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愛媛県史 社会経済5 社 会(昭和63年3月31日発行)

三 識者の視点その他

 当時の識者の視点を少し引用して見よう。
 昭和四一年、愛媛県出身の安倍能成は、『我が生い立ち』の中で、「或る人が愛媛県には民謡が少ないといった。かって朝永三十郎博士が「丁西倫理会講演集」で、『理知的な日本人』とかいう題の一文を書かれたことがあり、この日本人の性格が殊に松山人にあてはまるやうな気がしたことがあった。理知的な性格に鋭敏な感覚が加はって、他人の欠点がよく見え、それを冷かす傾向のあるのも、松山人の性癖ではないかと思ったこともある。愛媛県全体のことをよく知って居るとはいへないし、又他県に比べて童謡の数の多寡を調べたこともないが、好い加減に考えても、東北地方などに比べて民謡は少いやうに思われる。」
 「童謡なども、私の覚えて居るのには男児のは少い。殆んど姉妹の謡って居たものばかりである。即ち手鞠歌や羽子つき歌などに限られる。」と述べている。
 また昭和四七年、司馬遼太郎は『花神』に、南予について次のように述べている。「伊予の宇和島藩―一〇万石の小藩だが、仙台からここに移ってきた江戸期いらい、民治がよく、学問がさかんで、江戸期の天下を分治していた二百数十の諸藩の優劣でいうと、たとえば時計のような、精密機械の印象をもった藩である。南伊予の温暖な気候風土の影響をたっぷりうけて、士も農もここほどおだやかなところは、ほかに類がない。」
 「また蘭学熱心というのは『あれは物好きではない』と蔵六は後年いっているが、しかし多分にこの学問好きの土地風として、知的好奇心がさかんだったのであろう。」
 「ああいう土地は日本にいくつあるかもしれない。津軽の弘前もそうかもしれず、盛岡、西では石見の津和野、九州では佐賀などがそうだときいているが、宇和島はそれより町の規模は小さく、外界から山をもって遮断されているために、その地名すら人に知られることが少い。さらには世間へのさばってゆくという気風に乏しいため、いよいよ知られない。」

 愛媛新聞から

 また昭和四七年六月愛媛新聞は「変身する南予」で南予人を〝勤勉な米作りの職人的農民から、販売と利益を重視する商人的農民へと変わった。職人の一途な心意気が、商人の目ざとい合理性にとってかわったというべきか。すでに職人的勤勉、実直、素朴なイメージは神話となり、農民もまた「現代的商人」としてのよごれを隠せなくなったが、これを企業的農業に必要な「現代農民」への変身というのだろうか。この気質の変化は当然ながら、部落共同体としての農村を崩壊させはじめた。とその変貌を報じている。
 また同年七月には、「中予をつくる」の中で中予人について、松山人はあまり自我を主張しないようだね。と前置きして前述の宮城の分析を紹介し、富田狸通の言「戦乱のなかった城下町、四国でただ一つの温泉町がはぐくんで来た気質でさい。それに災害が少なく、食物が豊富だという条件が、温和とのんびりさを育てたぞなもし」をひき、逆にそうした松山人の気質は狭量、自己中心、自主性不足、付和雷同、没個性……などマイナスの性格と結びつく。二〇年ほど前、作家の伊藤整がズバリ書いている。いわく「退職金でお城の見える場所に家を建てる。私鉄の優待パスを使い道後温泉につかり、お茶を飲みながら人の悪口をいう」「やっぱりもの書きはよう観察しとりまさい」富田さんはニヤニヤしていたという。
 また愛媛大学教授和田茂樹は「松山人には文人気質というものがかなり強いと思う。子規の俳句グループ活動を見ると、非常にシンの通った意志力を感じますね。地道な研究を集大成する根気と意欲を持っていた。その後の文人の活躍を見ても中予人には『強い意志力』が潜在している。」ととらえている。
 さらに村上寿子は「ちょっと生活に余裕ができると風流を楽しむ。あまり大物は出ない気風かしら。でも最近の若い人は積極性が目立つし、自立心もうかがえる。中予人に薄いといわれる『しんぼうに耐える強さ』が備わってくれば、二〇代の人たちは斯待できるわね」
 自然の風土と生活が、その地方人独特の気質を育てるものである以上、将来の松山人気質は環境と無縁ではないであろう。村上さんは松山城を中心とした自然環境、温泉情緒と温かい人間環境、芸能風流心をかもし出す教育環境の整備を望んでいるようだ。
 さてそういう松山人気質は変身しているかについて、松山商科大学教授井出正は、「旧来いわれる通りの温和性貯蓄型がより濃厚になり保守的色彩は不変」「その貯蓄の目的は老後のためが多い」と説明した。

