葱 △椎子 △いちご △とちの実
十一月に植う可き物の事
 ●△麦 ●△い ●△真苧 ○△ひともじ △小菜 ●△実植木 ●△漆 ●△くこ △うこぎ ○△ちさ苗にもする △たかな ●△けし
十一月種子取り物の事
 △藍是は霜にあてゝ取らざれば悪しく、其まゝおけば、又その畑に来年の苗ありと云ふ。
十一月取りて給はる物の事
 △蕷(やまのいも) △ほど △ゆり △わらび根 △くずね △野老 △かぶら △大根 △夏菜 △ひともじ △冬瓜 △苣 △樫子 △椎子 △いちご △はこべ △牛房 △芥子葉 △芹 △薺 △じねん芋 △こんにゃく △葱 △わきぎ △あさつき △つくね芋 △鳳蓮草
十二月に植う可き物の事
 △麦 △芥子 △実植木 △ちさ △葱 △真苧 △薺 △芹
十二月に取りて給はる野菜の事
 △蕷 △ほど △野老 △冬瓜 △ゆり △はらび根 △くず根 △苣 △ひともじ △はきぎ △ねぶか △こんにゃく △牛房 △はしば △せり △薺 △はこべ △ふきのとう △大根 △かぶら △菘菜 △あさつき △千もと
 五穀雑穀其外物作り分号類の事
   〈この項では、各作物についてその品種銘柄を挙げてその特質・作付・適地・育成栽培などについて説明しているが、ここには品種名のみ記する。〉
早稲の事
 △古出挙成 ふるしふなし △廿日早稲 △四十早稲 △蓑早稲 △薫早稲 ひほひわせ △馬嫁早稲 ばかわせ △黒早稲 △庭たまり △内たまり △丹波早稲
 △九王の子 △畑早稲
  右十二品は古来の名なり。…以下略…
疾、中稲の事
 △仏の子 △一本千 △備前稲 △小備前稲 △畔越 △小畔越 △野鹿 △大白稲 △小白稲 △大下馬 △栖強 △疾饗膳
  右十二色は疾中稲にして何れも上白米なり。早稲の次に出づ
 △内蔵 △今大塔 △上蜆の毛 △小法師 △晩饗膳 △大とこ △半毛 △自我社 △清水法師 △定法師 △小けば △大児
晩稲の事
 △黒小法師 △黒定法師 △小児 △大白草 △小とご △下蜆 △大堂後稲 △大きんばる △打稲 △辺大稲 △小きんばる △赤我社 △井手口 △小堂後稲 △大へばる △小白草 △鹿威 △小へばる △晩半稲毛 △赤髪 △小的草 △赤草 △かん稲 △霜稲
餅稲の事
 △盆餅 △大阪餅 △黒鉢合餅 △本割餅 △香餅 △二節餅 △柳餅 △鷹餅 △京餅 △鉢合餅 △鶉餅 △御座有餅 △千本餅 △赤餅 △青柳餅 △霜赤餅
畑稲の事
 △畑早稲 △野稲 △薄色 △野餅 △毛黒 △毛白 △畑我社 △畑小法師 △畑定法師 △野けば △野さらし △野赤餅
太米の事
 △早大唐 △白早大唐 △唐法師 △大唐餅 △小大唐 △晩大唐 △唐穂青 △野大唐
麦の事
 △早麦 △来竹 △赤未竹 △白はだか △赤はだか △礫麦 △白大四郎 △赤大四郎 △赤麦 △雪の粉 △長麦 △平麦
小麦の事
 △畑伴 △鉢割 △平はき △錐麦 △白法師 △鳥の舌 △水色 △しんどう △舞鳥の羽 △黒法師
 △丸小麦 △長小麦
菽類の事
 △白垣豆 △くす豆 △黒垣豆   △野飯 △なた豆 △かつら豆 △夏豆 △大白 △十六寸 △小夏豆 △ほどの子 △大青麦   △小白 △ほどの連子 △餅菽 △大黒 △くらかけ △鶉豆
 △青の二良   △薄衣 △小黒 △小田あさ   △豌豆 △高野豆
小豆の事
 △高麗小豆 △大納言 △小納言 △牛赤豆 △白小豆 △黒小豆 △小豆 △小高麗 △赤小豆 △青赤豆 △薄白 △馬小豆
秬の事
 △唐黍 △隔黍 △黒黍 △餅黍 △わせ黍 △長枝 △白きび △節高 △小唐
 △早小黍 △白小がら △晩小黍
大角豆の事
 △四十日 △三まだら △一寸ささげ   △大黒 △小黒 △大白 △大赤 △小赤 △小白 △小まだら △長ささげ △大まだら   △十八ささげ △ふらう △赤ふろう △うす色 △紫ふろう △筋ふろう
粟の事
 △早粟 △京粟 △長粟 △餅粟 △猫の足 △猿の手 △りすの尾 △狸の毛 △えりこ △薄鼠 △大柄 △佳の鼻指
