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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

第三節 主要河川の漁業概況


 加茂川

 加茂川は古来鮎・鱒類の好漁場として知られていた。藩政時代からこれら淡水魚族の資源に恵まれていたことから鮎鱒川運上を課していたため、資源保護対策の一環として一定区域の簗場は禁漁区としていた。
 水産業協同組合法に基づいて、昭和二六年五月加茂川漁業協同組合(初代組合長、伊藤泉、組合員二六二名)が大保木村に事務所を置いて設立せられ、同水系の水産増殖を条件として漁業権が組合に免許されたのである。
 本河川の主な魚類相は、下流ではアユ・オイカワ・ウグイ・フナ・ウナギ・ドンコ・モクズガユ・コイ・ナマズなどであり、上流ではアメノウオ・ニジマス・モツ・モクズガニなどである。この川の漁法はつりが主でウナギはあなづりで採捕する。
 加茂川総合開発事業が昭和三九年~四八年三月末日までの期間で実施されることとなり、貯水池の黒瀬ダムは愛媛県が、取水ダムは県企業局がそれぞれ事業主体となり、治水、工業用水その他不特定用水の確保という多目的ダムとして建設された。この結果予想される漁業被害として ①アユ、ウナギなどの遡上阻害 ③同降下阻害 ③流量変化に伴う河川生産力の低下④貯水池造成によるアユ、ウナギの漁場そう失⑤工事中の濁り被害などが推定された。県水産課の精密調査が行なわれ、これらをもとに漁業補償が実施され、昭和四六年に加茂川漁業協同組合に対して総額七、三五〇万円の補償がなされた。
 昭和五八年現在、加茂川漁業協同組合は組合長白石可夫、正組合員三八七名、準組合員一二四名の計五一一名で事務所は西条市中野に置いている。


 乙女川

 安永年間に禎瑞新開が干拓地として造成されたが、この土地造成により面積約四〇haの汐取りができた。西條藩はここに淡水魚を放養し、御免川あるいは御止川と称して通常は一切の入漁を許さず一年のうちで日時を定め、明治初年までは藩主代理の者が初網を投入した後、一般に開放された。これをお川狩りと呼び、この風習は現在もつづいている。昭和二六年に乙女川漁業協同組合(初代組合長、石川龍一)が設立され、同河川漁業の管理にあたっていたが、四四年に組合を解散し、その後現在に至るまで地元禎瑞土地改良区がこの汐取りを管理している。毎年一〇月上旬の日曜日一せいに川狩りを行なうこととし、その日一日の入漁料は投網四、〇〇〇円、釣り三〇〇円、手取り二、〇〇〇円、船使用一、〇〇〇円となっている。
 なお川狩り日以降翌年五月末日までの毎日曜日のみの入漁料は三、〇〇〇円となっている。川狩り日には採捕者が三〇〇~四〇〇名位参集するほか、・観覧者も二〇〇~三〇〇名位加わり大変にぎやかな一日となる。魚はボラ・フナ・コイ・ナマズ・ウナギなどが主な棲息種となっている。


 蒼社川

 この河川には昭和二六年九月、越智郡龍岡村に事務所を置く蒼社川漁業協同組合が設立され、初代組合長には阿部久一が就任した。設立当時の組合員総数は二五九名であった。
 蒼社川は総流程約六六㎞、主流は二二㎞で、この河川に棲む主な魚種としては、下流にはアユ・ウナギ・フナ・カニ・オイカワ・カワムツ・ナマズ・ドンコなどがおり、上流にはアメノウオ・ニジマス・ウナギ・カニ・ドジョウ・ハゼなどがみられる。漁法は釣りと網が主力であり、釣りではアユ・ウナギ・フナ・コイ・マス類などが、と網ではフナ・コイなどがとられる。この外ウナギはやな、かごなどにより、カニは手取り、やななどで漁獲される。
 蒼社川総合開発事業が工期昭和三九年四月~四五年三月により進められることとなり、玉川ダムは愛媛県が、取水堰は県公営企業局と今治市が事業主体となった。
 本事業の目的は治水、農業用水、工業用水、上水道用水の確保という多目的なものであった。しかしながらこの事業の実施により河川漁業への影響として ①ダム地点の鍛冶屋より上流へのアユ、ウナギなど遡河並びに降下阻害 ②取水に伴う生息面積の減少 ③流量減による河川生産力の低下 ④恒常的な流量による遡河への影響 ⑤工事中の濁水の影響その他が考えられ、これらに対し昭和四四年総額一、二〇〇万円の漁業補償が行なわれた。
 昭和五八年現在組合長越智伊平、総組合員二二三名で内水面漁業を営んでいる。

