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愛媛県史 社会経済5 社 会(昭和63年3月31日発行)

五 新聞その他の論調から

 新春放談

 昭和五八年一月三日、新春放談が日刊新愛媛に掲載された。「残したい伊予の反骨精神」と題され、副題は〝東中南予の気質を語る〟であった。
 その中で東予には亡命者を命がけでかくまう、それは単なる善根宿でなく人間の原点にある義の血が流れている。百姓一揆もやれば命がけで、その点中予では戦わずして逃避する一方、南予は一揆も多いが東予程激しくなく、政策的にうまく治めるという違いがある。
 中予は生活が豊かで、その経済力が、温泉の存在と結合して貴族のような高い文化を育ててきた。南予はその点多血質で感情に走りやすい、ストライキやメーデー行事も南予が最も早い、しかし又反面学校を建てた人の多いのは南予の誇りであろう。
 交通、マスコミの発達の中で、地域差の縮小の中、こうした反骨の気概を根源的に県民の中で培うことも大事である、と結ばれている。

 四国はいま

 昭和五八年三月、朝日新聞は「四国はいま」という特集を五回載せた。その第一回は県民性で、「香川は勤勉」「徳島は温和で保守的」「高知はねばり強く理屈っぽい」「愛媛は全体の性格を合わせ持つ」住民意識調査の結果、四国四県でこんな特徴が出たという。四国は一つといわれる風土の中、山脈を隔てるとこんな違いがある。しかし本四架橋や、高速道路の建設で、四国本来のよさが失われるという懸念の声もある中で、県民性に迫ろうとしている。
 「風流の里」として松山をあげ、昨年(昭和五七年)道後公園に建設された市立子規記念博物館について、俳人ひとりを記念するものとしては全国に例がなく、風流の里にふさわしいとしている。調査結果では愛媛は四国四県の傾向を凝縮した形で現れているとし、伊予史談会長景浦勉の「香川に近く計算高い東予、高知に似て一本気な南予、松山を中心とする中予と、異なった気風を兼ね備えて愛媛人は特徴がつかみにくい」という言葉を引用している。なお調査結果は図3-62のようになっている。
 同じ頃博報堂が全国の二〇~五〇代の人四、〇〇〇人を対象に調査した結果で四国の人は「幸せ」を感じている人が八二%で首都圏と同じで全国一だったというが、将来については「不幸になる」が七%で全国一多かったという。今四国は「住みよい」と感じている人も八六%いるが、いろいろの先行き不安がある。今の状態では本州と孤立し、格差を感じていること、又瀬戸大橋が出来れば交通は便利となるが、種々の公害の心配があると感じている。
 さてそれではこれから先の社会のイメージについては、各県とも「あくせくしなくても暮らせる社会」「事故のない安全な社会」「子供老人を大事にする社会」となっている。今日愛媛での自慢は、「気候・風土」「海と自然」と出ているが、それらを保護しつつ、内海のオリジナリティを生かした地方文化の創造が今日の課題であるとしている。市役所や町村役場は「住民のためによくやっているか」の問いに、愛媛では六六%のものが〝よくやっている〟と答えていて、四国では最も多い。