稗の事
 △白早稗 △黒早稗 △青早稗   △猿後稗 △じんどう稗 △片羽稗 △平羽稗 △柄高稗 △枝稗 △とろめ稗 △薄黒稗 △三羽びえ
蕎麦の事  △大蕎麦(是ヲ薄公ト云フ也) △小粒
芋類の事
 △八花芋 △はうこ芋 △大芋 △白唐芋 △黒唐 △つじ芋 △真芋 △栖白芋 △永芋 △丸芋
 △露芋 △実赤芋   △黒薯蕷 △白薯蕷 △つぶらめ △自然芋 △むかご △つくね芋 △野唐苅
 △琉球芋 △ほど △こんにやく △島いも △えこいも
五辛類の事
 △大蒜 △六筒蒜 △北州蒜 △野蒜 △天実蒜 △らんきやう △千本 △大千本 △あさつき △わきぎ △蘭葱 △ふあさつき   △大葱 △小葱 △根深 △刈葱
胡麻類の事
 △赤部 △六地蔵 △黒胡麻 △小白 △薄色 △三角 △ねぶか △長身   △唐胡麻 △続随子 △荏胡麻 △赤荏
藍の事  △唐藍 △壺藍 △小藍 △晩藍
芦ふくの事
 △大根 △底入大根 △鼠大根 △大々根 △上り大根 △蘆ふく △紫大根 △三月大根 △小大根
蕪菜類の事
 △真菜 △紫蕪 △赤蕪 △白菜 △京菜 △水菜 △小菜 △鶯菜 △越後菜 △永菜   △夏菜 △鳳蓮草 △菘菜 △青苛 △黒苛 △小苛
苣の事  △赤苣 △黒苣 △小千葉苣 △大千葉苣 △青苣 △小苣 △丸苣 △河苣
蕗、茗荷の事
 △水蕗 △山蕗 △夏茗荷 △晩茗荷   △芹 △薺 △仏の座 △はこびら △たびらこ △よめかはき △萱草 △みちの草 △葉芥子 △人参 △福寿草
ひゆ類、掃草、しそ、あかざの事
 △唐ひゆ △すべりひゆ △むらさきひゆ △赤ひゆ △青ひゆ △小ひゆ   △あかぎ △掃草 △紫蘇
蓼の事  △唐蓼 △青たで △野たで △雪の下 △大たで △つぼ蓼
苧類の事  △唐苧 △黒苧 △赤苧 △晩苧 △真苧 △山苧
夕顔の事
 △永夕顔 △ふくべ夕顔 △なまつ夕顔 △短夕顔 △百なり夕顔 △大瓢箪 △ひさご瓢箪 △苦夕顔 △なんばん夕顔
瓜類の事
 △胡瓜 △真瓜 △白瓜 △俵瓜 △水瓜 △知明 △金瓜 △冬瓜 △榎はだ △あこだ △ほた瓜 △小白瓜 △大真桑
茄子類の事
 △紫茄子 △丸茄子 △扇茄子 △永茄子 △白茄子 △永白茄子 △赤茄子 △唐茄子 △高麗茄子 △小茄子 △黄茄子 △けし茄子
牛房類の事  △牛尾 △山牛房 △あさみ
水草の事  △蓮 △慈姑 △菱 △真こも   △菖蒲 △三莟 △蒲   △藺
かづら類の事
 △れいし △ぶどう △朝顔 △昼顔   △わさび △天木蓼 △からす瓜 △あけび   △ほど △野老 △五味子
杓杷、うこぎ、むくげの事  △杓杷 △うこぎ △むくげ
百合類の事  △白百合 △赤百合 △唐百合 △小百合
芥子の事  △白芥子 △赤芥子 △薄色芥子 △千葉芥子
紅花の事  △紅花
木綿の事  △木綿
生姜、芥類の事  △生姜 △唐芥 △さんせう
菊の事  △大白 △ぬれさき △舜菊 △大朱菊
木類の事
  △椿 △三々花 △油木 △くるみ △漆 △櫨 △栗 △柿 △茶 △玉くさ △とち △榧 △松 △杉 △桧 △椎 △欅 △櫟 △桐 △釣樟 △桑 △椿 △杏子 △梅 △桃 △楊桃 △李 △枇杷 △青梨 △秋梨
 柑類の事  △柑子 △九年母 △密柑 △柚子 △だいだい △かぶす △花柚 △実柚子
 竹の事  △箆 △しちく △八九 △苦竹 △川竹 △から竹
  ※昔の人々が、山野に自生する植物の多くを識別し、その多くを口常生活に利用していたことは想像できるが、それらの植物が明らかに記録されているものははなはだ少ない。「親民鑑月集」はそのまれな記録のひとつである。これらのなかには、現在はただ食用野草として扱われているにすぎない植物でも作物として栽培されていたものが意外に多い。…として、三好保徳は「四季作物種子取りの事」に記載されている植物名を植物分類学の立場から考察同定している。