 重信川

 県都松山市を流れる重信川に昭和二六年六月、重信川漁業協同組合が設立され初代組合長大政節太郎、組合員総数は七三一名で発足した。この川の主な棲息魚種と漁法は次のとおりである。

 釣

 アユ・ウナギ・ハヤ・ショウハチ・フナ・コイ・ナマズ・ドンコなどを漁獲対象とするが餌にはミミズ、セムシ、飯粒などが使われるほか、毛針もよく使用される。

 投網

 主としてアユ・ハヤ・ショウハチなどを獲るときの漁法で、釣りと異なり一時に大量漁獲されるため組合では別記のとおり漁業権行使規則などで漁場禁止区域を設けたり、網目、従事者数の制限措置を講じ、他の漁業への影響防止に留意している。

 筌

 別名「もじ」とも呼ばれて、もっぱらウナギを漁業目的として使用される。竹で編んだ筒(径五㎝、長さ六〇㎝)の中に餌としてミミズやドジョウなどを入れておき、一度この筒にウナギが入れば出られない仕掛けになっている。これをウナギの棲息する川底に夕方沈めておき、翌朝引き上げて獲る方法で、一人が普通一〇本以内の筒を沈設する。

 抄

 この漁法は川岸の草地の下にじょれんや、たもを構えておき、片足で魚を追い出し、抄ってとる方法と複数で行なうときは一人が川下に構えているところへ数人が竹や小石で水音を立てながら追い立ててとる方法とがあるが、漁獲物は主にハヤ、ショウハチで時々ウナギ、ナマズなども混じることがある。

 つかみ

 石がまの中に手を入れ、潜んでいるアユなどの魚を手でつかみどりする方法である。漁具を使わない最も原始的漁法であるが名人になるとかなりの漁獲をあげる者もある。

 夜かわ

 光に魚が集まる性質を利用して行なう漁法で、昔は松明を使用したがその後、石油ランプ・カ―バイト・電灯などに順次変化してきている。組合ではアユを目的とした灯火は電池三本、球は三・八までに制限しているが、漁獲物も昔のカエから現在はアユに移ってきている。
 昭和五八年現在組合長渡部重友、総組合員数は四八四名となっている。

 石手川

 本河川は重信川水系の石手川で、漁場は岩堰橋で重信川漁業協同組合との境界としている。但し、漁業権は重信川・湯山両漁業協同組合の共有となっており、その内容はアユ・コイ・ウナギ・アマゴ・ニジマスの各漁業である。本流の千貫岩より五明川との合流点までの下流域は棲息種も多く、特にアユ・フナ・ウナギ・カニなどの漁獲が多く、それより上の本流区域には冷水魚のアマゴ・ニジマス・アブラハヤ・カワムツ・アユ・ウナギなどが棲み、本河川の主要漁場となっている。主な漁法はアユは竿釣・友釣・投網、ウナギは穴釣・はえなわ、マス類・フナ・コイは竿釣・投網、カエはさで網が用いられる。組合は漁業権行使規則により曳網・刺網・やな・やす・からかけ・石がま・投網によるマス類の採捕を禁止しているほか、禁漁区の設定や、コイ・ウナギ・マス・アマゴなどの体長制限措置を構じている。当河川には昭和二六年九月に初代組合長松本七郎、組合員一〇〇名で構成する湯山漁業協同組合が発足し、漁業権の管理にあたるとともに種苗放流事業などの増殖義務を遂行してきたが、建設省が事業主体である石手川ダムが洪水調節・かんがい用水並びに上水道用水の確保を目的に多目的ダムとして昭和四一年~四八年三月末日までの工期で実施せられることとなり、この影響に伴う漁業補償が昭和四五年に行なわれ、五二五万円の補償金が支払われた。
 昭和五八年現在組合長大西良雄、組合員二八五名で構成する湯山漁業協同組合があり、事務所は松山市溝辺町にある。

