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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

三 瀬戸内運輸

 海上から陸上輸送へ

 明治四三年(一九一四)設立され、貨客船による四国~中国間の輸送を行っていた東予運輸が大正五年(一九一六)商号を瀬戸内商船と改称し、尾道~多度津、尾道~今治の貨客海上輸送を主な事業として、本社を広島県尾道市に置いた。これが現在のせとうちバス・瀬戸内運輸の誕生である。同八年九月、多度津港~多度津駅(開業大正二年)に連絡バスを運行、次いで一三年には鉄道連絡船、尾道~今治航路の開設に伴い、今治桟橋~今治駅(開業大正一三年)の連絡バスを運行した。戦時中の昭和一七年(一九四二)七月、鉄道省や県当局の統合指令により第一回統合を行い、今治地区バス事業五社=今治市営バス(バス一一台・蒼社橋~近見線など)、昭和自動車(一台・朝倉線)、常盤自動車(一台・桜井線)、文化自動車(二台・大井、小部線)、今治自動車(二台・竜岡、波方線)、その他に富士タタシー=を二一万一、五一四円で買収統合し、同市内のバス事業を統一した。昭和一七年から同一八年にかけて戦時要請により、鉄道連帯貨物輸送を除く旅客船及び付帯事業を他へ出資してその業務を停止した。同一八年一月、第二回統合を実施し、東部の二社=周桑自動車(バス一〇台・壬生川~松山線など)と宇摩自動車(二台・川之江~誓松線)=を一七万六、二一四円で買収し、本格的に陸上輸送に転換、本社を尾道より今治に移転し、現社名に改称した。同年六月、第三回統合を実施し新居浜地区の二社=東新自動車交通組合(バス一三台・山根、中萩線など)と新居自動車交通組合(八台・西条市役所~元塚線)=を四三万六、六四〇円で買収統合、東予地区のバス運行を統括した。当時五三台のバスがあったが部品や燃料不足のため、木炭車が登場、完全にガソリン車となったのは戦後の昭和二五年である(表交2―23)。

 路線の拡大

 市内線六、朝倉線など郊外線七、合計五九㎞余のキロ数の営業開始は昭和一八年九月二八日である。次いで同一九年三月には湯谷口など一〇の郊外線が開業し、統合で吸収合併した会社の旧路線も相次いで開業した。中でも二一年一一月には今治~新居浜線、同月伊予鉄バスと松山線(桜三里経由)の相互乗り入れ協定を締結し、中予地区への路線網を拡大し、翌年、小松及び壬生川~松山間が実現した。さらに三四年には今治~松山の海岸線の直行便も開業・運行を開始した。また、同年一二月、国鉄バスとの相互乗り入れ協定により新居浜~阿波池田間六六㎞、三往復運行が始まり定期路線が初めて県外まで拡大した。それに先がけて二九年には四国霊場巡拝バス第一号が出発し貸切部門も順調に成長・発展、三六年一二月、新居浜市営バスとの運輸協定を締結し、四〇年一〇月同バスを買収統合し現在に至っている。

 過疎に悩む現況

 昭和五九年度末の瀬戸内運輸バス事業の現況は四四路線(一二一系統)、免許キロ数五五二・七㎞、年輸送人員―乗合一、一〇五万人、貸切九七万人、営業収入四五億七、六二〇万円―うち乗合五六・三%に当たる二五億七、五〇〇万円、貸切二〇億〇、一二〇万円と、県内他社に比べて貸切の比率が高い。
 一般乗合旅客自動車の輸送実績(図交2―24)から輸送人員をみると、四〇年度までは順調に増加したものの、三〇年度の一、二一九万人を一〇〇とした指数でみれば四〇年の二六八をピークに下降し、五九年度は一、一〇五万人の九一と減少した。さらに走行キロもほぼ同様のカーブを描き四五年度以降は、わずかな減少を示しつつ横ばいの状態である。一方、乗車密度は四〇年度の一六・四人を最高に下降を続け五九年度は六・三人と一〇年前の半分にまで激減した。営業収入は三〇年度に比べ、五九年度は一一倍と数字の上では激増しているものの、コストの上昇率が上まわっているため、営業係数は四九年度以降、毎年一〇〇台を超え、ここ一〇年間の平均値は一一〇・一となっている。特に五九年度は一一九・七と一層悪化し、県下大手三社のバス事業の中でも最悪である(図交2―21)。
 主要幹線路線の運行状況は市内線や辺地の過疎路線と異なり、バス離れの進行する中でも順調に実績をあげている。中でも今治~松山線、新居浜~松山線の幹線ルートは順調に伸長し、輸送人員はピークの四〇年度前後と比較すると激減したものの、ワンマン化などの合理化対策などで切り抜け、営業係数はいずれも一〇〇以下で黒字経営を行っており、特に今治~松山線は九〇以下で最も安定した路線といえよう(表交2―22)。一方、同じ幹線路線の今治~新居浜線については前者の二路線ほどの業績は上がらず、停滞気味である(表交2―21)。一方、貸切部門では乗合部門とは逆に、県下大手の中で最も業績を上げ、五九年度の総営業収入中に占める割合は四三・七%の二〇億円強で好調である。
 最近の社内報『せとうち』によると、乗合バス関係の輸送人員は、八年間に四一%の八一七万人も減少し、経営不振が続いている。その原因として、マイカーやミニバイクの普及によるモータリゼーションを筆頭に、沿線地域の人口減少に伴う過疎化・産業界の不振による不況などが考えられる。現在運行している四四路線のうち、今治~松山特急便令松山~新居浜急行便などの都市間高速便や、近郊住宅地と市域を直結する富田線のような黒字路線は、わずか九、走行キロの三〇%に当たる市内線や山間辺地と海岸部のような不採算路線一三、別子山村線のような補助金路線二二となっている。
 累積赤字が深刻化しつつある現在、地域と企業が一丸となり経営の健全化への努力が望まれる。

図交2-24 一般乗合旅客自動車の輸送実績

図交2-24 一般乗合旅客自動車の輸送実績


表交2-21 今治~新居浜(急行)路線の輸送実績

表交2-21 今治~新居浜(急行)路線の輸送実績


表交2-22 主要幹線路線の輸送実績

表交2-22 主要幹線路線の輸送実績


表交2-23 瀬戸内運輸(株)の歩み

表交2-23 瀬戸内運輸(株)の歩み


表交2-23 瀬戸内運輸(株)の歩み2

表交2-23 瀬戸内運輸(株)の歩み2