 代用・救荒食

 代用とは「代りに用いる」ことであるが、〝何〟の代りに用いたかといえば恐らくそれは〝米〟であろうと思われる。主食料としての米の不足を補うための代用食料としての甘藷や黍・稗・粟・小麦・蕎麦などの芋類や雑穀類は、農山漁村では即ち主食であった。その切芋・乾燥されたカンコロメシ・カンコロモチのみならず蒸甘藷そのものが飯として米にかわる主食であった。雑穀も、それのみで、あるいはわずかの米・麦をツナギとして混合して炊飯されて主食となった。そして、芋類・雑穀は保存・貯蔵されてとりもなおさず救荒食であった。野菜・山菜・木の実は副食・間食として日常の食料となったし、保存食として救荒食ともなった。つまり、農山漁村においては日常の食料そのものが代用食であり救荒食であったといえなくもない。
 「シディの餅は食べられる」という。シディは曼珠沙華のことである。ホゼ・ゴロ・シレイ・ヒガンバナなどとも呼ばれる。別子山村ではその球根をシレという。球根の鱗茎の上と下とを切り取り、黒皮をとるとタマネギ状の白い身が出る。水洗いして消石灰入りの布袋を吊した釜の中で煮る。鱗茎に含まれたリコリンというアルカロイドが酸性白土によく吸着するので、逆にアルカリにすると鱗茎から分離するのではないかといわれる。さらに混ぜながら煮ると黄色の餅状になる。布袋に入れて水で晒すと白く豆腐(卯の華)のようになる。ホゼ餅である。焼いて食べる。トチの実や藤からも澱粉をつくった。以下、食草のいくつかを挙げておく。
○ギボウシ(キク科)…若葉をゆでて、ひたしもの・あえものにする。若芽の頃の葉柄をゆでて乾燥する(山干瓢)。
○シロバナタンポポ(キク科)…根を千切り油いため、かき揚げにする。葉は水にさらすと苦味がとれる。ひたしもの、汁の実、つくだににする。
○オドリコ草(シソ科)…若葉を精進揚げ、あえもの、煮物、とじものにする。
○アオキ(ミズキ科)…新芽の未開を摘み、ゆでて晒し、あえたり煮付けたりする。
○ギシギシ(タデ科)…若芽巻葉の薄い袋を除き、味噌汁に入れたり味噌づけにする。細く切って油でいためる。
○スイバ(タデ科)…若葉をゆでて酢味噌であえる。茎は皮をはぎ一夜づけにする。
○イヌガラシ(アブラナ科)…茎先の軟らかい部分を摘み取り、ゆでてあえもの煮物にする。
○ハコペ(ナデシコ科)…若茎・葉を摘み、ゆでて水で晒し胡麻味噌あえなどにする。
○カタバミ(力タバミ科)…油いため・ゆでて芥子あえにし、みじんに刻んで天ぷら汁。
○ナルコユリ(ユリ科)…未開棒状の若芽を摘み、ゆでて、ひたしものや酢ものに。地下茎は甘煮や揚げものにする。
○タビラコ(キク科)…若い全草をゆでてあえる。味噌汁の実にもする。
○シュンラン(ラン科)…花は湯にとおし塩づけとし、白湯に入れて蘭湯にして飲む。