 面河川

 仁淀川水系面河川で、面河川の水域区分は柳谷村の高知県境である。面河川の総流程は約一六九㎞で主流は約四九㎞である。本県にあっては肱川と並ぶ大きい河川である。
 当河川の漁業組合の沿革については前述したとおりであるが、水産業協同組合法に基づく組合として、県下では最も早い昭和二五年五月に組合長永井元栄、組合員五六二名で面河川漁業協同組合が発足した。
 本河川の主な魚類相はアマゴ・ニジマス・アユ・ナマズ・フナ・コイ・アブラハヤ・ウグイ・オイカワ・カワムツ・ドジョウ・ウナギ・ドンコ・ヨシノボリなどである。このうち主な魚種毎の漁法について述べると、アユ(友釣・手釣・竿釣・と網・たも網・やな・うえ・刺網)、ウナギ(手釣・竿釣・たも網・やな・うえ・かご・やす)、マス類(手釣・竿釣・たも網・刺網・と網)などとなっているが、これらの漁法も漁業権行使規則によってそれぞれ期間制限や統数又は規模規格の使用制限を附したうえで操業を認めている。
 面河川は古くから発電事業などに基づく水利と河川漁業との関係について当事者間間で各種の協定がなされてきた。

 伊予鉄道電気株式会社

 昭和一五年一一月協定を締結し保証責任面河川漁業協同組合に対し、水利補償として一時金四、〇〇〇円と年次金として一、〇〇〇円ずつ支払うこととしたほか、魚道への河川水の放流を遵守することとなった。

 日本発送電株式会社新居浜支店

 昭和一八年一二月、愛媛県知事と日本発送電との間において発電所建設に伴う水産被害への補殖事業として、会社は面河川へ昭和一八年以降毎年アユニ八万四〇〇尾、ウナギ三万五、〇〇〇尾、マスニ○万粒をフ化放流する旨の契約を締結した。この契約は、これより以前の昭和七年および一〇年の伊予鉄道電気株式会社第一~第三発電所並びに高知県営第一(仁淀川)、第二(加枝)発電所建設に伴う魚族補殖事業の更改に関し、日本発送電が補殖を引きつぐ形で行なわれたものであった。その後五年毎の更改が引きつづき行なわれてきたのである。

 四国電力株式会社

 前記発電事業の承継者である四国電力株式会社との間に昭和二九年一月契約を締結し、前述の放流を実施するための経費として年額一一〇万円を支払うこととなったのである。この補償はその後も更改が繰り返され、五八年四月の契約更改により面一、面ニダム分として八三七万円が年次補償として支払われている。なお、面三および加枝発電所堰堤分は打切り補償として現在補償交渉がつづけられている。

 農林省道前道後総合開発事業

 昭和三四年~三八年の工期で面河村笠方に面河分水ダムが農林省の事業主体で建設されることとなった。このダムはかんがい用水、工業用水の確保や電源開発などの多目的ダムとして築造されたのであるが、この分水に伴う漁業への影響として、① 河床面積の減少 ②河川生産力の低下 ③貯水池におけるアユ・ウナギの漁場そう失 ④工事中の濁りなどが考えられたため、これに対する漁業補償として昭和三四年二、〇〇〇万円が支払われることとなった。

