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愛媛県史 社会経済5 社 会(昭和63年3月31日発行)

はじめに

 愛媛県史四〇巻のうち、部門史「社会経済」は、農林商工等の経済史四巻と、社会史分野二巻の六巻及び資料編二巻で構成されている。
 社会史部門のうち、本巻は『社会経済5社会』で、社会生活・県民性・労働・海外移住・社会福祉で構成されている。なお、『社会経済6社会』には、保健衛生・災害・婦人問題・部落問題が収められている。
 「人間は社会的動物である」といわれ、歴史の叙述に当たって、社会史的視点が必要なことはいうまでもない。社会史研究は、分野別の研究については、近年、研究活動も活発であり、多くの業績もみられるようになった。しかし、あまりにも政治・経済と切り離し難い関係もあって、総合的・通史的社会史については、体系化が進んでいるとは言い得ない状態にあるようである。
 此の度の県史の社会史部門に於いても、前記の如く、総合的に取り扱うことをせず、社会史の各分野を独立的に取り上げて叙述するという方法を取っている。
 「愛媛の社会生活」については、第一章では、近世伊予の村の成立過程と構造について、検地、名本層の分解、庄屋の役人化、農業経営、村落共同体、名、本門・家子門、知行制、門、地ならし、割地などの諸側面から具体的に述べ、その特質を指摘した。続いて近世伊予の村の変質過程について、社会的自然的背景のもとに、検地帳の畝高と現実の畝高との間に乖離が発生し、有畝・有高が成立して、地主小作関係を展開させ、また農村手工業、例えば瓦および塩の生産と流通、農関余業の展開、広範囲な地域への多数の出稼ぎ(人口の流動)などから近世伊予の村が分解してゆく過程を具体的に述べ、その特質を指摘した。さらに、その成立過程および構造において特色をもつ禎瑞新田村について、その特質を具体的に述べ、最後に近世伊予の村の地域性についても付言した。
 第二章で、明治維新、新政府が富国強兵の実現を急ぐため、西欧文明を積極的に摂取を図りながら、近代的諸改革を進めたことが影響して、文明開化の風潮が高まった。愛媛県においても、養蚕製糸業の勃興、綿織物業の発達、別子銅山の発展、軽便鉄道の敷設など目を見張るものがあり、また農村も収穫物の商品化の必要に迫られ、急速に商品経済の渦の中に巻き込まれていった。
 旧来の生活様式や風俗習慣などが、「陋習」の名のもとに、改められる中で、生活文化の近代化を自分たちの手で進めようと図り、そのために西洋文明の本質的な意味を学び取ろうとする者もいた。現代の庶民生活へ大きな変化をした明治期の諸事象を、次の五節にわたって記している。文明開化と社会制度の改革・近代教育の出発・殖産興業と社会問題・西欧文明の恩恵・日常生活の洋風化等にわたって、写真資料も使って具体的に愛媛の町や村の社会生活を叙述している。
 「愛媛の県民性」では、県民に共通な意識・態度・感情等の総体、つまり気質とか、性格のうつり変わりをテーマとしているが、ここでは明治以降主として現代を取り上げて記述した。
 元禄時代編という『人国記』から伊予人は既に実践に富むと記され、温和な気質とされている。親藩の多かった江戸時代から急転の維新時には各藩多様の行動に出ているが、文明開化の流れには比較的早く乗った様子も見え、指導者もさることながら、政治体制や権利の行使にそれが現れている。
 大正・昭和前期は不況と軍国調の中に太平洋戦争に入るが、この間は思想統制の中にあって記述も少ない。
 戦後は燎原の火の様に各方面で各種の調査が行われ、その中で愛媛県人は、うつ型気質とされ、陽気・勤勉・正直等の特質があるとされたが、五〇年代には粘着質もかなりあるとされ、六〇年代にはさらに都市的に乾いた人間観も見えてきている。それにしても愛媛は東・中・南の間に今日でもその人情に各種の違いを見せてはいる。
 「愛媛の労働」では、第一章で戦前の労働では、明治以降終戦に至るまでの鉱業、官業、船員を除いて、繊維産業の比重の大きい県という立場から、職工の募集、周旋、引き抜きなど職業紹介の推移を第一節で、いまの労働基準法の前身である工場法令の変遷を第二節で、労働組合、労働争議をごく簡単に第三節で叙述した。
 第二章で、戦後の労働は、各種資料、統計を駆使して第一節を労働組合とし、組合の組織、労働争議および福祉活動を、第二節で地方労働委員会をとりあげた。
 戦前が法制中心であるのに対し、後者が生の事実中心であるのは対称的であるが、これは、資料の関係による。
 「愛媛の海外移住」では、近現代における海外移住と、国内では北海道等への移住について、近代すなわち戦前を重点的に記述した。
 第一章では、移住全般について全国的動向と本県の移住の状況等を概観した。
 第二章では、海外移住について、各国・地域別にその状況を対象とした。第一節と二節で北米の米国本土とハワイを、第三節で中南米のブラジル・ペルー・アルゼンチン・ドミニカを、第四節でオーストラリアへの移住を、第五節ではアジア地域のうち満州を中心に取り上げた。
 第三章では、海外移住ではないが、本県からの移住が海外移住以上に多い時期のあった北海道等を記述した。
 全体として、前述のように戦前を重点的に取り上げ、全国的状況を概観すると共にその中における本県の地位の解明に留意した。移住先については、国・地域を重点的に取り上げたため、カナダ・アラスカや東南アジア諸地域のように残念ながら割愛したところも少なくない。
 「愛媛の社会福祉」では、古代から現代までを対象とし、明治時代以降を重点的に記述した。社会福祉は、(1)古代からの救貧を主とする慈善救済事業、(2)大正期の米騒動を通して救貧のみならず防貧をも意図する社会事業、(3)第二次世界大戦後の国家責任をもって国民の「健康にして文化的な最低限度の生活」を保障しようとする社会福祉、以上三つの発展段階をもって展開されてきた。特に現代では、いわゆる福祉六法など数多くの法制を整備し、ボランティアやコミュニティー活動とも一体となった地域福祉の推進が図られている。
 いつの時代でも、社会の発達や変容の中で、様々な理由で生活苦に陥る人々がみられる。本章では、こうした人々の救済や福祉向上のために本県はどう取り組み、また民間の社会福祉団体が時の流れに応じてどのように活動したかを記述している。戦後、愛媛県では、「生産福祉県政」や「生活福祉県政」が提唱され、生活保護・児童福祉・身体障害者福祉・母子福祉・老人福祉・精神薄弱者福祉など、社会福祉の制度や施設が整備された。また、VYS運動に代表されるボランティア活動が活発化し、県社会福祉協議会を中心とする地域福祉活動も展開されている。
 「ともに分かち合い、ともに生きる。」ことに情熱を傾注した郷土の先人は多い。本章では、こうした人々をできるだけ多く掘り起こし、その業績を記録するとともに、愛媛県における社会福祉の歴史的展開を概説することに努めた。
 『社会経済5社会』『社会経済6社会』を通じて、本県の社会史の各分野について記述してきた。未収録の分野もあり、内容的にも不十分な点がある。通史との関連、紙幅の問題等のあったことで御理解をいただくと共に、大方の御叱正をいただければ幸いである。多忙な日常にもかかわらず、執筆を完成された委員諸氏に、心から敬意と感謝を表すものである。
                             社会経済Ⅲ部会長 井 原 康 男