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愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

四 成人病対策

 成人病対策協議会の結成

 従来国民の死亡順位の一位を占めていた結核は、近代的な治療医学と医療技術の長足の進歩で死亡率は年々低下し、昭和二七年には中枢神経の血管損傷・老衰・悪性新生物・心臓病などのいわゆる成人病にその地位を譲ることになった。愛媛県における昭和二七年・同三〇年・同四一年の主要死因死亡者数は表5―1のような状況であり、成人病による著しい増加を示している。
 成人病については、昭和三三年から県医師会が各地で定期的に無料相談所を開設するなどして成人病検診を実施してきた。県当局も昭和三五年において成人病対策を衛生行政の重点施策として取り上げ、同年二月一日から一週間を成人病予防週間として成人病の知識普及と予防を推進する運動を展開した。ついで同年八月二九日には県衛生部・民生部・企画広報課・県医師会・農協・日赤松山支部病院・県立松山中央病院・国立松山病院・保健所など約二〇の関係団体が県会議事堂に集まって成人病対策協議会を結成し、カルテ様式の統一、成人病に関係する各機関の計画調整、血圧・尿などの検査法の最低基準の作製、モデル地区を指定して長寿調査、風土と病気との関係調査などを実施することを申し合わせた。この協議会は、患者の発生状況・地域の将来性を広い視野で把握し、科学的な対策で患者の早期発見・早期治療の効果をあげ、検診後の指導励行をはかることを指針としていた。県協議会の下には県下の全保健所内にそれぞれ地方推進協議会を設け、郡市医師会・保健所・単位農協が一体となって事業を推進することにしていた。
 県衛生部は、成人病対策協議会の申し合わせ事項に基づいて、昭和三五年一〇月温泉郡小野村をモデル地区として集団検診を実施、二〇八人(男九一・女一一七)の成人病患者を発見した。同三六年には北条市立岩小山田・上浮穴郡久万町畑野川・喜多郡五十崎町をモデル地区に指定して五〇歳以上の者一四九人を対象に調べた。その結果、成人病要治療者と要注意者の合計数は、五十崎が検査総人員の三六・三%、ついで畑野川の二五・二%、小山田の一七・八%であった。また高血圧要治療者は一般に男性より女性の方が多く、賢臓病・心臓障害などを併発している者が意外に多いことが判明した。
 要治療者一一七人には医師の治療を受けるよう勧め、要注意者二一二人に対しても保健所から日常生活での注意事項を知らせた。昭和三六年二月一日から七日までの成人病予防週間では、県医師会が中心になって各地に無料健康相談所を開設、血圧測定・尿検査・心電図作成などを実施、保健所は公民館や職域団体の協力を得て講演会・映画会を催して、成人病の特徴・病状・予防・日常生活の注意などを啓蒙した。
 その後、県は「成人病予防対策実施要項」を設定、これに基づき県下一四保健所を中心に四〇歳以上を対象とした集団検診と市町村の委託による老人保健診査を促進することにした。以後、成人病予防については、地区衛生組織・保健福祉活動を通じて成人病予防思想の普及啓発と早期受診の奨励に努めるとともに市町村・医師会などの協力のもとに高血圧・心臓疾患などの集団検診を実施している。昭和四三年一一月には松山医師会の手で市内柳井町二丁目に成人病センターが建設され、医師の専門知識と近代的設備を駆使して成人病の予防検診と治療に従事する体制が整った。

 がん対策

 成人病のうち地球最後の難病とされているものにがん(悪性新生物)がある。主要死因別死亡数表(表5―2)に見られるとおり、愛媛県のがんによる死亡者は年々増加している。
 県当局は、がんの予防・診断・治療の中枢機関として昭和三八年一二月ガンセンターを設立する計画を進め、厚生省に強力に働きかけた結果、その熱意が認められて四国唯一のガンセンターが国立松山病院に併置されることになり、昭和四一年一〇月三日開所した。三階建てのガンセンター(検査・治療・研究棟)には全国で四台しかないリニマック・コバルト六〇回転深部治療装置の新鋭治療機やエキス線テレビ装置などが揃えられた。国立松山病院は昭和五四年九月一日国立病院四国ガンセンターと名称変更され、がん対策の四国地域における専門中枢機関としての機能を高めた。
 ガンセンターが開所した年の昭和四一年九月には、がん対策を推進する民間機関として愛媛県がん予防協会(会長末光千代太郎)が発足した。同協会は、翌四二年九月から全国的に開始されたがん征圧月間を中心にがん予防知識の普及と早期発見・早期治療の啓蒙に努め、県から委託された胃検診車「あおぞら号」を運行して胃の集団検診を始めた。昭和四四年からは婦人の子宮がん検診車二台を駆使して四万六、七四六人のがん検診を行った。がん検診や人間ドックの普及でがんの早期発見・治療が促進されたが、昭和五〇年代のがんによる県内死亡者は二、三〇〇人前後で、脳血管疾患に次いで死因二番目の位置にある。

 老人医療問題と老人保健法

 医療技術の進歩と生活水準の向上は国民の平均寿命を大幅に伸長させ、全国的に老齢者の構成比率が高まった。これに伴い、老人の健康保持の増進や疾病の予防、冶療のための老人医療とその費用負担の増大が大きな社会問題となった。
 愛媛県は、昭和四六年一一月一日から県内に住む満七五歳以上の老人医療費の公費負担に踏み切り、五万人近くの老人を対象に県と市町村が半分ずつを支弁することにした。従来生活保護を受けている老人には国庫補助が支給されていたが、老人の所得制限に関係なく全老人一律に無料で医療を受けられるという制度を採用した県は少なく、〝愛媛県方式″として注目された。この老人医療公費負担制度は、昭和四八年一月一日から対象年齢を七〇歳以上に引き下げ、約九万人の老人が恩恵を受けることになった。また同年四月からは寝たきり老人約一、三〇〇人を対象に医療費の無料化を実施した。
 こうした地方公共団体の施策を法制化したのが昭和五七年八月一七日制定の「老人保健法」であった。この法律は、国民の老後における健康の保持と適切な医療の確保をはかるため疾病の予防・治療・機能訓練などの保健事業を総合的に実施することをうたい、翌五八年二月一日から施行された。これにより、市町村が事業主体者となって健康手帳の交付、健康教育、健康相談、健康診査、医療、機能訓練、訪問指導などの老人保健対策を推進、国と県はその助成と指導に当たる体制が整った。

表5-1 主要死因別死亡数(死亡率人口一〇万対)

表5-1 主要死因別死亡数(死亡率人口一〇万対)