 大渡ダム建設事業

 昭和四一年より調査を開始し、昭和五八年現在工事中である。このダムは建設省が高知県吾川郡吾川村大渡に洪水調節、都市用水の確保、発電などの多目的ダムとして築造中であるが、これによる漁業被害として ①取水による漁場そう失 ②アユ・ウナギの遡上阻害 ③工事中の濁り被害などが予想されたので、これらに対し、昭和五一年補償金一億一四〇万円が支払われることとなった。

 新面河第三発電所建設事業

 面河川の柳谷村に昭和五四年~五九年三月までの工期で建設されることとなった。このダムは四国電力株式会社が発電のみを目的として建設するものであり、この結果一部漁場そう失と減水による河川漁業生産力の低下が予想せられるため、面河川漁業協同組合と四国電力株式会社との間で補償交渉が行なわれた結果、定額補償金として昭和五八年度より毎年約四〇〇万円が四国電力株式会社から面河川漁業協同組合へ支払われることとなった。昭和五八年現在、組合長村上清章、組合員は二、〇四五名で県下では肱川漁協に次ぐ大組合である。

 肱 川

 肱川は本県沿岸に注ぐ河川では最大の河川であり、総流程約二七〇㎞、主流約八九㎞に達し、上流の宇和町から野村・城川・肱川・河辺・五十崎・小田・内子・長浜の各町と大洲市の四郡一市にまたがっている。
 肱川では藩政時代からアユ・カジカが名産として有名であり、焼アユ・カジカは土産物として珍重されてきた。本河川には昭和二三年五月喜多郡河川漁業増殖組合が漁業権を所有し、鑑札を発行しその収入で稚魚の放流を行ない増殖に努めていたが、昭和二六年四月肱川漁業協同組合が水産業協同組合法に基づいて県から設立認可されたが、初代組合長富永義忠、組合員は七八〇名で発足した。しかしながら同年度末には一、八八七名に達し、さらに昭和四一年度当初には総数実に五、二〇九名に増加し全国屈指の大組合となった。
 昭和二八年建設省直轄河川総合開発事業として肱川村に鹿野川ダムが築造されることとなり、これに伴う漁業影響調査が愛媛大学と愛媛県の合同調査として実施され、この結果 ①湛水区におけるアユ・ウナギの漁場そう失による漁獲減 ②アユ・ウナギのダム上流へ遡上減③ダム下流地区での棲息密度の増大による魚族の成長率の低下 ④河口における稚アユ遡上量の減少 ⑤流量調節に伴う漁場面積減などの被害が想定されることとなり、これに対し昭和三二年八月地元選出の県議会議員四名で構成する補償特別小委員などのあっせんにより補償金五、五〇〇万円が支払われることになり、このうち四、〇〇〇万円は肱川種苗放流基金管理委員会(組合理事八名、地元県議会議員四名、野村町長・肱川村長・県農林水産部長・県水産課長の計一六名で構成)が管理し、本基金の果実によりダム建設に伴う魚族減の復元を図るための放流計画を毎年樹立したうえで実施することとなったのである。
 肱川の共同漁業権は昭和二六年九月一日免許されたがこの内容は第二種(えりやな・かにやな・狩刺網)、第五種(アユ・コイ・フナ・ウナギ・アメノウオ・イダ・ハヤ・ナマズ・カジカ・カニ・エビ・マス・ボラ)であった。良好な河川環境に恵まれていたこともあって、特にアユの漁獲が最も多く、県内全体の約半分を占めていたほか、ウナギ・コイ・マス・カニ・カジカなどが多獲され、特にアユ・ウナギは地元で重要なたん白源となっているほか、カジカは乾製品として県内や阪神方面へも出荷されることで有名である。しかしながらダム上流地区と下流地区との種苗放流割合をめぐって対立があり、昭和四一年四月上流地区は下流地区と分離することとなり、同年一二月肱川上流漁業協同組合(初代組合長、羽藤音一、組合員一、四一〇名)が新発足し現在に至っている。昭和五八年現在肱川には肱川漁業協同組合(組合長、梶田勝明、組合員三、八八五名)と肱川上流漁業協同組合(組合長、山内哲夫、組合員一、五一五名)の二組合がある。
 肱川は県下最大の河川であるため本県内水面で行なわれる漁法の殆どがみられる。

