データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

二 性病予防の不徹底

 性病予防の啓蒙

 明治期の性病対策は娼妓の検梅を実施するのみの不徹底なものであったが、大正期になってもこの傾向は変わらず、一般人の性病予防は野放しの状態にあった。これに対し、軍部や医師から性病予防思想の普及徹底などの予防強化策が要望されるようになった。例年の徴兵検査や初年兵身体検査では一%前後の性病患者が発見されていた。大正三年一二月松山歩兵第二二連隊に入隊した初年兵九〇二人のうち疾病で除隊を命ぜられた者が八五人を数えたが、その中には淋病など純粋性病患者一九人と睾丸炎など准患者一二人がいたので、担当軍医をして、「近き将来に於て天晴れ陛下股肱の臣として名誉ある帝国軍人たるべきものが、徴兵検査後僅々数カ月間に於いて、斯くも大多数亡国病として最も恐るべき花柳病に感染するに至りては、邦家の前途のため三歎せざる能はず」と慨嘆させた。
 県当局としても軍部の強い要請もあって、大正一三年度の徴兵検査を前にした青年に、梅毒など性病の恐ろしさ、サックを使用するなどの予防上の注意、病毒に冒された場合の早期治療、他人に伝染させないようにする患者心得などを説いた性病予防事項の印刷物を配布した。公娼の花柳病検査と治療も強力に進めたので、梅毒患者は大正一四年受験延べ人員一万四、九九六人に対し一九人、昭和三年一万〇、三八七人に対し五人、同七年九、〇一五人に対して七人と明治期に比べて極端な減少を示し、淋病なども娼妓一〇〇人に対して一・五人~ニ人の割合となった。しかし大正一三年時に医者の治療を受けた県下の性病患者は男五、二三八人・女二、六二五人を数え、私娼などを通じて依然憂うべき蔓延状況であった。
 昭和二年通常県会で、槇塚庄八議員は医師の立場を代表して娼妓だけでなく芸妓の検梅も徹底することと一般県民への予防知識啓蒙活動の強化を要請した。これに対し、衛生課長野本正三郎は「性病はコレラ・赤痢といった法定伝染病と違って性欲に関係した問題であるから、具体的積極的に予防法を講ずることは非常に困難である。近く花柳病予防法が施行されるので、それに基づいて県当局としても接客婦の検梅の徹底や予防の強化をはかる計画を立てている」と答弁した。

 花柳病予防法

 「花柳病予防法」は昭和二年四月五日に公布された。この法では、花柳病を梅毒・淋病・軟性下疳とし、伝染のおそれある花柳病にかかっていることを知って売淫をした者は三か月以下の懲役、媒介した者は六か月以下の懲役に処するという罰則を設け、医師に対して花柳病罹患者を診断したときは伝染の危険及び伝染防止の方法を指示することを義務づけた。なお芸妓・酌婦・カフェー女給など接客婦の検診のために主務大臣は地方公共団体に対して診療所設置を指令することができるのは接客業者の強い反対で、他の
条項が同三年九月一日から施行されたにもかかわらず、実施延期された。この事例に象徴されるように、性病予防はいろいろの面で徹底しなかった。