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愛媛県史 社会経済5 社 会(昭和63年3月31日発行)

第一節 戦後の県民性のベース―民力と国民性調査その他―

 明治以来、昭和中期に至るまでの愛媛県人の気質を、史実を追って、また特定の人びとの言動等によってみてきたが、もちろんある場合は一面的でかなり偏ったものとなっていると考えられる。
 一般に国民性とか県民性という場合は、上述のようにその地域のかなり多くの人びとの傾向であらねばならない、最頻性格とはそういういみである。しかし日本人の国民性といっても、日本人が全く一致して同じ意見を述べ、同じことを考え、行動することは恐らくありえないであろう。しかしかなり多くの日本人によって述べられる意見、実行される行動といったものは存在するであろう。
 もちろん多数意見とはいっても、ある個人はそれにすべて賛同することはまず考えられない訳で、ある意見には賛同するが、他は多数意見とは別な意見に同調することも考えられる。またどの意見も多数意見とは違った意見をもっている人びとも存在することもあろう。いわゆる少数意見グループである。
 そうした人びとの実態を把握する一つの方法はいうまでもなく調査である。戦後は日本人自身を改めて見直す風潮も手伝って、戦前のそうした調査禁止の反動もあり、実証主義の流れの中で多くの調査が雨後の筍のように行われるようになった。それらの中には日本人の性格、つまり国民性に関するものも多くあったが、多くは中央偏重的な性格のもの、または全国的規模のもので、地方独自のものはかなり遅れて出現している。
 いまそれらの中から愛媛県の県民性を推測するベースとして、朝日新聞社が昭和二五年(一九五〇)以来緻密に調査編成している『民力』と、統計数理研究所のまとめによる『日本人の国民性』を参考として瞥見して見よう。