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愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

三 吉岡泉と工業用水源

 吉岡泉

 吉岡泉は、角野北内国領川沿岸にある良質の泉源であった。大正三年(一九一四)、吉岡泉普通水利組合を創立し、その開削を計画、大正六年竣工(第一期工事)、泉水は予期以上に湧出した。大正一〇年(一九二一)水路工事(第二期工事)を完工、初めて通水を行う。
 この泉は、泉量豊富水質純良で最も人造絹糸製造に適した。住友鉱山会社は、新居浜町長白石誉二郎を介して、その使用権を望んだ。泉の水利権を有する耕地整理組合は、昭和七年日本化学製糸㈱に吉岡泉源及びその導水路を譲渡し、同時に灌漑用水使用権を保留する契約が成立した。その後、水利権は倉敷絹織㈱の名義に変わり、のも新居浜化学工業㈱が継承、その後、工場の譲渡とともに住友化学工業㈱が引き継いだ。その吉岡泉の記念碑銘にも、
 「今や、有灌水之益交通之便、労苦被節約時間得余裕則自到副業飼蚕之盛況及工業労働者是吉岡泉之賜也、方是之時住友鉱山会社関与而欲以興化学工業会社 而知吉岡泉量豊富而澄澈且質頗能良最適於斯業矣 昭和七年五月会社介白石誉二郎君 吉岡泉使用権之譲共、且日雖譲与後農家灌漑期間 別与吉岡同量水又会社使用傭員亦当地区限五百人可与補償優先権云々 此時此際労力過剰而需要甚少 農業物価最低而収支不償 故農村疲弊困憊之状可概見也、雖然吉岡泉開鑿也企画者賭身命傾家屋而漸成者 而軽々譲与之、及洵有難息不可忍者也 款趣逡巡熟思久之 日灌漑水之供給 日被雇員 之特権若如此則地区内農人之安定可得而保 且因是地方発展之為原動為階梯不可不挙双手而賛呼 因謀之関係有志者則 愈日善哉 於是決意譲与焉 得住友鉱山会社之会心 同九年九月十二日得拾万円支弁与日本化学製糸株式会社契約成立 矣 同年十一月二十八日追加契約締結焉  其後会社所併合倉敷絹織会社継承契約也」
 とある。
この吉岡泉の工業用水源としての使用水量は、一日当たり四万四、五〇〇立方メートル(『新居浜市史』)とされている。
 工業用水についてはこの吉岡泉のように、他の泉・井戸・池沼などについても、その譲渡や、付近部落との調整などが左記のとおり活発に行われている。
 ① 金子新田池沼、住友鉱山㈱譲渡契約書(昭和八年)
 ② 金子新田池沼、住友別子鉱業㈱譲渡契約書(昭和八年)
 ③ 吉岡泉、住友鉱山及び日本化学製糸㈱協定書(昭和九年)
 ④ 金子村新須賀字小松原深井戸開削に関し倉敷絹織㈱契約書
 ⑤ 金子村新須賀と住友化学工業㈱との間の深井戸開削に関する協定書(昭和九年)
 ⑥ 金子村新須賀と住友化学工業㈱並住友共同電力㈱との間に国領川付近地下水に関する契約書(昭和九年)
 ⑦ 住友化学工業㈱と垣生・多喜浜・松御子土地改良区、川東土地改良区連合会との地下水協定書(昭和三四年)
 ⑧ 西原町大島化学㈱水路・堤防の使用に関する定約書(昭和二九年)

 工業用井戸の分布

 既に述べたように、国領川の表流水が平野部で地下に伏流するため、工業用水として、各工場はその敷地内または付近近郊の井戸水に依存する度合が極めて高い。表用2―5は、主な工場の用水井戸の分布とその使用量を示したものである(昭和三〇年代の調査と思われる)。
 これらの井戸の分布は、国領筋の下流、敷島橋付近の左・右岸に密集し、新須賀・小松原には深井戸が多い。このため、水源地帯から工場内へ導水する場合には、関係集落との調整・同意を必要とし、例えば住友化学工業㈱と金子村(現新居浜市)との間に次のような文書が見られる。

    昭和一〇年一一月二九日
             住友化学工業㈱ 庶務課長 島村計治
  金子村長 本藤巴勢一 殿
 陳者当社製造用水引用の為送水管を貴村地内に埋没の議一一月一三日付を以て御願申上腕目下工事中の国鉄川敷内の井戸より貴村に於いて採水の結果沿岸貴村新須賀部落の飲料水に影響を及ぼす如き事態発生の際は当社に於いて中止又は適宜の処置を可講候故何卆御高承の上至後御取運の程御願申上候
 右御誓約傍心御依頼迄斯御願申上候

表用2-5 国領川下流の工業用井戸の分布

表用2-5 国領川下流の工業用井戸の分布