 県別日本人気質

 昭和五八年一二月、河出書房新社は『県別日本人気質』なる書物を出版した。純粋学術書でないが今日まで県民性、地方民性について、また日本人について各方面から追求された方々のコメントと、県別の種々の統計データとともに、県人気質の最近の集約を地方人の解説で報告している。
 その中で樋口清之は、愛媛県人の気質を山陽・香川県とともに内海型とし、「東西の沿岸交通は古くから盛んだったが、南北の対岸交通や島々の間の交流は遅れた。適当な雨量と暖かい気候に恵まれ、早くから生産は豊かだった。船で島々を縫う行商は今日の月賦販売制度のもととなる。性格は明るく、社交的で努力型。商業面での成功者は多い」としている。樋口は全国を一二の型に類型化している。
 愛媛の統計データの内全国的に見て、ベスト五位までを上に掲げる。その外自然環境としてタヌキの生息状況九九・二%で一位、文化と教育で大学・短大進学率三九・四%で四位、生活環境として刑法犯発生数(人口一○、○○○に対し)一三四・二件で九位、家計とくらしの中ベッド保有台数(一、〇〇〇世帯当たり)九九二台で六位等が一〇位以内の数値、なお四〇位以下は比較的少ないが、消費支出(一世帯当り一か月)二〇万三三四円で四一位、消費者物価地域差指数(全国一〇〇)九八・〇で四五位、商品年間販売額(従業員一人当たり)一、八二二万円で四一位と、大体家計や経済の領域である。このデータは昭和五三年~昭和五八年のものであるが、愛媛は面積二六位、人口二八位のようにその多くは二〇~三〇位にあってここでも中庸的表情をのぞかせている。
 風光明媚、気候温和な自然環境に恵まれた伊予人は、あくせくせずに、のんびりと自分だけの生活を守っていける。しかしそれは負けじ魂をなくしてしまうことにもなる。と前置きして伊予人気質を綴る。「夏目漱石は高浜虚子を評して〝狂しない〟といったそうだが、これは実によく松山人の性格をいいあらわしていますよ」と県の教育委員で作家の岡田禎子はいっている。「どこまでも安全地帯を歩いていて決して道をふみ外さない。そして自分の生活を非常にだいじにする。虚子は俗物だとよく言われるようだが、それは自分の生活を愛するからで、藤村は『破戒』を書くのに全身全霊をうちこみ、そのため三人の息子を犠牲にしたということだが、松山人はとうていそんなことは出来っこない。つまり中庸をえているというわけですかな。」「だから松山には大した人物は出ないのですよ。」
 そういうと「とんでもない。子規を見ろ、あの子規にファイティング・スピリットがなかったら、一体誰にあるのだ。」と憤慨する人もあろう。子規が俳句や短歌の革新を目指し、『歌よみに与ふる書』で、月並みにながれていた宮廷の御歌所を中心とする旧派和歌を徹底的にやっつけ、ついに「新派」の勝利を導いたところなど、まさしく狂した人物といわねばなるまい。
 子規は祖父に藩の儒官大原観山を、叔父には松山市長貴族院議員、ベルギー公使等をした加藤恒忠がいた、だから子規は祖父からは東洋の、叔父からは西洋の学問を教わることができたわけで、まったく恵まれていたといわねばならない。
 子規の特に晩年を見ると、松山人子規はわれわれ凡人の目から見れば、どう考えても狂した人物としか思えないが、「しかしあの当時のたとえば尾崎紅葉とか島崎藤村など、一騎当千の強者たちにくらべれば、やはり狂しなかったほうなのですね。」と岡田女子にいわれてみると、あるいはそうかもしれないと思う。(エッセイスト神楽山人)
 また森本哲郎は「大好きな松山」として、漱石の『坊っちゃん』の松山赴任第一印象を引き、「自分の町を、のっけから野蛮な所などときめつけられたら、こころよく思わないのが普通だが、松山市の住人はそんなケチな根性は持ち合わせていない。それどころか漱石先生、よくぞわが町を舞台に選んでくださった、というわけで『坊っちゃん会』という会まである。
 私が松山という町が大好きなのは、その鷹揚さである。おそらくその鷹揚さは、この町が子規の生まれた俳句の町だからであろう。俳諧とはもともと戯れ言から始まったのである。俳諧の本質は諧謔にある。」といっている。
 地元愛媛新聞社の藤田征三は、愛媛は多様な歴史的風土をもち『県民性』といってもひとくくりできない側面がつよいとしてはいるが、大ざっぱにいえば「元来は全体として陽気で、親切で、素朴、情に厚く、正直であるが、土佐人ほどの情熱はなく、讃岐人ほどの話し上手でもないが、非常な好人物」「ひとくちでいえばのんびり屋で、そのくせ小才がきく」という性格づけは年間降雨量一、三三六・七㎜、平均気温一五・六度、日照時間二、一三三・四時間、暑からず寒からず、台風をはじめとする天災がほとんどない気候温暖な地勢に恵まれたゆえと思ってまちがいない。とし更に東予・中予・南予の三予人気質を考えないと伊予人は理解できないとしている。
 さらに「万葉の昔も今日も、伊予は〝島山の宜しき国〟であり、愛媛の自然と風土は優美でありつづける。
 ミカンと並んで真珠、ハマチの養殖を日本一に仕立て上げた南予の農漁民のねばっこい性格。子規や虚子に代表される中予の文人的気質。漆器の行商から月賦販売システィムを編み出した東予の商人たちの才覚。
 一つひとつの歴史を、事象をたどれば、それぞれに営為と工夫のあとがくっきりと浮かび上がりはするものの、総じていえば凡庸で〝小成に甘んじる〟(子規)のが、今日まで一貫して変わることのない県民性であるようだ。」と。

 昭和六〇年代の気質断面

 昭和六〇年、松山商科大学経済経営研究所が、創立六〇周年記念出版として上梓した『愛媛の経済と社会』―その実証的研究―の中に「住民意識」をテーマとしたものが三編ある。それは「県民気質の研究」「愛媛県民性の一断面」「サービス経済化と住民生活」である。それらの中県民気質の研究の結論のみ紹介する。
 この研究は、全県を対象としたアンケート調査と、同じく全県の選定された地点で実施された主題統覚検査(TAT)からなっている。
 アンケートは六領域二八問からなり、対象は市町村を無作為に抽出、あとは選挙人名簿と、電話帳で系統的抽出法によった二、二一八名であったが、郵送法の為三二・一%の回収率で有効数は六八二であった。
 その結果一つには従来から愛媛は保守的で、伝統指向が強いとされていたが、ある面では必ずしもその傾向のみでなく、主体的未来指向が現れてきていること、そうした自己主張の健全な芽生えのあることなどが出ている。
 TATは県下七地点五五名を対象として実施された。用具はTAT早稲田版一八枚の内、特に家庭内人間関係の色濃い五枚と練習版二枚を用いている。
 この結果、先の県民性プロジェクトチームの実施した砥部町では、家族中心主義から都市的夫婦中心の家族イメージへの移行が指摘され、さらに男女関係においても都市ほどに割り切った考えに至っていないとコメントされていたが、今回ではその点について一層割り切った「男性」「女性」という個立した設定の仕方が見られる一方、明らかに家族とか友人とか相互に親しい関係と見られる設定にあっても、他人同志、傍観者、第三者的存在の想定として物語ることの多かったのが印象に残っている。人間関係を余り深入りせず適度の濃度を保つのが、身の保全策と考える都市的考え方の一面ではないかと思う。〝隣は何をする人ぞ〟は秋の愁ならずとも日常の風景であるのが今日的であって、人びとを孤立に追い込む原因であるような気がするとまとめている。

図3-62 県人の特徴

図3-62 県人の特徴


表3-37 愛媛県ベスト・ワースト

表3-37 愛媛県ベスト・ワースト


表3-38 愛媛の県民性戦後の年表

表3-38 愛媛の県民性戦後の年表