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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

六 漁船


 漁船の動力化

 明治以降の漁船数の推移は表3-7のとおりであり、明治年間は無動力船のみであった。大正年間に入り動力船が漁業に使用されるようになったが、地域的にはすべて南宇和郡を中心とした宇和海で二〇t未満の漁船であった。第二次世界大戦後は漁船の動力化が急速に進み、昭和三一年に至って動力船六、五四三隻、無動力船六、二八九隻と遂に動力船の方が上回った。その後も漁業近代化の波に乗ってこの傾向は強くなり、特に昭和五〇年代以後は急速に動力化の途をたどり、昭和五六年には九八%まで達した。

 ジーゼル機関化

 昭和三二年当時の漁船のエンジンは電気着火三、一八一隻、ジーゼルニ、七七六隻、焼玉一、二二七隻の計七、一八四隻で、電気着火が最も多かったが、その後は近代的なクーゼル機関化が進み昭和四〇年には八七%がジーゼルエンジンに切り換えられるに至った。焼玉エンジンは昭和四八年の一隻を最後に翌年からは姿を消した。電気点火はジーゼル化が進むにつれて次第に減少していったが昭和四七年頃より再び増加し、昭和五六年現在ジーゼル一万三、一八九隻(七〇%)、電気点火五、六五七隻(三〇%)の割合となっている。これは真珠養殖やのり養殖その他の作業船に使用される船外機船の増加が主な原因である。

 漁船の材質

 漁船の材料としては昔から殆ど木材が使用されてきたことは周知のとおりであり、昭和四五年当時でも九九%までが木船で、残り一%が鋼船にすぎなかった。しかしながら昭和四六年ころよりFRP船が出現した。この船が急速な勢いで普及していった理由は、①軽量なため速度が速いこと、②腐食しないため耐用年数が長いこと、③建造費の点でも木船と大差がないことなどである。

 漁船保険の加入数

 漁船保険法が廃止され、新たに昭和二七年三月漁船損害補償法が公布された。昭和二八年当時における本県の漁船総数は無動力船九、一五六隻、動力船五、五四九隻の計一万四、七〇五隻であったが、このうち漁船保険の加入船はわずかに二、三七四隻と全体の一六%に過ぎなかったが、その後行政当局並びに関係指導機関の普及指導とともに漁業者自らの自覚もあって毎年加入率は高くなり、昭和五六年現在の加入船は一万九四一隻と、漁船全体の五六%にまで達するに至った。この推移については表3-9のとおりである。


図3-3 漁業者の推移

図3-3 漁業者の推移


図3-4 漁船数の推移図

図3-4 漁船数の推移図


表3-7 漁船数の推移

表3-7 漁船数の推移


表3-8 動力漁船機関種類別隻数の推移

表3-8 動力漁船機関種類別隻数の推移


図3-5 動力漁船機関種類・漁船保険加入の推移

図3-5 動力漁船機関種類・漁船保険加入の推移


表3-9 船型別、船質別、漁船保険加入別の推移

表3-9 船型別、船質別、漁船保険加入別の推移


表3-10 船型別、機関別、漁船保険加入別の勢力

表3-10 船型別、機関別、漁船保険加入別の勢力


図3-6 地方局別漁船保険加入数・加入率

図3-6 地方局別漁船保険加入数・加入率


表3-11 都道府県別の漁船勢力

表3-11 都道府県別の漁船勢力