 投網

 長さ約一〇m、幅約八〇㎝の網に沈子がついており、アユの魚影をみつけて投げてとる刺網の一種で県内の他の河川では使用されず肱川独特のものである。

 友掛

 囮アユの鼻孔にてぐすを通し、尾に針糸を結び竿であやつって泳がすと、これを追ってきたアユがこの釣針にかかる漁法であり、肱川では釣の大半はこの方法である。

 狩刺網

 長さ約三〇m、幅約二mの刺網を数条、川の流れに対し直角に張り、やみ夜の間火光を利用して行なわれる。水面を竿でたたきながらアユを網の方に追いやり刺してとる方法であるが、かなり効率のよい漁法のため漁業権行使規則によって統数を一定に制限しているほか、操業期間も八月一日から一二月末までとし区域も制限している。

 瀬張

 川の瀬を選んで割竹(長さ約一・四m、幅五~七㎝)を二〇㎝間隔位に打ち込み、瀬張の下側に待機して落ちアユの来遊を待ち、これをなげ網で採捕するものであるが狩刺網と同一の制限規定が設けられている。この漁法も肱川以外ではあまりみられない独特のものといえる。

 じんどう

 前述したとおりウナギを目的とした漁法であるが一名じごくともいわれる。これを連結して使用するものを連結じんどうと呼んで相当の漁獲をあげていたが、乱獲防止の立場から昭和四八年以降は組合の自主規制により禁止された。じんどうは現在一人五本までに制限されている。

 やな

 肱川下流では昭和三〇年頃から組合の自主規制によって禁止された。以前は本流一円で主に落ちアユを目的として数多く行なわれた効率漁法であったが現在は上流のみで行なわれている。

 かに網・かにかご

 組合の自主規制によりかに網(組合員に限る)、かにかごとともに一人五漁具に制限しているが、肱川全域では相当多くの敷設がみられる。

 その他

 ハヤ、ウグイなどを目的としたびんづけや、ウナギの穴釣、アユ、コイなどのどぶ釣、やす突きなども行なわれるが主流にはない。


 広見川

 広見川は北宇和郡松野町、広見町、三間町及び日吉村の四町村を流れ、下流は高知県の四万十川となっている。昭和二六年四月、水産業協同組合法に基づく広見川漁業協同組合が設立されたが、初代組合長は吉良庄一、組合員総数は一、一一五名で県下最大の組合員を擁していた。当組合が発足するまでの広見川では地域住民の重要なたん白源としてウナギ・アユ・コイなどを補獲していたが、これは現在のような漁業協同組合の有する漁業権に基づいて行なうものでなく、個人が県から漁業鑑札を直接受けて操業していたもので、これも網漁法に限られ、釣・すくいなどは自由に行なわれていた。当河川に棲息する主な魚種にはウナギ・アユ・コイ・フナ・ハヤ・マス類・イダなどがあるが、漁法はおおむね他の河川と同様、鋏・と網・投網・友釣・どぶ釣・狩刺網などのほかアユ・ウナギなどの落ち魚をとるやな漁業もかなり昔から行なわれている。
 昭和五八年現在広見川漁業協同組合は組合長毛利亀三郎、組合員四一六名で、事務所は広見町近永に置いて組合運営にあたっている。

 岩松川

 宇和海に注入する河川の中では最も大きく、総流程約八〇㎞、主流程約一五㎞で北灘湾に流れている。岩松川の魚類相のうち主なものは、ウナギ・大ウナギ・アマゴ・アユ・ハヤ・オイカワ・コイ・フナ・ドジョウ・ナマズ・シラウオ・イナなどである。
 昭和二八年九月岩松川漁業協同組合(初代組合長新田総一郎、組合員三〇〇名)が県から正式認可となった。昭和五八年現在岩松川には第五種共同漁業権が県から免許されているが、組合員の操業については漁業権行使規則によって行なわれるが、この概要は次のとおりである。

