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愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

二 結核予防

 結核対策の進展と新結核予防法の制定

 終戦後の虚脱は、戦時下の苛酷な労働、食糧不足による国民生活水準の低下とあいまって結核蔓延の大きい誘因となった。結核予防が緊急の要務であるのにかんがみ、結核予防会愛媛県支部は昭和二〇年一〇月、復員者帰郷者に対する結核検診と事後指導、BCGの接種、集団生活者の健康管理、BCG接種補助者と結核予防指導者の養成を重点的に実施することを決めた。昭和二二年三月には総司令部が厚生省にあって「結核対策強化に関する覚書」を出し、予防対策の強化拡充計画を早急に実行するよう命じた。
 厚生省は、同二二年の「伝染病届出規則」に医師は結核患者を診察した時は二四時間以内に届け出るよう義務づけ、同二三年六月の「予防接種法」でBCGによる予防接種は三〇歳未満でツベルクリン反応陰性者の青少年すべてに毎年一回接種するよう定めた。また同二四年一一月から結核予防週間の行事を復活したので、愛媛県衛生部はこの週間中結核予防思想の普及宣伝に努めた。ついで昭和二五年には結核予防会県支部と図って「結核撲滅五ヶ年計画」を立てて市町村・学校・事業場の協力を得て集団検診・BCG予防接種を推進することにし、レントゲン車をもって全県的に検診を実施した。同二七年にはレントゲン車二台が新たに整備されたので、学校関係分の検診実施率はほとんど一〇〇%に達した。
 昭和二六年三月三一日新たな「結核予防法」が制定された。旧法が専ら伝染防止に重点を置いていたのに対し、新法は定期検診、患者登録、感染防止、BCG接種治療の一部公費負担などについて規定している。この法で健康診断の対象が従来の学校中心から蔓延地区の住民を加えたものに拡大され、同三〇年には結核予防法の一部改正で未就学児童を除く全住民に健康診断を実施することにした。同三二年から一般住民の健康診断・予防接種は一切無料となり、同三三年には健康診断の簡便化を図るためツベルクリン反応の結果に関係なく間接撮影を実施することになった。
 以上の法的措置で一般住民の検診状況は急速に上昇、昭和二三年に間接撮影を受けた者は一、三六四人に過ぎなかったのが、同二七年二万八、二四三人、同三〇年六万六九三人、同三二年一二万九、二九四人、同三七年二四万一二一人、同四〇年二九万八、二八〇人となり、集団生活者を除外した一般住民人口に対する検診率は昭和四〇年時で四九・一%に達した。県衛生部は、昭和三六年から一般住民の検診率五〇%を目標に県民運動を実施したが、同三九年からは全県民結核皆検診運動に切り替えて啓蒙宣伝に努めた。

 死亡率半減と患者管理

 結核対策の強化と治療の進歩特に化学療法しい進歩は、結核死亡数を年々減少させ、昭和二六年にはわが国史上はじめて一〇万台を割り、国民死因順位も一位を脳出血に譲って二位に下がった。政府は昭和二七年五月二七日に結核死亡半減記念式典を挙行した。愛媛県の結核死亡者は昭和二五年一、九二〇人、同二六年一、六七〇人と依然死因順位第一位にあったが、昭和二七年には一、〇九二人に減じ、死因順位も脳血管疾患・老衰・悪性新生物に次ぐ四位に転落、同二八年には死亡者九三七人とついに千人台を割った。
 このように死亡率は激減したものの、患者発生件数は一向に減少する気配を見せず、愛媛県の昭和二五年度患者発生数は九、一七〇人(男四、九一五・女四、二五五)を数えていた。県は昭和二七年一二月に県立新居浜療養所を設置して療養施設の拡充を図り、県下各病院の結核病棟も次第に整備されていった。
 厚生省は昭和二八年の結核実態調査に基づき「結核対策強化要綱」を発表した。ついで昭和三三年に行った実態調査では、全国の患者数は四一五万人と推定され、患者管理が不十分なため家族内感染が多く、また高年齢層の発病が増加して新しい傾向を見せ始めていることが指摘された。そこで昭和三四年から結核対策推進地区を設け、従来患者発見に追われていた保健所の施策を発見から治療へと一貫性を持たせることにした。本県は伊予・大洲・宇和・野村・壬生川の五保健所が指定された。これらの保健所では、レントゲン器械・レントゲン車を整備して一般住民の健康診断五〇%以上実施を目標に検診を励行、従来の結核登録票の書換えを実施して患者に関する情報を集中処理・発見・治療・入院の手続一切を行う体制を整えた。翌三五年三島・西条・久万・宇和島・御荘の各保健所が特別推進地区に指定され、同三六年には残りの保健所も患者の集中管理を実施しはじめた。この結果、患者の把握が徹底し、効果的な家庭訪問、患者に対する受療勧奨と管理検診、家族検診が能率的に行えるようになった。

 結核予防会愛媛県支部の活動

 結核予防会愛媛県支部は、戦後の混乱期には極めて窮迫した状態であったが、県当局と国立愛媛療養所の援助協力で、昭和二七年四月松山市内堀端町に健康相談所を開設、集団検診の実施と健康相談事業を開始して、ようやく活気を取り戻した。昭和三七年一〇月予防会支部は味酒町一丁目に新築移転、各方面から事業資金が寄付されて事業経営も軌道に乗り、新居浜・宇和島に東予・南予支会を設け、県・市町村・保健所など関係機関と密接な連絡をとりながら集団検診事業を実施し、結核予防思想の普及啓蒙や結核に対する調査研究に従事した。今日、結核予防会愛媛県支部は、健康相談のかたわら松山四台・新居浜二台・宇和島二台のレントゲン車を駆使して一般住民・学校・事業所を対象に結核を中心とした呼吸器・循環器の検診活動を担っている。