○レンゲソウ(マメ科)…蔓先の軟葉、茎をゆでて、あえもの・揚げものにする。葉も揚げ物にする。
○ノボロギク(キク科)…若い苗を摘み、ゆでて水で十分に晒しゴマよごしなどにする。
○ノアザミ(キク科)…新芽を摘み、ゆでて油いためにしたり塩づけ保存し、根は醤油づけ・味噌づけにする。
○アマドコロ(ユリ科)…葉の開かない芽を摘み、油でいためて味噌で味つけする。
○クヌギ(ブナ科)…殼をむいて粉にし、水で渋抜きして乾燥し、こねて蒸し、臼でつく。
○ヤブガラシ(ブドウ科)…茎葉の先端部と巻きひげを除去し、ゆでて煮物にする。
○ハナイカダ(ミヅキ科)…花・若葉は揚げものに。そのほか煮物・油いため・佃煮。
○ホウチャク草(ユリ科)…若苗は臭味があるので不適。花をゆでて二杯酢で食べ、あるいは甘酢づけにする。
〇ウワバミソウ(イラクサ科)…茎は皮をむき、ゆがいて叩き、酢を加えたものに味付けして酒の肴にする。飯にかけてもよい。一夜づけにもする。初秋の頃の小粒の実も塩づけにする。
○オランダガラシ(アブラナ科)…肉料理のつけあわせによく、ゆでて一夜づけにも。
○ニワトコ(スイカズラ科)…早春のころ花芽を掻き集め、ゆでて煮つけにする。花穂も。
○モミジガサ(キク科)…晩春~初夏の若苗をゆでて汁の実にする。茎は揚げものにする。
○タラノキ(ウコギ科)…芽をタランボという。六~七センチぐらいの新芽のトゲはゆでると柔らかくなる。ゆでて煮付など。
○ダイモンジソウ(ユキノシタ科)…うすく衣をつけて揚げものにする。
○イタドリ(タデ科)…若芽の皮を剥ぎ重石で塩づけにする。塩抜きして煮付ける。
○ウコギ(ウコギ科)…若菜を水洗し、ふきあがった飯に入れ、酒と醤油で味つけする。
○ノビル(ユリ科)…軽くゆでて三ばい酢にする。みじん切りにして味噌汁に入れる。
○ユキノシタ(ユキノシタ科)…漢方で虎耳草といい、凍傷や諸瘡に用いられる。葉を揚げものにする。
○イワタバコ(イワタバコ科)…葉を摘みとりゆでてあえものにする。裏に軽く衣をつけ揚物にする。
○イヌビユ(ヒユ科)…夏の若葉を茎先で摘み、油いため、もしくは精進揚げにする。
○オオバコ(オオバコ科)…若菜を芥子・胡麻あえにするか、油いためにする。
○コヒルガオ(ヒルガオ科)…初夏の蔓先一〇センチばかりを熱湯にくぐらせてあえものなどにする。
○ウバユリ(ユリ科)…鱗茎はゆでて水に晒し酒とだし汁で煮て苦みをとる。鱗片は揚げものに。また澱粉をとる。
○ホタルブクロ(キキョウ科)…若苗、柔葉をゆでて水に晒し、あえものに。また揚げ物にもする。
○コウゾリナ(キク科)…根生葉が地面に群生している春の若苗をあえものなどにする。
○スベリヒユ(スベリヒユ科)…開花前の初夏、全草を採りゆでて晒し、あえものなどにする。