 あゆ漁業

 手釣・竿釣・友釣・たも網・なげ網・と網・狩刺網漁法を指定し、一部を除き一月~五月末まで及び一〇月一六日~一〇月末日までを禁止期間としている。

 うなぎ漁業

 手釣・竿釣・筌・石ぐろ・じごくかご・しばづけを指定し、石ぐろは一人三個まで、筌は一〇本までに制限し、期間は二月~一月末までとしている。

 こい漁業

 釣・と網・なげ網・狩刺網を指定し、期間は四月~一一月末までとしている。
 以上の三種類の漁業が免許内容となっているが、いずれも行使規則で禁漁区を設定しているほか、アユ八㎝、ウナギ二五㎝、コイ二〇㎝以下に体長採取制限をしている。当河川の漁獲量推定調査が岩松川水系水産資源調査会(会長愛媛大学教授伊藤猛夫)の手によって行なわれたが、魚種別漁獲比率はアユ三五・五%、ウナギ二九・九%、コイ八・二%、フナ七・一%、カ二九・二%、その他一〇・一%で、アユは七・四万尾、三、七〇〇㎏と推定された。
 昭和四七年山財ダムは北宇和郡津島町山財地点に洪水調節・上水道用水・かんがい用水の確保など多目的ダムとして愛媛県が事業主体のもとに岩松川総合開発事業の一環として計画され、昭和五六年三月までの工期で実施された。当然のことながら岩松川漁業への影響として次のようなことが予測された。①流量減少によるものとして、アユ・ウナギなどの遡上阻害、漁場生産力の減退、棲息面積の減少 ②ダム築造によるアユ・ウナギ・カニなどの遡上並びに降下阻害 ③湛水化による漁場そう失 ④工事中の濁り被害
 これに対し漁業補償交渉が行なわれた結果補償金四、〇〇〇万円の補償が行なわれることで解決した。
 昭和五八年現在岩松川漁業協同組合は組合長岡村菊夫、組合員総数九七名で河川漁業が行なわれている。

 その他の河川

 その他の河川で昭和五八年現在第五種共同漁業権が設定されているのは銅山川中流、銅山川・中山川、大曲川、来村川、関川の各河川である。これらの河川にはそれぞれ内水面漁業協同組合が結成せられ、漁業権漁業の管理運営がなされているが、組合の設立状況については表7-2のとおりである。
 また、昭和二六年に設立認可された乙女川漁業協同組合(西条市)は四四年に組合の業績不振のため解散したほか僧都川(御荘町)、須賀川(宇和島市)の各漁業協同組合も昭和二七年設立認可をみたものの前記同様組合の業績不振のため四二年に解散した。
 さらに河川漁業協同組合ではないが、内水面漁業協同組合として東予地区一円を組合地区とした東予地区食用蛙漁業協同組合が昭和二六年今治市に事務所を置き、初代組合長池田鶴吉、組合員四三名で発足したが、四五年に組合活動不振により解散した。

図7-1 愛媛県主要河川・内水面漁業協同組合所在地

図7-1 愛媛県主要河川・内水面漁業協同組合所在地


表7-4 加茂川漁業協同組合歴代組合長

表7-4 加茂川漁業協同組合歴代組合長


図7-2 蒼社川漁場形態・ダム位置図

図7-2 蒼社川漁場形態・ダム位置図


図7-3 仁淀川水系(面河川)ダム位置図

図7-3 仁淀川水系(面河川)ダム位置図


図7-4 仁淀川水系の河床縦断図

図7-4 仁淀川水系の河床縦断図


表7-5 肱川漁業協同組合第五種共同漁業権

表7-5 肱川漁業協同組合第五種共同漁業権