データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

二 母子衛生

 児童福祉法

 戦後の母子衛生は、戦時中の兵力確保のための健民健兵政策とは違って、児童保護福祉の立場からその向上が図られた。昭和二二年一二月一二日制定の「児童福祉法」では、都道府県知事は妊産婦または乳幼児の保護者に対し妊娠・出産または育児に関して保健指導を受けるように勧奨すべきであるとした。そのために乳幼児の健康診査を施行し、また妊娠した者に届け出の義務を負わせ、これに母子手帳を交付して保健指導を受けさせることを定めた。これにより、県衛生部は保健所を中心に市町村及び医師会・助産婦協会など関係団体の協力を受けて妊産婦・乳幼児に対する保健指導を積極的に実施、経済的理由で検診を受けることができない妊産婦及び乳幼児に対しては県費で負担した。
 その後、母子衛生の徹底を期するため、昭和三三年明浜町・砥部町・大三島町に母子健康センターが設置された。また同三五年度からは各保健所単位に一か所ずつ母子衛生特別地区が設けられて、地区組織を通じて母子保健の向上を試みることになり、この年には北条市立岩地区・新居浜市など一五か所が指定された。母子衛生の進展で、乳児死亡率は順調な減少傾向をたどった。終戦後の昭和二二年には栄養不良のため出生一、〇〇〇に対し一一五・六とかなり高かったが、同二三年には五六・六に下がり、以後同二七年には四四・二、同三二年には三九・二、同三七年には二八・五、同四一年には二二・一と減少している。しかし昭和四一年段階での全国平均は一九・三で本県は全国第二六位にあり全国水準を下回っていた。
        
 ポリオの流行

昭和二五、二六、三一、三五年に大流行したポリオ(急性灰白髄炎)は伝染経路が明確でなく、予防ワクチンも外国産のため十分手に入らない状態であったので、原因不明の伝染病として三歳以下の乳幼児を持つ母親を恐怖に巻き込み、戦後伝染病流行史の中で特筆すべきものとなった。
 愛媛県におけるポリオの流行は、昭和二五年一〇〇人、同二六年一二五人、同二七年六一人の患者を出し、それぞれ死者二二人、三二人、二九人とかなり高い死亡率を示し、予防策もないまま原因不明の病気として恐れられ、同三一年四月遅ればせながらアメリカでポリオ予防のためのソークワクチン製造が可能になったことが発表される始末であった。厚生省は、昭和三四年にソークワクチン使用を開始し、六月一五日にはポリオを従来の届出伝染病から指定伝染病にして法定伝染病と同様の取り扱いにすることを指示した。しかし昭和三五年の北海道や愛媛県におけるポリオ流行は、その予防策があらゆる面で立ち遅れていることを露呈した。
 愛媛県でのポリオは西宇和郡瀬戸町・八幡浜市・三島市寒川などで流行し、全県下で九四人の患者を出した。市町村衛生課には心配した母親が連日つめかけてワクチン接種を哀願する状態で、たちまち配当ワクチンが底をついて母親たちの怒りをかった。県当局は、「ワクチン、ワクチンと必要以上に騒がないでほしい、その気持はわかるが、ある程度時期を待つより仕方がないときだからビールスを仲介するあぶら虫や蠅の退治、畳布団の日光消毒、手洗いの励行など身近かな予防につとめてほしい」と呼びかけるかたわら、浜田衛生部長が上京して厚生省など関係方面に陳情して、やっとワクチン九〇〇本(約四、五〇〇人分)を入手することができた。幸い、八月中旬からポリオ流行も下火になり、ワクチンが八月二六日に到着したので、ポリオ騒動はようやくおさまった。
 政府は昭和三五年のポリオ流行を重視して、翌三六年一月にはワクチンを大量に買い込み生後六か月以上一八か月までの乳幼児を対象にソークワクチンの希望接種を始め、四月一五日には予防接種法を一部改正して義務接種に加えた。これを受けて県衛生部は、対象範囲を三歳に引き上げて接種を試み、六月までに対象者六万七、六一八人のうち七八・四%にあたる五万一、三五八人にソークワクチンを接種した。また四月
には京都大学医学部から当時医学界で論議されていたアメリカ産のソークワクチンとソ連産のセービンワクチンの効力の度合いを調査するため実験地を提供してほしいとの要請があったので、県当局はこれに応じて西宇和郡保内町と八幡浜市を指定した。
 京大ウイルス研究所・同医学部小児科・県衛生部・八幡浜保健所・地元医師らで編成した研究班は、五月一七日から七月中旬まで二か月にわたって保内町喜木津と八幡浜市川之内の両部落五〇人の乳幼児と母親を対象にセービンワクチン三種類を与え、採血検便などによって血清学的・臨床学的・ビールス学的な立場から副作用の臨床観察、ワクチンの
感染率、ビールスの保存期間、ビールスの周囲への拡がりとワクチンの効力判定などを行った。これらの研究成果でセービン株による経口生ポリオワクチンの有効性が判明したので、七・八月にかけて厚生省は生後三か月から一〇歳までの全国投与希望児童を対象に一斉行政投与を行うことにし、カナダ製シロップ及びソ連製ボンボンと合わせて一、七〇〇万人分を緊急輸入し、各府県に無料で分配した。愛媛県では七五四の会場で各市町村及び医師会の協力のもとに一斉投与が行われ、対象児童二八万六、四二六人のうち八四・七%にあたる二四万二、六八五人の児童がこれを服用した。この徹底した処置によって、その後患者の発生はほとんど見られなくなった。

 母子保健法と母子保健の推進

 昭和四〇年八月一八日「母子保健法」が成立し、翌四一年一月一日から施行された。この母子保健法は、母子保健の基本理念、国・地方公共団体・母性などの責務、母子保健に関する知識の普及、保健指導、訪問指導、健康診査、栄養の摂取に関する援助、妊娠の届け出、母子健康手帳、養育医療、母子健康センターなどについて規定しており、母子保健に関する体系的・総合的施策の基本法となっている。これに基づき、昭和四一年母性・乳幼児の健康診査及び保健指導などに関する実施要領が示され、同四三年には地域における母子保健活動の推進を図るため母子保健推進員制度が創設された。また昭和四四年妊産婦の健康診査、同四八年乳児の健康診査について、それぞれこれを医療機関で行う場合の費用を公費負担することになった。
 愛媛県では、妊産婦集団指導、母親の健康を守るつどいの開催、新生児訪問指導、未熟児の養育対策、赤ちゃん健康診査会、三歳児健康診査、身体障害児童の育成援護、母子栄養強化対策、家族計画特別普及事業などを実施して母子保健事業の促進に努めた。昭和四八年度からは零歳児の医療費を公費負担にした。また、妊産婦の死亡○の達成、乳幼児死亡率の半減、異常児発生率の改善の三つの目標をかかげて「よい子を生み育てる運動」を展開、乳幼児・妊産婦の診断指導、異常児医療に対する補助、母子栄養強化対策などを推進することにした。