○ケンポナシ(ケンポナシ科)…枝・樹皮を煎じて飲むと酒毒を消し宿酔に効く。
○クチナシ(アカネ科)…花を酢のものにする。果実は黄色着色剤として沢庵づけに加える。
○ヒシ(ヒシ科)…種子のなかの子葉に多量の澱粉があるのでゆでて実を割ってたべる。
○ヤブカンゾウ(ユリ科)…土中の白い部分を熱湯にくぐらせあえものにし、花は揚げ物にする。
○コオニユリ(ユリ科)…栽培されることもある。鱗茎の苦味をとり茶椀蒸しに。焚火に埋めて蒸し焼きにもする。
○クサギ(クマツズラ科)…レイシのことでクジュナという。若葉を採り、ゆでて晒して、佃煮にする。
○ツリガネニンジン(キキョウ科)…トトキともいい、若苗をゆでて晒しあえものなどにする。
○ツユクサ(ツユクサ科)…花がつかないころの肥えたものの上部を摘みゆでて晒す。
○オオイヌタデ(タデ科)…刺身のつまにする。葉・新芽はゆでて晒してあえもの。
○ヤマゴボウ(ヤマゴボウ科)…新芽を摘み灰汁でゆでて水晒しする。汁のもの、芥子あえ。細かく刻んで佃煮にする。
○ヒマワリ(キク科)…種子に脂肪油が二~三五%ある。食用油。煎ってそのまま食べる。
○ニラ(ユリ科)…種子は韮子、茎葉は韮白として薬用。ニラ雑炊、花はおひたしにする。
○イノコズチ(ヒユ科)…若葉を枝先のまま摘みとり、ゆでてあえものに。精進揚げにもする。
○キンミズヒキ(バラ科)…若葉をゆでて水晒にし、あえもの・油いためなどにする。
○キツネノカミソリ(ヒガンバナ科)…ホゼと同様にして澱粉を採る。花後に実を結び球形種子をつくる。
○キキョウ(キキョウ科)…若い茎先を摘み湯にとおして水に晒し、あえもの・とじものなどにする。
○トチノキ(トチノキ科)…種子に含まれるサポニンを除去して澱粉をとりトチ粉・餅をつくる。
○クコ(ナス科)…新芽の上部を採り、軽くゆでて飯に入れクコ飯などにして食べる。
○ヨモギ(キク科)…葉をゆでて餅に混ぜヨモギ餅をつくる。タンパクなど多量。
○マタタビ(サルナシ科)…果実を塩づけにして食べる。果実の虫こぶから木天蓼をとる。
○イラクサ(イラクサ科)…若苗を何段にも塩づけし軽い重石をする。塩抜きして汁の実にする。
○ヤマノイモ(ヤマノイモ科)…とろろ汁。ムカゴはムカゴ飯にすると風味がある。

表1-3 愛媛県下の食制一覧①

表1-3 愛媛県下の食制一覧①


表1-3 愛媛県下の食制一覧②

表1-3 愛媛県下の食制一覧②


表1-3 愛媛県下の食制一覧③

表1-3 愛媛県下の食制一覧③


図1-2 中間食の名称(昼~夜)(『愛媛県民俗地図』より)

図1-2 中間食の名称(昼~夜)(『愛媛県民俗地図』より)


表1-4 魚島の日常食一覧

表1-4 魚島の日常食一覧


表1-5 日振島の日常食一覧

表1-5 日振島の日常食一覧