 祖父江孝男の「県民性」から

 昭和四六年明治大学教授祖父江孝男は、中央公論社より『県民性』という新書を発行した。その中で県民性について先ず井伏鱒二の『駅前旅館』の番頭の言を借りて、地方民性を説き、東北人(オクスケ)と関西人(ニシマエ)の気質の差を例示している。地方によってそのイメージの明確な県、例えば高知県の頑固(イゴッソウ)、意地っ張り、熱情的、おおらかさ、酒好き等をあげ、そうでない県例えば兵庫県等のあることを示して、明確な県はそれを表明する熟語が周知されていることとともに、その県の代表的、歴史的人物が強い印象を与えているケースもあるとして、維新功労の三藩、薩摩・長州・土佐を例示している。
 そうして見ると県民性も、現在もあてはまるものと、時代の推移の結果遠く過去のものとなっているものとがある。後者の例では佐賀の葉隠精神等は今の佐賀県の若者にはその痕跡すらないという。また一般のイメージとはかけ離れた県民性の場合もある。例えば沖縄県民は南国の明るい自然の中で、外交的で開放的性格の人びとであろうと考えられているが、実際ははにかみ屋で、義理人情の強い意識をもっている。さらに一般に県民性といいつつ個人差の存在を忘れてはならないと付加して偏見をいましめてもいる。
 祖父江は県民性を示す一つの指標として、東京都内にある各県の県人会の結成及びその活動状況、結束の固さ等を調査している。その結果その歴史の古さ、活発な行動を継続している県として北陸三県(新潟・富山・石川)をあげ、その結束は宗教的結合にその一因があろうと指摘している。その他明治維新の主役を果たした長州藩の山口県、小藩に分割されていたために、地域毎の結合の密接であった長野県・長崎県もその多彩な行事を行っているとしている。この点愛媛県人会は、歴史はあるがその活動は余り活発ではないようで、そのような結束の弱い県は近代化の進んだ一面もあるとして、大阪府や京都府・兵庫県等があげられている。
 つぎの指標として、県出身在京学生中のノイローゼの発生率を調査している。その結果は東北地方出身者にその発生率の高いことを見出しているが、それには方言コンプレックス等が作用しているのではないかと考えている。四国出身学生のそれは少ない。また文章完成法テストを中学三年生を対象に全国各地で実施し、各地域住民の対人態度や反応様式を分析しているが、愛媛県はその対象から外れている。
 さて祖父江は四国四県の県民性について先ず、四国に伝わる小噺を紹介し、「もし思いがけない金が一、〇〇〇円はいったとしたらどうするかというのに、愛媛の人は、〝これはよかった、この金で何か買ってかえろう〟といって使ってしまう。香川の人はというと、〝いやまことにありがたい、これはそのまんま貯金しよう〟、いうてそっくり預けてしまう。徳島の人となると、〝おおこりゃええモトデができた〟、いうてその金を何倍かに殖やして貯金する。そして最後に高知の人はというと、〝こりゃもうけたよ、さっそく祝盃じゃ〟いうて、きれいに飲んでしまう。」というわけだが、それぞれの県の特色はほり下げるとどうなるか。
 愛媛は月賦販売業者ナンバーワンの県として、全国約八百店ある経営者のほとんどが愛媛県出身である。とくにこの業界大手四社のうちの二者は愛媛県人で、全国月賦販売店のじつに九割以上が愛媛県人の手にある訳だが、中でも今治市を中心とする東予の人が多い。
 一般にここの県民性は、温和、人情味に富む、のんびり等があげられるが、地域差も著しく、大きく分けて松山中心の中予、今治中心の東予、旧大洲藩以南の南予で、中予は学者、文人肌的なところがあってのんびりしているが、排他的。南予はのんびりの程度も大きくなって豪放なところもあるが、〝人はよいようでよくない〟、などいわれたりする。そして東予となると、金に細かく、どこかこすっからいところがある。しかしきわめて勤勉で粘り強いといわれている。こうして見るとたしかに東予の性格は、商人に適しているようだが、とくに月賦販売に向いているのは、粘り強いから、こまめに回収に歩くことができるためだろう。それは誠実で正直なので、うんと大きなヵヶをするような、危険な事業には向かないが、小さい商売には適しているということもあるらしい。