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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

三 所得構造の変化

 産業構造の高度化

 前記のような激しい産業構造の変化は、生産所得の構成により明確に表れている。表産5-12は純生産の産業別構成の推移を五年刻みで示したものである。なお純生産のデーターは県民所得統計及び国民所得統計によるものであり、表の脚注に付記しているように、概念及び範囲・推計方式などが作成主体や時期によって相違するため、相互比較は厳密には困難である。統計値を直接に接続できない昭和四五年度は新・旧の推計値を併記した。
 まず、昭和三〇年から五五年にわたる二五年間について、愛媛県の産業別純生産構成の変化の大勢をみておこう。昭和三〇年度における県内純生産の産業別構成は、第一次産業三〇・一%、第二次産業二八・五%、第三次産業四一・四%であり、全国に比べ、第一次産業の比重が七ポイントも高く、反対に第三次産業の比重が六ポイント低く、第二次産業もやや低いという産業構造上のかなりの後進性がみられた。その後の急速な経済成長過程において、全国を幾分上回る産業構造の高度化を果たし、後進性はわずかに改善された。すなわち、昭和五五年度の産業構成は、第一次産業六・五%で全国より依然として高い比重であるが、その比重差はニポイントに縮まった。逆に第二次産業の比重は全国をわずかに上回り、第三次産業は五ポイントの比重差を残したままとなっている。

 昭和三〇年代における産業構成の変化

 いま少し詳しく年代別に産業構成の変化を全国と比較しながらたどってみよう。昭和三〇年代には、農業を中心に第一次産業が全国を上回る急テンポで比重を低下させた。それでも愛媛県の第一次産業の比重は一貫して全国のそれを上回っている。製造業の比重は、三〇年度には全国よりやや高い水準にあったが、三五年度には追い抜かれ、四〇年度にはほぼ同水準に並んでいる。愛媛県では戦前から繊維工業などの軽工業が全国以上に発達していたけれども、三〇年代前半の不況下で著しく衰退した。中期以降は、松山臨海工業開発や東予新産都市建設による、新規の大規模装置型産業が稼動し始めたものの、四〇年度は主力化学工業の不振により全体として停滞した。これに対し全国的には、この期に既成の四大工業地帯を中心に新鋭重化学工業が急激に拡大したため、愛媛県の工業化が相対的に遅れをとった。第三次産業はとくに後半期に急成長し、なかでもサービス業が順調に拡大を続け、その比重はこの一〇年間で三・五ポイント上昇して全国を上回った。しかし卸・小売業は、就業者の増加にもかかわらず生産性が低いため所得は伸び悩み、全国との比重差は拡大した。
 かくして、この一〇年間に第一次産業は一三ポイント下落し、逆に第二次産業は五・四ポイント、第三次産業は七・六ポイント上昇した。四〇年度の産業別構成比を全国と比べると、第一次産業が五・九ポイント高く、第三次産業が四ポイント低い。

