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愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

三 蒼社川総合開発事業と工業用水

 前述のように、今治糸染協同組合の精力的な用水獲得の活動が行われたがなお用水不足までには至っていない。
 昭和三九年(一九六四)、今治地域は東予新産業都市に指定されたこともあり、当地域の発展を図るため、蒼社川総合開発事業が計画された(玉川ダム計画)。ここにおいて今治糸染協同組合は、このダムより表流水の引水によって、工業用水の安定確保を目指し、県当局に次のような陳情を行った。

            陳 情 書(抜粋)
 今治地方における繊維産業は……地下水に異変を来し其の水量を激減し、其の水質は悪化し……右事態に対応するため昭和三四年度……日量五、〇〇〇トンを、更に引続き昭和三六年度……日量三、〇〇〇トンを確保して日量合計八、〇〇〇トンの用水を傘下各染晒工場に給水することにより今治タオル生産増強(年産一五〇億円)に伴う染晒加工の需要を完遂……農業用水との関係もあって伏流水の集水によって現在量以上の取水量の増加……余地極めて少ない……。
 従って今後のタオル生産の増加(年一〇%と推定)に即応して夏季に於ける加工を完遂するためには……ダムの建設に待たなければならない……何卒県御当局に於かれましても……速やかにダムの建設についての特別の御配慮賜らんことを懇願いたす次第でございます。
昭和三七年九月
                              今治工業用水保全期成同盟会 会 長 木 原   茂
                              今治糸染協同組合        理事長 眞 木 信 房
愛媛県知事 殿

 以上の今治糸染協同組合を中核とする陳情、そしてその後の種々の折衝や調査を経て、当地域の工業用水道事業は、蒼社川総合開発の一環して建設されることとなるが、その事業は県営の公共事業として実施することが妥当であるとされ、その工業用水道事業は愛媛県へ移管されることとなった(昭和四二年(一九六七))。その協定書は次のとおりである。

   今治地区工業用水道事業の県営施行に関する協定書(抜粋)
 愛媛県知事久松定武(甲)と今治市長羽藤栄市(乙)は、蒼社川総合開発事業の一環である今治地区工業用水道事業に関する県営施行について、次のとおり協定する。
一 甲は乙の工業用水道事業を県営として施行する。工業用水の給水区域は、今治市及びその周辺とす。
二 玉川ダムに係る工業用水道事業の分担は……下記の分担率による。……
 治水 四四・一九% 一、三七〇、〇〇〇千円  不特定 一〇・一四% 三一四、〇〇〇千円  上水 三二・四一% 一、〇〇五、〇〇〇千円  工水 一三・二六% 四一一、〇〇〇千円  計 一〇〇% 三、一〇〇、〇〇〇千円
三 以下省略
昭和四二年七月
 甲 愛媛県知事 久 松 定 武
 乙 今治市長  羽 藤 栄 市