 四〇年代における産業構成の変化

 昭和四〇年代については、まず旧SNA推計に基づいて四〇~五〇年度の一〇年間の推移を概観しておこう。図産5-3は、四〇~五〇年度の産業別県内純生産構成比の変化を示したものである。安定的に推移する第二次産業をはさんで、第三次産業の着実な拡大が、そのまま第一次産業の比重低下をもたらしている状況がよみ取れる。
 農業の比重は、四〇~四五年度に、みかんを中心とする果樹の生産拡大がみられたものの、なお大きく低下してサービス業や卸・小売業に次ぐ地位に転落した。四五~五〇年度では、四九年度に生産調整の緩和・米価の引き上げ・果実の好況などに支えられ、近年にない高い伸びとなり比重の縮小幅は鈍化するが、全国を上回る低下であり、比重の順位は建設業とほぼ並ぶところまで落ちた。
 製造業の比重は、四〇~四五年度には三ポイントほど上昇し、三〇%を越えるシェアを占めるまでに拡大した。この期に日本経済は輸出と財政に主導されて、「いざなぎ景気」とよばれる戦後最も息の長い好況のなかで、年率一五%(名目)を超える高度成長を経験する(表産5-13)。愛媛県経済はこの五年間に二・三倍の規模に拡大し、全国の景気が後退に転じた四五年度にも製造業を中心に全国を上回る成長を遂げた。しかし、製造業の比重は四五年度の三〇・六%をピークにして、その後、経済の転換期に入るとともに伸び悩み、四七年度から全国的に景気が回復してくるなかで県経済は停滞を続け、成長率は全国を数ポイント下回った。それでも四八年秋の第一次石油ショックを契機とする、四九年度のマイナス成長過程での落ち込みは全国よりも幾分軽く、四五~五〇年度に全国の製造業の比重が六・ニポイントも低下したのに対し、愛媛県の縮小は小幅であった。また、この期に建設業が産業中最大の伸びをみせ、五年間に六・一%から九・三%ヘ一挙に比重を高めた。これにより第二次産業の比重は三九・六%のピークに達した。
 第三次産業では、四〇~五〇年度は内部構成に若干の変化がみられる程度で、全体として大きな比重の変化はなかった。新SNA推計では四五年度に第三次産業の比重がようやく五〇%を突破したが、全国との格差は四〇年度よりむしろ拡大した。四五~五〇年度には卸・小売業が四八年度まで過剰流動性のもとで拡大を続けたが、石油危機・狂乱物価を契機とする消費不況下の五〇年度は一一・九%に急落した。それでも運輸・通信業を除く他の産業がそれぞれ小幅の拡大をみせ、第三次産業の構成比は横ばいで推移した。全国の場合、この期に第三次産業の比重は五・四ポイントも上昇して、五〇年度は五七・四%となり、すでに産業構造の第三次産業化が急速に進展している。これに対し愛媛県は、産業構造変革の動きがまだはっきりと現れていない。

 五〇年代における産業構成の変化

 昭和五〇年以降、日本経済はおだやかな回復過程に入り、五三~五四年の第二次石油危機の影響からも、短期間で脱して安定成長に移行する。それに比べ、愛媛県経済の回復力は弱く、常に国の成長率を下回り、五五年以降も低成長が続いた(表産5-13)。産業構造の相違に起因する成長格差が明白であった。
 五〇~五五年度の純生産構成の動きをみると、五〇年度に一〇%を割り込んだ第一次産業が、五五年度にかけてさらに激しく下降を続けて六・三%まで低下した。農業所得は、引き続く減反や米価の据えおき・柑きつ価格の大幅下落・異常気象による減反などにより大きく落ち込んで、その比重はわずか三・六%となり公務にも及ばない地位に落ちた。同じく林業は〇・七%と、昭和三五年の一〇%に比べ壊滅的縮小を遂げた。
 製造業は、五二、五三年度に化学・アルミ・石油などの素材型業種に加え、農業機械や造船などの不振でゼロ成長ないしマイナス成長に落ち込んだ。その後、石油価格の急騰・円安などの影響によりかなりの景気波動を描きながら、後半には軽工業や電気機械・一般機械に支えられ、全国の後を追って回復の兆しをみせた。製造業の動向についてはすぐ後でより仔細に見ることとする。
 第三次産業は、この五年間で三・四ポイントというかなりの拡大をみせた。これは卸・小売業の回復と、不況に強い金融・保険・不動産業及び電気・ガス・水道業の引き続く拡大に加えて、サービス業が再び増勢に転じたためである。五五年度における第三次産業の生産所得の比重は、全国の場合六〇%に近い水準にあるのに対し、愛媛県はそれより五ポイント低く、就業者比率と同様にサービス経済化の立ち遅れを示している。

表産5-12 純生産の産業別構成の推移

表産5-12 純生産の産業別構成の推移


図産5-2 生産所得構成比の動き

図産5-2 生産所得構成比の動き


図5-3 産業別純生産の構成

図5-3 産業別純生産の構成


表産5-13 経済成長率の推移(県・国民総支出)

表産5-13 経済成長率の推移(県・国民総支出)